第二十話 悲しみの末に

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 彼女が毒に気づいた時はもう、遅かった。  体は動かず、食事も排泄もできず、当然自室から出ることは叶わなかった。  その間に皇女の発言は都合のいいようにねじ曲げられ、聖女撲滅運動は預かり知らぬところで始まって、やがて激化していく。  季節外れの収穫祭があるからと侍女に着飾らされ、連れてこられた場所は帝都の広場。  そこで目にした惨状に収穫祭の意味を知り、気が狂ってしまいそうだったのに、声どころか涙すら出なかった。唯一、目をそらすことはできたはずなのに、なぜかそれを自身に許してはいけないような気がして、その催事が終わるまでずっと彼女たちの死に顔を眺めていた。  毒による後遺症は数年に渡って続いた。その間も皇女は政治的に利用され続け、真実が明るみにでることはなかった。  動けない、声も出せない日々で、皇女の心はしだいに壊れていった。  では誰が毒を盛ったのか。  ミランシャ皇女がそれを知ったのは、婚約の申し入れに来たソルダートと再会した時だった。   「苦しそうだね、皇女。僕が助けてあげようか?」  その一言で……いや、正確には彼の目で、すべてを理解した。なぜなら自分のことを案じているようなそぶりを見せながらも、その目にひそませていたのが愉悦にまみれた悪意だったから。  そして彼は小瓶をひとつ、プレゼントしてくれた。それが解毒剤であることは飲む前にわかった。  ソルダートとは両国の関係上、何度も顔を合わせたことはあって、幼い皇女の話にも真剣に耳を傾けてくれる紳士的で優しい人だと思っていた。おそらく婚約者になるのだろうということも、子ども心に覚悟していた。  それなのになぜ彼がそんな態度をとるのかがわからなかった。  彼はそのままの顔で自身に婚約を申し込んだ。断られることを承知の上での求婚だと、むしろ「さあ、さっさと激怒してみろ」といった挑発がありありと顔に書いてあったが、皇女はその顔に気づかないふりをした。    目の前に用意された婚約というドア。それは皇女にとって地獄の入り口だ。  だが、そこから逃げることは許されない。なぜなら自分は、殺されていった聖女たちとともに地獄へ堕ちなければいけないから。  それならばせめて、この男も道連れにしてしまおう……。そして止めるのだ、多くの命を奪い去る生物兵器の開発など。この男の企みを、すべて。  十二歳。ミランシャ皇女は絶望の中で、彼を殺す決心をした。    彼女がすべてを告白し終えたあとは、静寂が室内を包んだ。  その間ずっとミサキと身を寄せ合っていたマリアもクリンも、互いに言葉を発することができずにいた。ずっと聞き役に徹していたセナも、同じように目を伏せているだけ。  当時、彼女はまだ十歳。誰かを案じたはずの優しい言葉は、悪意によってねじ曲げられて、利用され、多くの命を奪うという残酷な結末を連れてきた。その幼さで背負うには、あまりにも彼女の悲しみは重すぎる。  誰一人として、簡単にかけてやれる言葉など見つかるはずもなかった。    ミサキのすすり泣きだけが響く室内に、ふと、ジャックの呼吸が重なったのが聞こえた。  いつの間に起きていたのか。彼は床に仰向けで転がったまま、目こそ固く閉じられてはいたが、浅い呼吸を繰り返していた。おそらくミサキの話をすべて聞いていたのだろう、何かに葛藤しているのが見て取れる。 「ジャックさん……」  クリンが声をかければ、セナとマリアもつられて視線を移した。セナは警戒してダガーに手を添えていたが、引き抜くつもりは今のところないようだった。 「ジャックさん。……妹さんを殺したのは、ミサキじゃありません」  もうすでにわかっていることなのに、それでもクリンは改めて言いたかった。彼とも決着をつける時がきたのだ。  ジャックはゆっくり体を起こすと、一度クリンのほうを見たあとで、今度はその視線をミサキのほうへと移した。 「……わかっている。もう、じゅうぶん理解した」  そうつぶやいた彼の表情は、やはり浮かないものだった。ずっと敵だと思い続け、復讐を誓った相手が同じ被害者だったと知った彼の胸中ははかりしれない。だが、これで一件落着というわけではないのだ。彼の復讐が終わったわけではないのだから。  ジャックはミサキから視線を移すと、セナを睨んだ。 「あの時、なぜ止めた?」  彼の復讐相手は、ミランシャ皇女からソルダートへと移された。あの屋敷で、もしもセナが止めに入らなかったらソルダートは今頃ジャックに殺されていただろう。そして、ジャックの復讐はあそこで終わりを告げていたはずだった。 「止めなきゃ殺してただろ」 「おまえに関係ないだろう!?」 「……」  セナはさっとその顔を不機嫌にさせた。一瞬でダガーを引き抜くと、それをジャック目がけて撃ち放った。 「セナ!」  クリンの制止は遅く、それはジャックの頬をかすってすぐ後ろの壁に突き刺さった。 「おまえ、このダガー見てよくそんなこと言えるな」 「……」  その黒い鋭利なダガーにどんな意味が込められているのか、クリンは知らない。だがジャックは理解したようだ。眉間にしわを寄せ苦痛の表情を浮かべた時、つつつ、と彼の頬から血が流れ落ちた。 「かすり傷で済んだだけ感謝しろよ。クリンが受けた傷に比べたらかわいいもんだろ」 「……」  ハッと、気づいたのはジャックだけでなく、ミサキもマリアも同じだ。「ごめん、すぐ治すね」と、三人で身を寄せ合いながら、マリアはクリンの怪我を治癒し始めた。  クリンは全身傷だらけだった。ジャックに斬られた肩や首の他に、剣をつかんだ時の右手の傷。それからミサキにかんざしで刺された膝の傷、おまけにシグルスの教会で乱闘になった時に男に殴られた頬の怪我まで、しっかりと残っていた。本人も決して痛みを忘れていたわけではなかったが、騒動が続いてそれどころではなかったのだ。  だがやっと治療できることになった今になって痛みを実感してきて、我慢しようと思ったのに、少しだけ顔が歪んでしまった。 「クリンさん……」  震えながら声をかけてきたのは、ミサキだった。彼女はいまだにぽろぽろと涙を流しながら、その顔を真っ青にさせていた。おそらく、自分がしでかしてしまった罪を自覚して、罪悪感に襲われているのだろう。 「大丈夫だよ」 「……ごめんなさい!」 「マリアがすぐ治してくれるさ」 「ごめんなさい、ごめんなさい……っ」 「全然。痛くないよ」  まごうことなき痩せ我慢であったが、これ以上彼女の罪悪感を上塗りさせてしまいたくなくて、なんとか強気に笑ってみせる。「おまえも関係してんのかよ」とでも言いたげな、ななめ横からミサキへと送られてくるセナの視線がものすごく怖い。このブラコンがミサキを追及する前に話を変えよう。
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