第三話 兄だから

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「すみません、息子がまたしてもご迷惑を……」 「いえ。とても楽しかったです、旅の疲れがとれました」  宿の仕事がひと段落したのか、ジーナがマルクを迎えにきた時にはけっこうな時間になっており、マルクはすでにクリンのベッドですやすやと寝息を立てていた。 「主人が亡くなってから、女手ひとつで育てているので……どうしても、寂しい想いをさせてしまっているみたいで。若いお兄さんたちに泊まってもらえて、ちょっとはしゃいでしまったみたいです。困った子だこと」  ジーナは眠っているマルクを重たそうに抱き上げる。困った子、と言いながらも、その顔はとても優しかった。 「お一人で……。大変なんですね」 「ええ。でも、この子が居てくれるから頑張れます」  息子の寝顔を見つめるジーナの顔は、慈愛に満ち溢れている。 「僕たちも楽しかったので、気にしないでください。旅のいい思い出になりました」 「そう言っていただけて何よりです。お二人、ご両親はご一緒じゃないみたいだけど……どちらまで?」 「……ちょっと、東のほうまで」  その質問にドキドキしながらも、クリンは不審に思われないよう、堂々と答える。ジーナはそれ以上追及することなく、「それじゃあ、ごゆっくり」と言って、部屋を出て行った。  二人きりになった部屋に、静寂が訪れる。  クリンもセナも、二人そろってジーナの出て行ったドアを見つめているあたり、考えていることは一緒かもしれない。  それは、両親のこと。 『調べたいことがあるので、しばらく家を出ることにしました。必ず二人で帰ってきます。ごめんなさい』  その置き手紙ひとつで、内緒で家を出てしまったことを、両親は怒っているだろうか。それとも、心配しているだろうか。  島を出て、王都から十日もかけて大陸にやってきた。  こんなに遠くに来てしまってから、ようやく両親のことを冷静に考えるなんて薄情だろうか。 「帰りたくなった?」  ぽつりと相方に聞いたのは、セナのほう。  弟は自身のベッドの上で片膝を立てて座っていた。その顔からは感情は読み取れない。 「セナは?」 「ズル……俺が聞いてんのに」 「その質問をするほうがズルイだろ」  どんな答えを返したところで、セナが抱えた負い目は拭ってやれない。  この旅はセナの旅だ。おそらく、巻き込んでしまった兄に多少なりの罪悪感を抱えているのだろう。けれど、旅に出ようと提案したのは他の誰でもない、この兄自身である。 「くだらないこと言ってないで、さっさと風呂入って寝よう。明日は朝イチの馬車に乗るんだから」 「……うん」 「大丈夫、すぐに帰れるさ。セナのホームシックもすぐ終わるよ」 「ホームシックになんか、なるかっての」 「はいはい」  軽く茶化しただけでムキになりかけた弟をテキトーにあしらって、クリンは風呂の支度を始める。  セナはそれ以上、何も言わなかった。  激しい地響きに目が覚めたのは、誰もが寝静まっていたはずの深夜だった。ドォン、ドォンと鼓膜を破るような重低音ととともに、その揺れはしだいに大きくなってきた。 「なんだ!?」  兄弟は飛び起きて、窓に駆け寄る。  外はまだ真っ暗だ。通りには、自分たちと同じように飛び起きたのであろう、寝間着のまま外に飛び出す人たちの姿があった。 「行ってみよう」  クリンとセナも急いで着替え、外へと飛び出す。百メートルほど先の真っ暗闇の中に、巨大な影が浮かんで見えた。 「なんだあれ!?」 「リヴァーレ族だ!」 「逃げろ!」  逃げ惑う人々の中からその名が上がり、クリンとセナは顔を見合わせた。旅を始めてからまだ二週間ほどだというのに、二回も遭遇することになるとは。  前回は船の上ということもあり、やむなく戦ったが、今回は不思議な術を操る聖女もいない。   「僕たちも逃げよう」  念のために持ち出したリュックを背負い、人の流れに沿って走り出す。  その間も、割れんばかりの地響きが鳴り響いていた。  背後から段々近づいてくるその音の中に、聞き覚えのある声がする。 「マルク! 早く立って! 立ちなさい!」 「ジーナさん!?」  振り返ると、まだ宿から出たばかりなのか、寝間着姿のジーナとマルクの姿が。どうやらパニックになった人々の群れに押されて、マルクが転んでしまったようだ。 「大丈夫ですか!?」  膝の出血はたいしたことなさそうだが、マルクは痛みと恐怖で立ち上がることもできないのか泣き叫んでいる。クリンが駆け寄って抱き起こしたところで、至近距離で激しい音が鳴り響いた。噴煙(ふんえん)が舞い、視界を白く染め上げる。   「きゃああ──!」  逃げ惑う人々から激しい叫び声が聞こえてきた。 「来た……!」  それは、まだ距離のあるここからでも確認できるほど、大きかった。  短い四本足で立つ、横長の巨大な塊。黒いまだら模様の斑点(はんてん)がついた緑の皮膚は、ワニのような(うろこ)がついている。ぎょろりとした目、そして横に裂けた大きな口からは、ピンク色の長い長い舌。まるで爬虫類を()したような、太い尻尾。  怪物は逃げ惑う人に狙いを定めると、その長い舌で勢いよく絡めとり、口へと運んだ。
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