第二話 振るうなら

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   (うね)がある程度整った時には、太陽はもう傾きかけていた。  五畝の小さな畑。更地から雑草を抜き、石を取り除き、固くて頑丈な土をシャベルで掘っては返し、掘っては返し……。  たまにナターシャが邪魔をしてきたり、シーラがお菓子を差し入れしてくれたので休憩したりしながらも、それはそれは途方もない作業だった。  セナは服が汚れてしまうのも気に留めず、畑の脇の茂みで寝っ転がっていた。さすがにヘトヘトだ。  雑草が頬をくすぐる。夕方のまろやかな風にのって、ギンの家から香ばしい匂いが漂ってきた。揚げ物だろうか。そう思った時、ぐぅ、と盛大に腹が鳴った。 「どうよ、少年。自分が作った畑は」 「どうって。収穫どころか、まだタネも植えてないんだから、嬉しくもなんともねえよ」  家からつまんできたのか、ギンの片手には鶏の唐揚げが乗った皿がひとつ。 「そんなことないさ。途中で投げ出すこともできたのに、ここまでやりきったじゃねえか。意外と根性あるんだな」 「……」  ギンは隣に座ると、大の字で寝そべって悪態をつくセナの口の中に、唐揚げをつっ込んだ。 「見てみろよ。なんにもなかった場所から、命を生み出す場所に変わったんだ。お前が変えたんだよ」 「……うま」  唐揚げを頬張れば、口の中で肉汁があふれだし、舌を刺激する。 「どうせ力を振るうなら壊すんじゃなくて、生み、育て、守ることに使え。せっかく人より高い能力があるんだ。お前は誰よりも『生み生かすヤツ』になれるよ」  見上げたギンの横顔は、出来立ての畑を誇らしそうに見つめていた。その視線を辿ってみる。ふっくらと整えられた、まっすぐの(うね)。みずみずしい土の色。ここに、どんな植物が育つだろう。   「おっさん。またここに来ていいか」 「当たり前だ。お前にはまだ正しい喧嘩の方法を教えてないからな」 「……喧嘩の方法に、正しいも何もあんのかよ」 「あるさ。知りたくなったらいつでも来いよ」  ギンはそう言って、またセナの口に唐揚げを押し込んだ。  翌日。  クリンとセナは背中に大きなリュックを背負って、ギンの家の玄関に立っていた。  ありがたいことに、ギンたちは一家全員で見送りに出てきてくれている。別れを惜しんでくれているのか、ナターシャは少しだけ泣きそうだ。 「次の目的地は決まったのか?」 「はい。グランムーア大陸へ。ギンさんが教えてくれたゲミア民族の里を訪ねてみようと思います」  ギンの問いに、クリンは答える。  どこかの地域に身体能力の高い民族がいるというギンの情報をもとに、クリンはセナが畑を耕している間、一日中王都で調べ物をしていた。  今まで人体構造や解剖学ばかりに注目していたが、遺伝子的要素も視野に入れるべきだった。セナの体の秘密を知る鍵が、もしかしたらそこにあるのかもしれない。 「そうか、遠いな。気をつけて行けよ」 「はい。ギンさんたちもお元気で。本当にお世話になりました」  クリンが深々と頭を下げる。  しかし、セナは頭を下げなかった。 「お前は最後まで礼儀がなってねえな」 「今生(こんじょう)の別れじゃあるまいし、しんみりする必要ないだろ」 「へっ」  憎まれ口を叩くセナの頭を、ギンは笑ってかき回した。 「いてっ。やめ、やめろよ」 「唐揚げの味、忘れんなよ。シーラの特製唐揚げだ」 「うるせえな。おっさんと違ってまだまだボケたりしねーよ」 「こいつ」  笑い声とともに、頭に置かれた手が離れていく。  セナはギンの顔を見上げた。  大事な言葉は気恥ずかしくて言えないから、その目にじっと、想いを宿して。  あの生き生きとした畑の景色を、そこで食べた唐揚げの味を、教わった大切なことを、セナはきっと忘れないだろう。  登ったばかりの太陽が、舗装されていない道に二つの影を作る。港へ向かうため、王都へ戻っている道中だ。 「セナの畑、何ができるんだろうなぁ」 「しらねー。どうせ何か育っても、おっさんたちに食われちまうよ」 「本当に、畑を作らされただけだったのか?」 「そーだよ」 「ふうん」  完成した畑の前での、あの会話をクリンは知らない。ただ、ギンの家へお邪魔するためにここを歩いた二日前のセナとは、その表情がまったく違っていた。だから、きっとギンが何かしてくれたのだろうと思ったのだが。 「すみません」  考えふけるクリンの前に、王都からやってきたのであろう旅人風情の男が小走りで駆け寄ってきた。  年は二十代くらいだろうか。よくある金髪に青い瞳。全身を覆う黒いマントは、この日差しの下では暑そうだ。 「お聞きしたいのですが、ここを行った先に何かありますか?」 「ああ、はい。民家がありますよ」 「民家ですか! 探していた人かもしれません。ありがとう、行ってみます」  男は簡単に礼を言って、クリンたちの横を通り過ぎて行った。その時ひらりとマントが揺れて、腰に帯びた剣が見えた。立派な装飾をほどこされた鞘の中心に、金の紋章が描かれている。  男はそのままギンの家の方へ走って行った。 「騎士っぽい。ギンさんの知り合いかな」 「さあ」 「……あの紋章、立派だったね」 「見てねー」  案内をしてあげたほうが良かっただろうか。そう思ったが、この小国から大陸へ渡る船はあまり便が多くない。自分たちはこのまま先へ進んだほうがいいだろう。 「ギンさんって、けっきょく何者だったんだろうな」 「人使いの荒いおっさんだよ」  セナはたいして興味がないようで、話をやめて先に歩き出した。  少しの間ギンの家の方角を見つめてから、やがてクリンも歩き出すのだった。
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