第二十二話 コスタオーラ大陸

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 ひどい悪夢にマリアが目を覚ましたのは、アレイナを見送った日の真夜中のこと。  真っ暗な宿屋の一室。隣のベッドにはクリンが、足もとのベッドにはセナが眠っているようだ。一人部屋は心細いと、三人部屋を希望したのはマリア本人である。  アレイナを見送った直後、マリアはすぐに倒れてしまった。聖女の力を他者から受け取ることがここまで体に負担がかかるとは、本人も予想していなかったのである。けっきょく三人は宿をとることになり、今に至るというわけだ。  喉が乾いて水を飲んだあと、マリアはふらふらとおぼつかない足取りで部屋をあとにした。  静かにドアが閉まったあとで、すぐに体を起こしたのはセナである。  港の潮風が肌を刺す、深夜二時。無数の星たちが頭上を照らし、目の前に広がる海はまんまるな月を海面に映していた。  石のベンチに座って夜空を眺めているマリアの後ろ姿に、セナはできる限りいつもの声色で話しかけた。 「おいこら不良娘。こんな夜中に出歩いていいと思ってんのか?」  怖がらせたわけではなかったと思う。だが、マリアが一瞬だけ肩をびくつかせたのを見逃したりはしなかった。 「あ、セナ。ごめんね、起こしちゃった?」  それでも振り返ったマリアの顔はいつもどおりの明るいそれだった。今何を考えていたのか追及するのはやめておき、ごく自然に隣へ腰掛ける。  空を見上げれば冬の星座が視界いっぱいに広がっていた。 「へー、北半球では星座が逆さまに見えるって本当なんだな」 「そうなの? 星座ってよくわかんない」 「あー常識知らないもんねぇポンコツ聖女さんは」 「るさいわね、どっこいどっこいでしょ」  むーと下唇を突き出して夜空を眺めるマリアの横顔は、どことなく覇気がないように見える。  倒れてからの彼女は混沌とする意識の中で立て続けに悪夢を見ていたようだった。それがアレイナの力が発動したせいだということはすぐにわかった。うめき声をあげ、汗をかいて涙を流す彼女を、クリンもセナもただどうすることもできずに見守るだけ。その無力感のなかで、セナには思うところがあった。  だが自分は兄と違って、紳士的な言葉は選べない。 「あのさぁ」 「んー?」 「おまえ、俺に貸し三つあるの覚えてるか?」 「……あったっけ」 「てめえ」  なんのことやらと首をかしげるマリアに、セナは初めて騎士として巡礼に付き合った日のことを説明した。騎士のふりをする条件として、貸し三つ、すべてマリアが払うようにと約束したのだ。 「あー、あったわねぇ、そんなこと」 「三つ分、いっぺんにまとめて返してくんない? 今」 「わかった。いいよ、何?」  セナの口調がわりとあっさりとしたものだったので、マリアもそこまで気負うことなく続きをうながしてきた。だから次の言葉は彼女に想像以上の衝撃を与えたようだ。 「巡礼、やめろよ」 「…………は?」  ぽかんと口を開いたマリアの顔をまっすぐに見つめるセナの顔は、決して冗談で言っているのではないことを表していた。 「何言ってんの?」 「ミサキを迎えに行ったら、おまえたちもアレイナみたいに逃げろ」 「バカじゃないの」  冗談にしても笑えない、と返しながら、それでもマリアは笑った。重たくなってしまいそうな空気に気付きたくなかった。  セナはあえて言葉を紡がず、マリアからの返事を待つことにした。  冬の訪れを待つこの季節、吹く風は二人の体温を容赦なく奪っていく。冷たくなった指先を握りしめ、マリアは笑って言った。 「ごめん、いくら貸しでも、それは無理」 「なんで」 「だってあたし聖女だもん。任務を果たさなきゃ」  マリアの返事は予想通りだった。だがそれでも引き下がるつもりは毛頭ない。  アレイナと司教の話を聞いた時から、セナの心はもう固まっていた。  この子は絶対に死なせないと。 「おまえ、よく考えてみろよ。二十年前にリヴァーレ族が現れてから、プレミネンス教会は何人の聖女を巡礼に送り込んだんだ? 俺は知らないけどお前はだいたいわかってるだろ? でも誰ひとり成功した奴はいなかった。おまえだってどうせ無理に決まってる。無駄なんだよ、おまえがやろうとしてることは」 「やってみなきゃわからないじゃない」 「わかるだろ、おまえのポンコツっぷり見てたら。むりむり、諦めな」 「なんでそんなひどいこと言うの!?」  さすがにカチンときたようだ。語気を強めたマリアの声が、静かな港に響き渡って、あとから波の音が誤魔化していく。冷静さを取り戻そうと、マリアは二度、深い呼吸を繰り返した。 「何を言われても、あたしは続けるから。だってあたし聖女だもん。あたしの使命なんだもん」 「まだ洗脳とけてねえのかよ?」 「そんなんじゃ。やめてよ洗脳とか言うの。あたしはアレイナと違うよ、親のところに帰りたいって気持ちなんか知らない。生まれた時から聖女として生きてきたんだもん、他の生き方なんか今さらできないよ」 「だから死んでもいいって? ふざけんな」  マリアはびくっと肩を揺らした。 「おまえ、わかってんの? 巡礼が終わったら死ぬんだよ。その時のことちゃんと想像してんの? あとに残されるクリンやミサキのことは? 俺は? 巻き添え食って一緒に死ぬなんてごめんだからな」 「……っ」  ひどい言い草だと、自分でもそう思う。だが少なからずマリアには腹が立っていた。  まるで「ちょっと出かけてくる」とでも言うような気軽さで「巡礼を続ける」と言ってのけたことが。  三人の仲間の心を置き去りにして自己完結してしまったことが。  彼女にちゃんと考えてほしかったのだ、未来のことを。  アレイナの術を受け取って、悪夢の中で殺されていく聖女たちを見ていたはずだ。そこに自分の姿を重ねて想像することはけっして難しいことではない。このままでは殺されてしまうのだ。その力が強大であるからという、彼女自身がどうすることもできない理由のせいで。
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