第二十話 悲しみの末に

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 風邪をひいた兄は、基本的にめんどうくさい。  まず、熱がなかなか下がらない。咳がうるさい。そのくせ一人を嫌う。 「セナ……いる?」 「いる」  なんなら全員いる、と言ってやりたいが、あとで恥をかけばいいと思ってセナはそのまま放置する。さきほどから何度繰り返したかわからないこの会話に、さすがにうんざりしてきた。このブラコンめ。  意識をさまよわせながら、孤独ではないことに安心した兄の顔はまるで幼な子のようだった。すでにシグルスの教会で兄のこのざまを知っていたミサキとマリアも、もう苦笑いでやり過ごすようになっている。  ちなみに、ジャックはもうすでにここを去ったあとである。マリアの術を借りて彼が飛んだ先はシグルスではなく、アルバ王都だった。おそらくギンと話し合い、そのままギンとともにシグルスへ向かうつもりなのだろう。ギンが協力してくれるといいのだが、それは心配するまでもないだろう。  ジャックが出て行ったことをクリンに告げれば、兄は少し泣きそうな顔をしていた。その顔には悲しみよりも安堵が表れていたので、ジャックの決意をすべてを理解したのだと思う。 「げほっ……げほ」 「マスク外すな、こら」 「あついー」  ぽいっとマスクを捨てるので、そのたびに無理矢理マスクを装着させ、汗を拭いて、冷たいタオルで(ひたい)を冷やしてやる。  めんどうくさいので放っておきたいが、厄介なことにこの兄は体調が悪い時のことをしっかりと覚えているのだ。ヘタにあしらって後から文句を言われるのはさらにめんどうくさいので、しかたなしに世話を焼く。 「そろそろなんか食べたほうがいいぞ。スープならいけるか?」 「……うん。いつもの〜」 「ミネストローネかよ……売ってるかな」 「セナの作ったやつがいい」 「はぁ? 家じゃねーんだから作れねーよ。我慢しろ」 「……じゃあいらない」 「……」  チッと舌打ちしながら、宿屋の厨房を貸してもらえるかお願いしてみようと立ち上がれば、その手を兄が引き止める。 「どこ行くの?」 「てめーが作れっつったんだろボケ兄貴」  ほんとめんどくせーな、と思いながら、黒歴史を上塗りしてやろうとミサキにクリンの手をつながせてやった。 「ちょっと待って。さっきから聞き慣れない言葉が飛び交ってるけど、確認させて」  部屋を出ようとしたセナを、まるで珍獣でも見るような顔でマリアが引き止める。 「あんた、料理できるの?」 「……」  マリアの後ろで、ミサキもものすごく不安げな様子でこちらをうかがっているあたり、コイツらが普段自分をどう思っているかがひしひしと伝わってきた。  まちがいなく、野生のサルにも料理ができるのかと言いたげな顔だ。腹立つ。  既出であるが、ランジェストン家は診療所と薬草園を営んでおり、父が医者で母が薬師(くすりし)である。言わずもがな、激務だ。おまけに長男である兄クリンはそのあとを継ぐため勉強や両親の手伝いに、これまた忙しい身。  当然、家事はヒマを持てあまして遊び腐っている、不出来な弟の仕事である。  もちろんそのことを家族に強いられたことはないのだが、セナは養子という引け目もあって自分からその役割を買って出たのである。洗濯や掃除はともかく、もともと食べることに目がないセナにとって料理は負担ではなく単純に楽しかった。  別に隠していたわけではない。スペックの高いランジェストン家の三人に比べれば、家事ができることなどなんの自慢にもならないため、誰かにひけらかすような意識がセナには存在しなかったのである。  とくに旅を出てからは料理をする暇などあるはずもなく、ただ単にミサキとマリアが知る機会がなかっただけなのだ。  できあがったスープをついでとばかりに全員にふるまえば、「普通に食べれますね」とミサキがまたしても真顔で失礼なことを言ってきた。一度こいつとはゆっくり話し合う必要がありそうだと思いながら隣を見れば、マリアなんか顔面蒼白になっているではないか。二人そろって人をバカにしすぎではなかろうか。  そしてイライラの根源である兄クリンはと言えば「食べさせてー」と言わんばかりに体を起こそうとしないので、ミサキにすべてを任せておいた。  あとから死ぬほど恥ずかしい思いをするがよい。  そんなふうにして、一行は久しぶりに穏やかな時間を過ごしていた。  記憶を蘇らせたばかりのミサキだけは、時折物憂げな表情を浮かべることはあったけれど……ソルダートの件については、ジャックにすべてを預けると心に決めたようだ。  彼女の心の傷は深い。だがマリアもセナも、特別なことは言わなかった。本人が時間をかけて向き合っていくしかないだろう。  さて。通常運転に戻ったクリンが羞恥心にもがき苦しむことになるのは、それから三日後のことである。
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