第三話 兄だから

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第三話 兄だから

   クリンとセナは、予定どおりグランムーア大陸へ行く船に乗り込んだ。大陸へは十日を要する。  初日は船中を見学してまわって、大きなラウンジや娯楽(ごらく)施設に二人そろって感動したり、広い食堂で食事を堪能(たんのう)したりした。  故郷から王都へ向かった船よりもずっと大きい船だったので、見学だけでじゅうぶん一日を使い果たせた。  二日目。じっとしていられない性格のセナは、またしても船内ツアーへ(おもむ)いたが、クリンはひとりで客室にこもっていた。  客室と言ってもホテルのような個室ではなく、大部屋に十二個の簡易ベッドを並べただけの、いわゆる大衆部屋である。そのため個人のスペースは、その狭くて固いベッドの上だけだ。  ただ、クリンは一度 調べものや読書を始めると周囲がまったく気にならないほど没頭できるため、一切のストレスを感じずに済んでいる。  クリンがベッドの上で広げたのは、自分のノートだった。昨日(さくじつ)王立図書館で調べものをした時に書き写したもので、そこにはノート一冊終わってしまうほどの情報が、びっしりと埋め尽くされていた。  ギンに教えてもらったゲミア民族についてはあまりにも情報が少なく、何冊かの本をまとめても、わずか十ページにも満たないほどであった。  ゲミア民族は、クリンたちが到着する予定のグランムーア大陸西部とは反対側の、大陸東部に隠れ里をもつ少数民族である。彼らはどこの国にも属してはおらず、排他的な意思を貫き、独自に文化を築きあげてきた。そのため里への立ち入りは、たとえ大国の王族でもあっても簡単にはいかないらしい。  遺伝的なものか伝統的な秘術があるのかは解明されていないが、ゲミア民族は一般的な人種よりもはるかに身体能力に長けており、そのため各国からは警戒対象と見なされている。  が、彼らは他の国と事を構える気がないらしく、その能力による被害は今のところ確認されていなかった。  わかった情報と言えばこんなものと、彼らが使用する言語くらいだ。果たして自分たちは、そんな特殊な民族と出会うことができるのだろうか。  一抹(いちまつ)の不安を覚えながらも、クリンはその情報をしっかりと頭にたたき込んだあと、今度は別の本を開いた。王都の本屋で購入した、二言語辞典だ。  ゲミア民族が使用する言語は、大陸東部のリストラル地方でおもに用いられるリストラル語である。当然自分たちのそれとは違うため、言葉を覚えなければならない。長い船旅の間に、この初級本くらいはマスターしよう、クリンはそう決心するのだった。  「やっと……。やっとついた……」  長い船旅を終えてついにグランムーア上陸へ上陸した兄弟は、まったく正反対の表情を浮かべていた。  弟は飽き飽きした長旅にげんなりとしており、その一方で、兄は学んだ言語を早く試したくてウズウズしていたのである。 「早く東部へ行こう! 早くしないと、覚えた言葉を忘れちゃうよ」 「待て待て待て。あせったところで、今日あしたで着くような距離じゃねーだろ」  そう、ここは東部とは真逆に位置する、グランムーア大陸の最西端である。大陸を横断するにはいくつかの国をまたがなけれならない。言語が切り替わるリストラル地方へたどり着くのは、早く見積もっても二ヶ月はかかるだろう。 「その間にゆっくり俺に言葉を教えてくれれば、復習になるって。俺はイチから覚える必要ないし、利害の一致ってヤツだな」 「ちゃっかりラクしようとするよなぁ、弟って……」  せっかくのテンションがだだ落ちである。  クリンは深いため息をついて、近くの乗合馬車を探すのだった。
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