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夕陽が空から姿を消す頃、ミサキがこちらの部屋に戻ってきた。
ジャックはとりあえず護衛の仕事をこなしながら、入り口側に立って静観を決め込んでいる。
クリンはというと、なんとかベッドから起き上がってソファに腰掛けていたのだが、戻ってきた彼女の姿を見て硬直してしまった。
なぜなら入浴と着替えを済ませた彼女の容姿が、まるで別人のように変わっていたから。
綺麗に梳かされた金の髪はアップに結われていて、豪華な装飾の施されたかんざしが挿さっている。耳元には金で縁取られたルビーのイヤリング。そして同色の派手なネックレス。
なかでも彼女の白い肌によく映える赤いドレスはとくに目を引いた。
だが、そのオフショルダーのマーメイドドレスはデコルテラインを惜しげも無く強調した露出度の高いエレガントな印象を受け、自分の知っているふんわりした雰囲気の彼女には少し似合っていないような気がした。
……いや、綺麗だけども。別に、他の男からのプレゼントだからケチをつけているわけではないけれども。自身の器の小ささに打ちのめされてしまいそうだ。
彼女が向かい側のソファに腰をおろせば、お化粧まで施されていることに気づいた。ドレスに合わせた朱色の口紅が、ぐっと大人っぽい印象を与える。
今の、なんの表情もないミランシャ皇女にはよく似合っているのかもしれないけれど。用があるのは、そんな機械人形のような彼女ではない。
「ミランシャ皇女……と、呼んだ方がいいのかな」
そのドレス姿には一切触れることなく、クリンは気持ちを切り替えて本題に入った。
「どちらでも」
「そっか」
短く相槌を打ったあとは、ソファから立ち上がって反対側に座っていた彼女の左隣へ腰掛けた。
宿に泊まっていた時はいつもこの距離だった。
ミサキはといえば眉一つ動かさず、それを見ているだけ。
クリンは彼女の手をそっと取って、脈を測った。脈拍に異常はみられないようだ。
「頭痛とか、吐き気はない?」
「突然、なんです?」
「記憶が戻ったんだよね。どこか体調を悪くしていないか、心配なだけだよ」
「体調が悪いのはあなたでしょう」
たしかに、と。クリンはふっと笑った。
だが、ひとつの気がかりが胸を占めていて、その笑いはすぐに消え去ってしまった。
彼女は記憶障害を患っていた。解離性健忘とは大抵、受けたストレスから逃避し自身を守るために発症する。失っていた記憶を思い出したということは、つまり忘れてしまいたいほどのストレスも同時に思い出したということなのだ。
「ミサキ。なにか……苦しいことはない?」
「……」
「一人で抱えようとしないで、僕を頼って」
ミサキはふっと視線を落とした。視線の先は、白い腕をつかんだままのクリンの手。そこまで大きいわけでもないクリンの手ですらすっぽり包めてしまうほど、彼女の腕は細くて頼りなげだった。
だが、彼女が出した答えは拒絶だった。
「手を放してください。不愉快です」
「……」
ズキッと、はっきりとした胸の痛みを知って、クリンはそれに従った。
「ミサキは、これから何をするつもり?」
「お答えする必要がありますか?」
「……ひどいな。今まで一緒にいた仲間じゃないか」
「あら、さんざんわたくしのことを避けていらっしゃったのに。よくおっしゃりますこと」
「それと……これとは話が違うんじゃない?」
ミサキは目を伏せたまま、かたくなに視線を合わせようとはしてくれない。
「どちらにせよ、あなたはここでは招かれざる客です。なるべく早く教会へお戻りになってください」
「君と一緒に戻るよ」
「それはできません」
いつまでも拒絶を貫く彼女の態度に、心臓を握りつぶされたような痛みを覚える。
だが、ここで引き下がりたくはなかった。
視線の交わらない彼女の瞳に、悲しみとあいまって暗い決意が宿っているように感じるのは、きっと気のせいじゃない。今ここで彼女をひとりにしたら、もう二度と会うことはできないだろう。
「どうして? 僕を追い出して何をするつもり?」
「あなたには関係ありません」
「話せないようなことがあるんだ?」
「そんなことは」
「だったら目を見て話せよ」
「……」
ぴしゃりと言い放った言葉に、ミサキは条件反射のように目線をあげた。
機械人形だった彼女の表情に一瞬だけ驚きという感情が浮かび上がって、やはりこの子は自分の知っている彼女だと確信する。
と同時に心の中に安堵がおりてくる。
まだ戻れる。まだ彼女を止められる。
クリンは拒絶されるのを覚悟で、もう一度彼女の手を取り、手の甲に自分の手を重ねた。
「僕は誓いを忘れない。君たちを見捨てない、君たちを最後まで支える。……覚えておいてって言ったよね?」
「……」
「君が望む答えではないのかもしれないけど、僕にとって君は、ずっと大切な仲間だ。君が誤った道を進むというなら全力で止めるよ」
「……」
「ミサキ。君は誓いを忘れてしまったの? ……答えてよ」
重ねた手に思わず力が入って、きっと痛かったはずなのに、彼女はこの手を拒絶しなかった。
視線を交えたまま、数秒。
根負けしたのはミサキのほうだった。
「……よく、気が付きましたね。こんな短時間で」
一度目を伏せてふーっと浅い息を吐いたあと、彼女は再び目を合わせた。
その顔には困惑といった感情がありありと表されていたけど、さきほどの無表情だった彼女よりかはずっとマシだと思った。
「わたくしが一ヶ月も前に言った言葉を、覚えていらっしゃったんですね」
「……うん」
「本当に、あなたは賢い人。いやになってしまいますね」
「じゃあ、計画はあきらめてくれる?」
「それはできません」
クリンの質問に、ミサキはそれでも首を横に振った。
「わたくしはあの男を殺さねばならないのです」
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