第二十五話 絶望の淵で

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第二十五話 絶望の淵で

 辿り着いた先はグランムーア大陸にあるラタン共和国だった。  大通りにある噴水広場に突然現れた自分たちを見て、行き交っていた人々がギョッとしていた。  傾きかけた太陽の光が頭上から降り注いでいる。リヴァルの城は時間がわからなかったが、どうやらここは夕方らしい。まるで夢の世界から現実に戻ってきたような錯覚を覚えたが、安心したのはほんの一瞬のこと。 「すみません! どなたか医療従事者の方はいらっしゃいませんか!? 怪我人がいるんです!」  クリンは足を止めた通行人に向かって声をあげた。  自分たちはあの時の状態のまま、地面に座りこんでいる状態だった。セナの意識はすでになく、しかし腹部の傷からはじわじわと血があふれ出ている。すぐに開腹手術に取り掛からなければ、命が危うい。だが、もちろんクリンにその(すべ)は持ち合わせていない。 「誰か助けてください……! 誰か!」  ざわざわと聞こえる喧騒に向かって、なおも救助を懇願する。  だが頭を(よぎ)ったのは、シグルスで被弾したあの時の苦い記憶だ。誰も助けてなんてくれなかった。それだけではない、この長い旅でどれだけ他者の非情さを思い知らされたことだろう。 「誰か……お願いします、助けてください!」  それでも、目の前の命を──いや、弟の命を諦めるなんてできるわけがなかった。 「医者よ。看せてちょうだい!」 「!」  そこへ一人の熟年の女性が駆けてつけてきて、セナの容態を確認し始めた。 「俺は担架を持ってくる!」 「止血セットならここにあるぞ!」 「医学生ですが手伝えることはありますか!?」  次にはさまざまなところから声が上がって、若い男性や壮年の男性など、複数の大人たちが動き出した。彼らの動きに迷いは微塵も感じられず、全員が目の前の命を救うことに集中しているようだった。  彼らの真剣な様子に圧倒されながら、クリンは地面に座り込んだまま茫然とその光景を眺めていた。  これが医療最高峰と謳われた叡智(えいち)の国、ラタン共和国である。  彼らにとって人命救助は‘当然の義務’であり、目の前の少年が突然現れた奇妙な団体の一人であっても、そんなことは躊躇する理由にはならないようだ。  だが、クリンにとってこれは衝撃の光景だった。敵意を向けられることのほうが圧倒的に多かった旅だ。こんなふうに無条件に与えられた厚意など数えるほどしかなかった。本音を言えば、何一つ信用できない大人だらけの世の中に幻滅すらしていたところだ。 「おおい、担架もってきたぞ!」 「よし、近くの病院に運ぼう」 「あなたたちもいらっしゃい。怖かったわね」  ポン、と軽く背中を叩かれた拍子に、胸の中で勝手に作り上げていた氷の塊が融解されていくのがわかった。 「ありがとうございます……」  消え入りそうな声で発した言葉は、人命救助に徹する彼らの耳には届いていないようだった。  連れてこられた病院の処置室前の廊下。三人がけのベンチに女子三人を座らせて、クリンはそばで立ったまま処置室のドアを眺めていた。  ドアの向こうではセナが手厚い治療を受けているが、雑菌だらけの自分たちが中に入ることは当然許されなかった。  ずいぶん前に手のあいた看護師が「親御さんは」と尋ねてきたので、子どもたちだけで旅をしていること、聖女一行であること、それからコリンナと知り合いであり彼女に会いたいということを伝えた。  廊下の奥からバタバタと足音が近づいてくる。おそらくコリンナだろう。  そう思って足音のほうに顔を向けた時、心臓は高く高く跳躍した。 「クリン!」  息を乱して駆けてくるのは、自身と同じく薄い茶色の髪に深緑の瞳、中肉中背の中年男性──そう、父のハロルド・ランジェストンだった。 「父さん……」  なぜここに、という言葉は、父に抱きしめられたせいで出なかった。 「クリン。ケガはないか!?」 「ぼ、僕は大丈夫……」  滅多に取り乱したりしない父が、肩で息をして、ずいぶんと冷静さを失っているようだ。  父の肩越しに、心配そうな顔で廊下を歩いてくる白衣姿のコリンナが見える。偶然にも、父がコリンナに会いに来ていたのだろうか。  そんなことをぼんやりと考えながらも、父のぬくもりを素直に受け止める。 「そうか。無事で、本当によかった……」  洋服から漂う実家の匂い、父の声。成長期がきてからは抱きしめられたことなど皆無だったが、体はしっかりとそのぬくもりを記憶していたのかどこか懐かしく思えて、張り詰めていた糸がぷつりと切れてしまった。 「父さ……。セナが……セナが」  こらえる間もなく涙が勝手にあふれてきて、体が小刻みに震え出す。  セナがこんなふうになってしまったことが、全部自分のせいのように思えた。 「落ち着きなさい。セナは……まだ治療中か? 腹部に刺傷(ししょう)があると聞いたが。いったい何があったんだ?」 「……」  何がと問われても、逆に何から話せばいいのかがわからない。  そしてリヴァルの城でのできごとを、こんな場所で話すのははばかられた。  返答に迷っている自分の耳に、ドアの音が響いた。 「少年のご家族はいらっしゃいますか」  処置室から出てきたのは手術着を着た医師だった。 「父親です」と告げて医師のもとへ向かう父の姿を見つめながら、いやな予感がふってくる。
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