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第二十六話 ランジェストン家での休息
クリンがミサキたちの泊まる部屋のドアをノックしたのは、その日の夜のこと。
夕食と風呂を済ませて、あとは寝るだけといった時間帯だ。
「不自由してない?」
「はい。至れり尽くせりで申し訳ないくらいです」
「うん! ご飯も美味しかった。セナも食べればよかったのにね」
セナは診察室で念の為の診察を受けたあと、自室で休むことになった。クリンと同室なのでちょくちょく様子は見ているが、ずっとベッドにこもって、会話という会話には至っていない。
「二人には迷惑かけたな。本当にごめん」
「そんな。クリンさんが謝ることではありません」
「そうだよ」
「ありがとう……。マリアのペンダントのこと、忘れたわけじゃないから。必ず取り返そう」
「うん。そうだ、クリン。この子のことなんだけど」
マリアが視線を移した相手は、青い髪の少女だ。
この子がリヴァーレ族であることは、両親にも説明済みである。だが、今のところ危害を加えてくる様子がなさそうだということで、この子の今後については保留になった。この子が睡眠をとるかは定かではないが、部屋は女子チームが引き取ると言ってくれたので、迷いに迷ってお願いすることになった。
「名前つけちゃったんだけど、いいかな?」
「え、名前?」
「うん。ディクスにした! 小さい頃大好きだった絵本の主人公なの。青い髪がそっくりなんだ」
「いいけど、……ディクスって男の子の名前じゃないか?」
「えっ? そうなの!? どうしよう……ディクスはいや?」
マリアがぴょこんと首を傾げれば、青い髪の少女もぴょこんと首を傾げた。それを否定とみなし、マリアは「いやじゃないって!」と勝手に結論づけてしまう。そうして少女の名前はディクスと命名された。
どうやらミサキとマリアはこの子と打ち解けてしまったようだ。リヴァルの城であれほどの恐怖体験をしたというのに、少女たちの心の強さには驚きである。
だが、クリンは心穏やかではいられなかった。
ディクスはリヴァーレ族である。マリアの任務がリヴァーレ族の殲滅ということは、この子もその対象であるということを、わかっているのだろうか。
じっとディクスを眺めていると、視線を感じたのか目があった。
こうして見ると、本当にセナの小さい頃によく似ている。そのせいか、たしかに親近感は否めない。
「セナのこと、助けてくれてありがとうな」
少女はこくんとうなずいた。思わず頭を撫でてしまって、ミサキたちのことは言えないなと反省してしまう。
「あの、クリンさん。お耳に入れておきたいことがあるのですが」
「え?」
マリアがディクスにじゃんけんを教えているのを横目で見ながら、ミサキは話題を切り出した。
「実はリヴァルさんのことで……。あの、たいしたことではないのですが」
「リヴァルさんがどうしたの?」
「彼女はおそらく、リヴァリエ・ユマ・ヴァイナー様だと思うのです」
「……ヴァイナー?」
クリンは眉を寄せた。ミサキの本名はミランシャ・アルマ・ヴァイナーだ。つまり……。
「はい、現皇帝……ヴァイナー皇帝の妹君ではないかと思うのです」
「……つまり、ミサキの叔母さんにあたるってこと?」
「はい」
これは驚いた。まさかこんなところで繋がりが生まれるとは。
「実は私がペンダントと一緒に呼ばれたあの場所は、私が過ごした皇宮にそっくりだったんです。不思議に思っていたところに、リヴァルというお名前を拝聴しまして、もしかして……と」
「なるほど……」
そういえば、ミサキはたしかにあの宮殿で考え込んでいた時があった。
「リヴァリエ様がまだ子どもの頃のことです。聖女としての力に目覚め、嫌がる彼女をプレミネンス教会がなかば強引に皇宮から連れ去ったのです。父は妹君が拉致されてしまったことを大変嘆いて、その日のことを『皇室の悲劇』と名付けました。それからです。帝国がプレミネンス教会と敵対するようになったのは」
「そうだったんだ」
そういえば、ミサキはマリアの小屋で『皇室の悲劇を繰り返してほしくなかった』と言っていた。
帝国と教国、国家間の諍いにリヴァルが関わっていたなんて。
「だからと言って、私たちの旅にはまったく関係はありませんが。……念のため、お知らせしておこうと」
「ありがとう。……ミサキは大丈夫か?」
「ええ」
ミサキが毒を盛られて聖女撲滅運動の先導者に仕立て上げられた時、ソルダートが裁かれなかったのは、プレミネンス教会を憎む皇帝にとって好都合だったからだろう。
心配してうっかり彼女の頬に手を伸ばしそうになったところを、真横からマリアとディクスの純粋な眼差しに気づいて押しとどまる。危なかった。
「それじゃあ、今夜はゆっくり休んで。何か困ったことがあったら起こしてくれていいから。じゃあ」
マリアが「あの二人は恋人っていう間柄なんだよ」とディクスにご丁寧に説明してるのを聞き流しながら、話を切り上げて退室する。
その後ろをミサキがついてきたため、狭い廊下に二人きり。
「クリンさんも疲れた顔をしていますよ。さすがに今回は、あなたも堪えたのでは」
「……大丈夫」
「私の前で強がる必要はありません」
ミサキの手がのびてきて、そっと前髪を撫でてくれた。その心地よさに、気持ちが和らいでいくのを感じる。
「じゃあ、ちょっとだけいい?」
ゆるゆると腕を伸ばしてミサキの体を包み込み、額をくたりと彼女の肩に預ける。応じるように、彼女の手がそっと背中を撫でてくれた。
目を閉じればあの地獄のような光景と、セナの涙が脳裏に浮かび上がる。
弟が苦しんでいるときに自分ばっかり癒されて、小さな罪悪感が胸をヒリヒリとさせた。けっきょくその抱擁は、長くは続けられなかった。
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