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やがて涙を拭きながら、マリアが頭を起こした。
月明かりに伸びた二つの影が、ゆっくりと離れていく。二人の間に隙間風が生まれて、補い合っていた温度を容赦無く奪っていった。
「セナ……ありがとうね」
マリアがぽつりと言った。だがそれは返事のうちには入らない。だからあえて聞き流した。
「ありがとう。おかげで心が軽くなった」
「……」
「でも、ごめんなさい。あたしは聖女として、巡礼を続けます」
「…………」
彼女の選択を聞きながら、確実に落胆はしているはずなのに、心がそこまで急降下しないのは、どこかで彼女がこの道を選ぶとわかっていたからだろうか。
「あたしはきっと逃げた先で、笑って生きることはできないと思うんだ。立ち向かわなかったことを後悔して、きっと自分を責め続けると思うの。だから……あたしは誰かの命令とかじゃなく、あたし自身の意思で、世界を救いたい」
「……」
「ごめんね、セナ。でも、セナだけはなんとか逃がしてもらえるように、司教様に頼んでみるから。それとも……あたしの騎士をやめるっていう手も……」
「アホ」
「……」
ぴしゃりと言い放った二文字に、マリアはびくっと固まった。きっと怒られると思ったのだろう。もちろんここは怒ってやりたいところだ。人の厚意を無碍にしやがってバカやろうと。
だがどこかで納得してしまった自分がいるのも事実だ。彼女はいつだって前向きでひたむきだった。そんな彼女だから支えたいと思って、ここまで一緒にやってきたのだ。
「俺は司教に脅されてんの。育ての親を殺されたくなかったら巡礼を終わらせろって。どのみち俺は逃げられねーんだよ」
「……そんな。あたし聞いてないよ、そんな話」
兄とともにずっと隠していた事実を知って、マリアはあからさまにショックを受けたようだ。だが、悲しんでほしくて言ったわけではない。騎士を続ける理由を明確にして、彼女を安心させたかっただけである。
「だからお前と一緒。この調子じゃ、俺も巡礼が終わったら始末されちまうんだろうなー。不思議な力を持ってることには変わりないし」
「あんた、人には逃げろって言っておいて……」
「いいんだよ、俺だって俺の意思で決めたんだ。実父のこと知るチャンスだと思ってたし、その話がなくてもきっとお前の騎士になってたと思うし」
「なんで?」
「…………」
おっと。あやうく墓穴を掘りそうになって言葉を見失う。
「まあとにかくだ。お前が続けるって言うなら俺も続けるよ」
「……うん」
「でもな、俺の場合はどの聖女でもいいって言われてるから、おまえを逃がしたあとで他の聖女に仕えることもできる。俺のことはなんにも心配しなくていいから、おまえは急いで結論出す必要ないからな。ぎりぎりまで逃げ道があるってこと忘れんなよ」
「……やだよ」
「あ?」
「セナが他の聖女に仕えるのとか絶対にやだ。あたしが見つけ出したんだから。あんたはあたしだけの騎士だもん」
「…………っ」
一度高く跳躍した心臓は、正常な拍数を忘れて暴れ狂う。ぐわっと体温が上昇して、むくむくと湧き上がる高揚感に任せてうっかりと気持ちを吐露しそうになった。のだが、それをストップさせたのは自分自身。
落ち着け。勘違いするな。このポンコツに‘そんな意味’はない。
はっきり断言してしまうのも悲しいものではあるが、彼女が自分に特別なそれを抱いていないことを、セナ自身がちゃんと自覚している。ここで今の関係性をぶち壊すような言葉を口にしてしまったら、彼女にさらなる悩みの種を植え付けることになってしまうのだ。
「しゃーねえな。こうなった以上は一連託生だな」
どうやら、この言葉が正解だったようだ。それを聞いた彼女がいつものように嬉しそうに笑ったから。
だが、その先に待ち構える絶望を指をくわえて待っているなんてごめんだ。どうにかして、この手で未来をつかみとってやる。自分たちには頼りになる仲間がいるではないか。考えろ。まだ時間はある。必ず生き抜くのだ。
「あー、よかった」
セナが密かに絶望へ抗うと決意していた時、隣でマリアはほっと胸をなでおろしていた。
「実はトーマ様から、最後の巡礼だけはご一緒させてくださいって言われてたの。セナがいるから断ったんだけど、これでセナまで騎士をやめるってことになったらどうしようかと思っちゃった」
「…………」
「いひゃい、いひゃい。ほっへつねんのやえてよ」
ほら、みろ。言わなくて正解だった。
遠くにある絶望よりも、たった今自分を絶望に突き落とした目の前の聖女のほうがよっぽどタチが悪いと思う。
セナはしゅんと萎えてしまった心を奮い立たせ、だからこそ人は希望を抱いて生きるのだと、妙な悟りを開いてしまった。
いつか、彼女に想いを伝えられる日がくるのだろうか。その時は、またこんなふうな満天の星空のもと、だけど今よりおだやかに笑っていられたらいい。
黒一面に広がる金色の粒を見上げながら、セナはそう願っていた。
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