第二十五話 絶望の淵で

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3358f6f1-194c-48a7-9f50-38713292ef42   父が個人馬車を借りてくれたおかげで、村の知人に会うことなく家の前に到着することができた。  オレンジ色の屋根に、オフホワイトの壁。フラワーリースが飾られた木製のドア。たった四ヶ月しか経っていないのに、ずいぶんと懐かしく感じる。  馬車の音を聞きつけたのか、こちらが開けるよりも先にドアが開いて、中から母親のルッカが出てきた。  年齢は四十代前半。琥珀色の瞳に、高くも低くもない背丈。ゆるやかなウェーブがかかった赤茶色の髪は斜めに結んでいる。  旅に出る前となんら変わらない様子だが、少し痩せたような気がするのはクリンの気のせいだろうか。  てっきり父だけの帰宅だと思ったのだろう、家出同然で飛び出した放蕩息子たちを見て、母はその目を大きく見開いた。  第一声に迷っている長男と、父に支えられるようにして立つ沈んだ様子の次男。二人をまじまじと見比べ、母はぐっと感極まって、その手を振り上げた。  叩かれることを予想して硬く目を瞑る。だが、痛みはやってこなかった。  目を開ければ、なんとか衝動に耐えた母の瞳から大粒の涙がこぼれる。その瞬間を見てしまって、罪悪感が襲った。  母は振り上げた手をゆるゆると伸ばして、二人を両腕に抱きしめた。 「おかえりなさい。よく帰ってきてくれたわね」 「…………ただいま」  母の深い心配が伝わってくる。だけどどうしても、「ごめんなさい」という言葉は出なかった。  家の中は旅立つ前とほとんど変わらなかった。オレンジを基調とした温かいインテリア。カントリー調の家具。古びた暖炉。  父は診療所の経営に関しては無頓着で、患者からほんのわずかしか治療費をとらないから、正直あまり裕福とは言えない。全員が中に入ったら、こじんまりしたリビングは手狭になった。  母へミサキたちを軽く紹介したあとは、彼女たちは三人がけのソファで休んでもらい、ランジェストン一家はダイニングテーブルを囲った。母は全員に温かい紅茶を用意してくれた。  両親は根掘り葉掘り問いただすようなことはせず、子どもたちが一息つくのを待ってくれているようだった。  手厚く迎え入れてくれる両親には申し訳なかったが、クリンはここで家族だんらんをするために帰ってきたわけではない。セナを休ませてやりたいと思うのは本心だが、ここがセナにとって安らぎになるかどうかは、これからする両親との対話しだいである。  本当ならば、もう休みたい。  だが、クリンは心に喝を入れて、旅に出てからのことを語り始めた。  長い沈黙が部屋を支配している。「だからラタンに戻ってきたんだ」と最後に締めくくったクリンの言葉から、いったいどれほどの時間が経過したのか。  ダイニングテーブルの向こう側で、父と母は二人揃って難しい顔をしていた。ソファではミサキたちも心配そうにこちらを見守ってくれている。  旅の始めから今日までのことを、かいつまんで説明した。  ゲミア民族にセナの親族がいるのではないかと思ってグランムーア大陸へ訪れたこと。途中でマリアたちと出会い、セナが聖女の騎士になったこと。彼女たちの使命。コリンナとの出会い。  シグルスで巡礼を終えたあとはネオジロンド教国へ渡り、リヴァルに導かれるようにして彼女の城へ訪れたこと。  そこで知らされた真実と、見せられた残酷な光景。  すべてを話し終えたら喉はカラカラだったが、そんなことよりも心に降り積もった疲労感のほうが半端じゃない。  すっかり冷めてしまった二杯目の紅茶をすすり、クリンはちらりと左隣のセナを見た。  セナは相変わらず塞ぎ込んだまま、一言も発しようとはしなかった。もしかしたら何も聞こえていないのかもしれない。ぼんやりと伏せた目は、いったい何を見ているのか。    これから両親が何を語ってくれるかはわからないが、セナがこれ以上傷つくようなことがなければいいと思う。 「……次は父さんたちの番じゃない?」  いつまで経っても両親からの言葉がないので、クリンのほうから催促をしてみる。なんでもいいから話してほしい。そしてできることならこの不信感を取り除いてほしかった。 「すまない。少し混乱している」 「混乱?」  反芻(はんすう)すれば、父は長く重たいため息をついた。 「臓器移植に人工受精……。まだ医学界でも確立されていない治療法だというのに、それを実践してしまうとは。彼女は医学や生物学に心得があるのだろうか」 「……」  知らないけど、と返しながら、クリンはよくもそんな冷静に分析ができるものだなと斜に構えてしまっている。 「そんな光景を見せられて、さぞショックだっただろう。あちらの女の子たちも見たのか? みんな……つらい思いをしたな」 「そういうの、いいよ。父さんたちの話が聞きたいんだけど」  ずいぶんと投げた物言いになってしまった。  言っておくが、クリンは日頃からこんな態度をとるような子どもではない。どちらかと言えば従順で素直なほうだった。  だからこそそんなクリンがとった不遜な態度に、父と母は顔を見合わせて驚いているようだった。  言葉にはしなかったが、クリンはどうしても父と母に対する黒い感情が拭えずにいた。  両親から確かな愛情は感じている。だが彼らはずっとセナに対して不誠実だった。そもそもが、この両親がセナの事情をひた隠しにしていたことが元凶なのだ。  コリンナの言うことを真に受けているわけではないが、やはり何かの計画がと疑惑が浮かんでしまうのは、しかたがないことだと思う。  もしも彼らがリヴァルのように自分本位な考えでセナを養育したというのなら、自分は絶対にこの両親を許さないだろう。 「さて。何から話すべきか……。と言っても、おまえたちが知ってしまった情報に補足するくらいの小さなことしか、私たちは知らないんだが」 「……どういうこと? セナを引き取ったのは父さんたちでしょ? どうしてわざわざリヴァーレ族から生まれた子どもを引き取ろうなんて思ったの」  ごめん、セナ。と心の中で謝罪しつつ、言葉の包み紙を外してド直球で尋ねる。しかし父はゆるゆると首を振った。 「わざわざ、というのは違うな。あれは偶然だった」 「……え?」  ようやく父は、セナと出会った日のことを語り始めた。
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