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初めて訪れた北半球は、もうすぐ陽が高くなる時刻だというのに肌寒かった。同じ秋でも、アルバ諸島とは違った空気感がある。
「マリアとの思い出がぎっしり詰まった場所を、こうしてクリンさんと歩くのは変な感じです」
人混みのなか、はぐれないように目いっぱい近づきながら、ミサキは隣で笑っている。だが、クリンはどんな顔をすればいいのかわからなくて、うまく笑顔は作れなかった。
念のため、彼女は頭にフードを被っていた。シグルスに続いて、この大陸にいる間も身を隠し続けなければいけないと思うと少々気の毒だ。
「ミサキは……この三日間、大丈夫だったのか? 頭痛とか、体調不良とかはない?」
記憶が蘇ってからまだ三日。あれほどの苦い記憶を掘り起こされたのだ、体調もしかり、心のほうが心配だった。
「そう、ですね。体調不良はありませんが、……」
人混みを避けながら、言い淀むミサキの横顔を盗み見る。当然だが、彼女にも何かしらの葛藤はあるだろう。ふとした拍子に襲ってくる負の感情もあるのかもしれない。
「つらくなったらすぐ言って。しっかり休憩を取ろう」
「……ありがとうございます、でも大丈夫です」
とくにあてもないまま、二人は賑やかな大通りを歩いて行く。
左右には大きな建物が建ち並び、さまざまな店が目についた。もう一本隣の道には露店が建ち並んでいるようで、食事をとるならそこへ行くのがいいだろう。まあ、セナなら真っ先にそちらへ行きそうなものだが。
「ミサキはどこか行きたいところある?」
「はい。なくしたイヤリングの代わりを探そうかと」
「…………」
彼女の目を見ることができず、ふいと視線をそらせば、目に入ったのはプレミネンス教会の建物。あの大きな教会に、忘却の術を使える聖女はいないものだろうか。
「赤はわたくしも好みではないので、別の色を探そうと思うのですが。クリンさんは何色がいいと思います?」
「……」
「やっぱり水色ですかねぇ。どんな宝石がありましたっけ」
この小悪魔。と言ってやりたいが、一言でも発すれば負けが確定してしまう気がして、貝のように口を閉ざした。
やがて彼女が連れてきたのは、小綺麗な雑貨屋。お姫様なのだからてっきり宝石店に行くのかと身構えていたのだが、そこはマリアのような若い女の子たちが好みそうな安価な小物がたくさん並んでいた。
「実は、マリアのペンダントのチェーンが錆びてきているので、交換してあげようかと」
「ああ……、なるほど」
「高級な宝石店でなくて安心しましたか?」
「……」
「あ、このシュシュもマリアに似合いそうですね」
ちょいちょい会話にはさんでくるの、本当にやめてほしい。なんとか仕返ししてやりたいが、自分が落とす言葉はどれをとっても自滅するだけだとわかっているから、何も言い返せない。
お姫様は今度はハンカチに目がいったみたいだ。
「女性ものが多いですね。クリンさんにお返しがしたかったのですが」
「ああ……」
そういえば、まだセナと合流する前にミサキにハンカチを貸したことがあった。たしか熱を出して嘔吐してしまった時だ。
「いいよ、別に」
「そうはいきません。あ、これなんかどうです? シンプルなので男性でも使えそうですね」
「あー……うん」
貸したハンカチはわざわざお金を払って買ってもらうような高級品でもなかったため、返す返事は曖昧なものにとどめておいた。それを持ってレジへ行く彼女を見送っていると、陳列棚に並んだ商品に目が止まった。
小粒の石がついた、可愛らしいイヤリング。サプライズは個人的に好きじゃない。
「お待たせしました。……あら」
やがて彼女が戻ってきたので耳もとでそれをあててみる。彼女の瞳と同じ色の宝石が、耳から二センチほど下でゆらゆらと揺れている。
「アクアマリンですね」
「ハンカチのお礼って言ったら受け取ってくれる?」
リーズナブルな店としてはそれなりに値を張る一品ではあるが、帝国のお姫様に贈るものとしては安物すぎて申し訳ない。けれど、自分は養われている身。とてもじゃないがブルーダイヤモンドなんて買ってやれないのが現実だ。
「嬉しいです。ありがとうございます」
ハンカチのお礼という大義名分をかかげて首を傾げれば、彼女はそれでもいいとばかりに微笑んだ。
これで、彼女の目的はみごと達成されたわけである。
そこから休憩もかねて遅めの昼食を取り、ミサキの気のむくまま洋服店や道具屋、露店などをぶらついてそれなりに楽しんだ。その間、二人は核心をつくような言葉をあえて避けていたように思える。
だが、太陽が傾きかけてきた現在。そろそろ「宿に戻ろう」という言葉が自然と出なければいけない時間帯だ。そんな時間だというのに、二人は大通りからかなり離れた公園にいた。
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