第二十話 悲しみの末に

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「ソルダートはどちらにせよ……裁かれる運命にあります。けれどそれは聖女殺害ではなく……、ゲホッ」  咳まで出てきて、さらに意識は遠のく。けれど、ここで会話を終わらせるわけにはいかない。  部屋の埃も手伝って、はげしく咳き込んでしまい、喉が焼けるように痛くなってきた。気を遣ってミサキが背中をさすってくれたが、うつしてはいけないと思って離れるようにと手振りで伝えた。 「クリンさん」 「大丈夫。続きを……。今後、ソルダートは聖女殺害ではなく……生物兵器を開発した責を問われることになります」  ニーヴ大統領とその子息が秘密裏に行ってきた生物兵器の開発は、多くの命を奪うという結果で失敗に終わった。それも二度に渡ってだ。当然、シグルス国民が黙っているわけがない。新聞でも国民から批判の声が上がっていると記載されていたことから、彼らの政権は今後危うくなっていくだろう。 「それはそうだろうが、しょせん‘過失’だろう。裁かれるにしても国のトップだぞ、命まではとられまい」 「……ああ。君主制国家出身のお二人には、ピンとこないんでしょうね……」 「どういう意味だ?」 「共和制の政治っていうのは、民意で簡単に揺らぐんですよ。それが共和制国家のおもしろいところなんですけどね」  この世界にはいまだ君主制国家が多く存在している。そのため、叡智(えいち)の国と呼ばれるラタン共和国やシグルス大国の共和制度はまだまだ歴史が浅く、基盤が整えられて間もない。  シグルス大国は長きに渡ってニーヴ大統領の政権が続いてきたが、それは植民地時代から解放されたばかりの民衆がまだ共和制の体制に追いついていないからである。  だが逆に言うならば、シグルス大国はジパール帝国の植民地として長い間人権を抑圧されていた歴史がある。この国が独立宣言をした時に君主制ではなく共和制の道を選んだのは、何よりも「自由思想の権利」に重きを置いたからだ。 「ということは、ですよ。シグルスも一枚岩ではないはずなんです」 「ニーヴ政権とは思想の異なる者たちがいる、ということか?」 「いてもおかしくはありません」  そして彼らは、自分たちの意見が日の目を見るのを今か今かと待ち構えているはずだ。つまり、彼らの手で政権をひっくり返してやればいい。そしてニーヴ家への処分は彼らの手に託してしまえばいいのだ。 「それまでに民衆がソルダートに重い処分を望むように、しむけておけばいいんです」 「しかし、そんなことをどうやって……」 「君主制国家にこの言葉はありませんか? 『ペンは剣よりも強し』って」  そう、共和制国家には言論の自由がある。言葉のちからで民衆の思考を先導することはそう難しいことではない。 「ゲホッ、ゲホッ……」 「クリンさん」 「ごめん、へーき。ジャックさん……、レジスタンスの穏便派の方達だけ呼び集めることはできませんか? 文字通り、反政府運動を起こしてやりましょうよ、ただし場所は帝国ではなく、シグルスで」 「……穏便派だけ、というのは?」 「はい、武力行使はいっさいナシです。それでも、いつかソルダートを裁くことはできるはずです。‘剣’ではなく‘法’のもとで」 「なるほど。……具体的には?」  ジャックの目がわずかに光った。  確かな手応えを感じ、クリンは続ける。 「シグルスには情報発信機関が新聞一択しかないんですよね。おまけに一社しかない。だから情報に偏りがあるんですよ、民営化されているとはいえ、ずいぶん政府と癒着があるように見えました。……ゲホッ。きっと、生物兵器のことも現政府の都合のいいようにシナリオを書き換えられてしまうはずです。たとえば……『あれはすべて聖女がしくんだことだ』とか」 「……」  教会に現れたソルダートの言葉を思い出したのだろう、ミサキは眉間にしわをよせて渋い顔をしている。  生物兵器の暴走は聖女の力のせいだ、と彼は言ったのだ。結果的に誰かがマリアたちの活躍を広めてくれたおかげでその意見はなかったことになったが、もしもそうじゃなければ、今頃教会は非難の嵐だっただろう。 「なるべく早く、組織の人脈を使って民間から新しい情報発信できる機関を立ち上げてください。新聞でも雑誌でも、なんでもいい。政府とはまったく別の情報を民衆に流していくんです。そこで帝国の聖女撲滅運動に加担したことも書いてもらいましょう。今、民衆を助けたことで教会が少しずつ和解の道をたどろうとしている。同情票を集めて余罪を追及できるかもしれない」 「だが……どちらの意見を選ぶかはけっきょく民衆しだいだろう? 情報の出どころもわからない、民間企業の情報など信じるか? 多くのものが政府を信じるに決まっている」 「はい、だからこそ、同時進行でニーヴ家とは別の派閥の政治家を抱え込むこともお忘れなく」 「……なるほど。政治家対、政治家の情報合戦に仕立て上げるってことか」 「そうです」  水面下でニーヴ氏の政治に不満を抱いている国民は、必ずいるはずだ。ただ、現在までのニーヴ政権がそこまで問題が浮き彫りにならなかったということもあり、手探りな共和制度の中で対抗馬が出なかった。  シグルス大陸に上陸する直前、クリンはシグルスの歴史書に目を通していた時に、せっかく植民地から解放されたのだからもっと政治で遊べばいいのにと思ったことがある。だが当時のシグルスは独立後のインフラ整備と産業革命のほうに忙しかったのだろう。可もなく不可もなくだったニーヴ大統領の政治は安泰だった。 「一党独裁状態だったニーヴ家が、今やっと綻びを見せました。生物兵器という危険な存在を民衆に隠れて製造し、あまつさえ多くの命を奪ったんです。やつらに言い訳も立て直す時間も与えてはいけない。そのまま自滅の波に乗せてやりましょう」 「……」 「この戦いが簡単にうまくいくとも思えない。時間がかかるかもしれない。でも……七年も復讐を待ったんです。ジャックさんなら必ず成し遂げられるはずです」 「…………」 「やってみてくれませんか。どうか大人の力を見せてください」
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