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ソルダートは相変わらず食えない笑顔でミサキを見下ろしていた。その脇を、長い拳銃を持った護衛たちが守っている。
「ちっとも夕食に来てくれないから、こちらから出迎えに来たよ、ミランシャ皇女」
こんな状況であるにも関わらず、ソルダートの笑顔は穏やかで紳士的なものだった。
「……っ」
「ミサキ!」
ミサキがかんざしを抜き取った。瞬時に彼女の思惑を理解して、クリンはその腕をつかんで止めた。
彼女の殺意はじゅうぶん伝わったはずだ。だが、ソルダートは臆することなく高らかに笑った。
「やっぱり僕を殺そうと思ってた? 無駄だよ、その前に拳銃が君を撃ち抜くさ。まあ自国の武器に殺される皇女というのもなかなか趣があっていいけどね」
「……っ」
驚くことに、彼女の目論見はすでに見抜かれていた。
当然、疑問がふってきて、クリンはミサキを押さえつけながら尋ねる。
「どうして……わかっててなぜ僕らをここに連れてきたんですか!?」
無関係な人間からの質問に、ソルダートから投げかけられた一瞥は冷たいものだった。まるで邪魔をするなとでも言いたげに。
ソルダートはマリアの結界ぎりぎりまで歩み寄ると膝を折り、しゃがんでいるミサキと目線の高さを合わせた。
「君が生きているとわかって、本当に嬉しかったよ、ミランシャ皇女。僕はね、五年前のことをどうしてもどうしても君に聞きたかったんだ。ねえ、聖女たちの首を見た時どんな気分だった?」
「──っ!」
「貴様!」
「セナ、止めろ!」
衝動にかられたミサキを押さえ、と同時にジャックを制止するようセナに指示する。もともとジャックにつかみかかったままだったセナは、すでに彼を押さえ込んでいた。
「帝国の人間はバカばっかりだよね。いつまでもシグルスを植民地だと思って、舐めてかかってる。ずっと虐げられてきたシグルスが同盟を受け入れたのは、なぜだと思う? きみたちは庇護下に置くつもりだったんだろうけど、おあいにくさま。その魂胆を利用して他国から身を守らせてもらっただけだよ、生物兵器ができあがるまでの間だけね」
ソルダートはくくっと笑って続けた。
「だが生物兵器は完成した。シグルスが恐れるものは何もない。もう帝国に用はないよ」
「……っ」
「さっきから全然声が出ないね。おかしいな、まだ夕食は食べてないのに」
言葉を失うくらい激情に飲まれているミサキを見て、ソルダートは笑い、クリンは尋ねる。
「どうしてそんなにミランシャ皇女を目の敵にするんですか!? 彼女があなたに何をしたって言うんだ」
クリンのほうを再び一瞥し、ソルダートはまたミサキへと視線を戻した。
「何をしたって? 何もしてないよ。この平和ばかり語るイイコちゃんはね」
ソルダートとミランシャ皇女が初めて会ったのは、十歳だった皇女が皇帝に連れられてシグルスを訪問した時だ。
その時にはもう国家間で秘密裏に同盟の話が浮上しており、ミランシャ皇女とソルダートは暗黙のうちに婚約する流れが決まっていた。
「君は生物兵器の実験を目の当たりにして、おもしろいくらい怯えてた」
軍事国家であり他国から領土を奪ってきた帝国の姫が、生物兵器の実験を見て打ち震えている姿はいかにも滑稽だった。
帝国側が彼女を社交界デビューさせなかったのは、帝国にとっても彼女は平和主義者という異質な存在で、鼻つまみ者だったからだろう。
ソルダートはそれを理解し、彼女を「使える」と思った。
「僕がちょっとばかり優しくしたら、すぐ心を開いてくれたよね。生物兵器を止めるよう説得しませんかって持ちかけられた時は、虫唾が走ったよ。シグルスを長い間植民地として苦しめていた帝国の分際でどの口が平和を語るのかと」
「……っ」
「だから、聖女の首を使って教えてあげたんだ。お前の正義がどれほど愚かかってことをね」
「貴様!」
ジャックが剣を抜こうするのを、セナが抑止する。ソルダートの脇を固める警備兵が拳銃を構え、ジャックを警戒した。
「ねぇ皇女。僕を恨む前に、もっと憎むべき人がいるんじゃない? 僕らの内通者が君に毒を盛った時も、聖女狩りを扇動してやった時も、帝国側は見て見ぬフリでなーんにもしなかったじゃないか。さすがにあれには驚いたよ。でもよく考えたら、プレミネンス教会を目の敵にする帝国にとって、君の偶然の沈黙はメリットしかなかったもんねぇ。君は父親からも見捨てられたんだ、かわいそうに」
「……」
ボロッと、ミサキの目から涙がこぼれ落ちた。
「五年前に婚約を申し込んだ時、僕がやったって気づいたんでしょ? なのに婚約を受け入れるんだから、本当に驚いたよ。……僕を殺せば同盟を阻止できるとでも? 愚かだね、逆に君が手を下すことで、帝国側は責任を追求されることになるのに。僕らシグルスにとって有利に事が運ぶだけだって気づかなかったの?」
「……っ」
「残念だね、君の望む平和など未来永劫訪れない。君は仲間もろともここで始末されるんだ。僕を殺そうとした罪でね。ね、殺す前に教えてよ。……今、どんな気分?」
「──っ!」
怒りに任せて動き出したのは、ミサキでもジャックでもなかった。
「もういい加減にして!」
唐突に発現した白い光が、男たちの拳銃を包み込み、その形状をバラバラにさせる。マリアの術だ。
そのわずかに生じた隙を見逃さず、セナが警備兵を一人、二人と床に叩きのめしていく。
マリアは白い光を解き放った。
ソルダートの体はなすすべもなく後方まで吹っ飛び、壁に叩きつけられた。そのまま気を失ったのか、白目を向いて倒れているが、息はあるようだ。
打ち合わせたわけでもないのに完璧だった連携プレーに圧倒されながらも、クリンはいち早くミサキの異変に気がついて、マリアへ言った。
「マリア! もういい、移動の術だ!」
「えっ」
「ミサキが心配だ。早くここから移動を!」
突然の注文にもちろんマリアは戸惑っている様子だったが、ミサキの姿を見て理解して、皆の手をつかんだ。
ミサキはうまく呼吸ができないようで、顔を真っ青にしながら空気を貪っている。
「ジャックさん!」
ジャックはセナの手から解放されて自由になっていた。鞘から剣を抜くと結界から飛び出し、ソルダートへ向かった。
すかさずダガーを引き抜いて、セナがその剣を食い止める。
「どけろ! そいつだけは殺す!」
「……悪く、思うなよっ」
セナは隙をついて足を払い、ジャックを転倒させると、彼の首に手刀を叩き込んだ。ふっと意識を落としたジャックを担ぎ上げ、すぐさま結界を解いたマリアのもとへと駆けつける。
「どこに飛べばいいの!?」
「どこでもいい!」
「五人いっぺんなんてやったことないよ!」
「いいから早く!」
「ああ、もう、どうなっても知らないからっ!」
全員を光で包み込み、マリアは術を解き放った。
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