第二十六話 ランジェストン家での休息

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6cda1293-7ed3-466c-8b1d-0f4ca8c570f7  コリンナにすべてを話そう、とクリンが父に進言したのは、翌日の朝だった。  休診の札を入り口にさげた診療所には、クリンと父の二人きり。消毒液の匂いに包まれながら、二人は椅子に腰掛けて向き合っている。  議題はセナの体質のことだ。原因はわかったが、いまだ解決には至っていないのである。   「わかっているのか、クリン? それはとても危険な賭けだ」 「コリンナさんは差別や迫害をするような人じゃないよ。きっと助けになってくれる」 「たとえ彼女がそうだとしても、研究に携わるすべての人がそうとは限らない。セナの命そのものが危険に(さら)されるかもしれないんだぞ」 「……父さん、あの時ラタンにいたのは、本当にコリンナさんの研究を奪おうしていたからなの? 下手をすれば捕まってたかもしれないのに」  父は無言で肯定を示した。だが、ラタンでそれを聞いた時に抱いた不信感はもうやってこなかった。  すべてはセナを守るためだったのだと、今ならわかる。   「でも、何もしなければセナはずっと苦しいままだ。年齢が上がるとともに凶暴化する頻度も上がってるし、リヴァルさんのせいでセナの目は赤いまま戻らなくなってしまった。……このまま放置するのは危険すぎるよ」 「……」  父はそれでも賛成しかねるのか、眉間にしわを寄せていた。 「父さん。マリアがリヴァーレ族殲滅の任についているのは伝えたよね」 「そうだったな。……そうか、その懸念もあるのか」 「うん。マリアは気づいてないけど」  セナの体には聖女の術の成分が混入している。マリアが最後の巡礼でリヴァルの生命力を絶った場合、セナの体にどう影響を及ぼすかまったく読めないのだ。最悪は命まで消滅してしまうかもしれない。 「セナの体の中から、リヴァルさんの聖女の力だけを取り除きたい。できないかな?」 「……夢のような話だな。そもそも聖女の力そのものが未知数すぎる。化学でも医学でも証明していないものを、どう対処すればいいものか」 「だから、それをコリンナさんと話してほしいんだよ」 「うん……。聖女の力、か……。さすがに、今までその領域に踏み込もうとした研究者はいなかったな」 「じゃあ父さんとコリンナさんが初になればいい。セナのためにできることは隠匿(いんとく)じゃない、一緒に立ち向かうことだ。ここで動いてくれなかったら、僕は父さんを一生軽蔑するよ」 「……」  子どもみたいな脅しをしてしまったが、父にはこたえたようだ。ふっと微笑んだその笑みには、寂しさが宿っていた。 「わかった。セナがもう少し回復したら、コリンナと話してみよう」 「ほんと? ……ありがとう」 「まだ子どもだと侮っていたが、クリンも言うようになった。思いの外、胸にくるものがあるな」 「すぐ子ども扱いする……」 「ところで、昨夜は寝てないな? ひどい顔色だ。抗酸化作用のある栄養剤を出すからしっかり飲みなさい」 「……はあい」  父の顔になったり医者の顔になったり、ずるいなあと思いながら、素直に従ってビタミン剤を受け取る。  昨夜はほとんど寝られなかった。目を閉じればリヴァルの城で見たあの光景が浮かんで、胸がムカムカした。セナも同じだったようで、悪夢で飛び起きては嘔吐を繰り返していたから一晩中介抱していた。 「そんなことより父さん、セナは?」 「ルッカと出かけた」 「ふうん」 「待ちなさい、クリン」  セナを探しに行こうと立ち上がったところへ制止の声が落とされて、クリンは椅子へと逆戻りした。 「セナのことが心配なのはわかるが、クリンもしっかり休みなさい。長い旅の疲れもあるだろう。心の整理はできているのか?」 「……」  大丈夫、とテンプレートな答えは喉まで出かかって、引っ込んだ。  心の整理など、できているわけがない。子どもたちだけの旅で、自分はいつだって兄として司令塔として、仲間を先導してきた。だけどこの旅路は学校の問題集と違って正解なんかひとつもわからなかった。 「父さん。……僕がしたことは、間違いだったのかな」 「……」 「僕のせいで……セナがとても……酷な想いを……」    言葉にしたら心の奥底にひそませていた感情までつられて顔を出してきて、涙腺を刺激する。なんとか押しとどめようとした自分へ、「我慢せずちゃんと泣きなさい」と、父が清潔なタオルを渡してくれた。  それを顔に押しつけたら、もう涙をせき止めることはできなかった。ボロボロボロボロと流れる涙をそのままに、頭の中では後悔や情けなさ、自身への憤りがぐるぐると回っているのを自覚する。  もっとできることはなかったのだろうか。セナを傷つけずにいられる方法はなかったのだろうか。旅に出ようなんて言わなければよかったのだろうか。  どこで間違えたのか、どうすれば正解だったのかなんてどれだけ考えてもわからない。選択をするということがこれほどに重たく、おそろしいことだなんて知らなかった。  無知で愚かで無力な自分が大きらいだ。    しばらくその場で泣き続けた。父は何も言わずに背中をさすってくれていたけれど、けっきょく正解を教えてはくれなかった。  どうせボサッとしてるなら手伝えと、セナが母親のルッカに引きずられるようにしてやってきたのは、薬草園だった。  母は人の手を借りて薬草園を手がけつつ薬も製造しなければならないため、クリンもセナも幼い頃から薬草園の手伝いをさせられていた。  しかし母が連れて行ったのは、広い薬草園から少し離れた場所にある林の奥だった。もちろん勝手知ったる故郷、そこにも薬草があることはセナにもわかっていた。  見晴らしのよい高い崖、目の前には青い海。真横を見渡せば白い砂浜が広がっており、子どもの頃からよくクリンと遊んだ思い出がある。悔しいことに泳ぎは兄の方が得意だった。  崖の手前に自生している薬草は、セナ専用の治療薬になる。しかし、クリンもセナもその理由までは知らなかった。 「ここにね、あなたのお母さんが眠っているのよ」 「……」 「崩れ落ちた砂をかき集めて、ここに埋めたの。お墓は建てなかったけど、供養のつもりでね。そうしたら見たこともない薬草が生えてきた」  驚いたことにセナにはその薬草しか効果がなかった、とルッカは薬草を眺めながらつぶやいた。 「手入れなんか何もしていないのに、薬草はずっとここに生息し続けている。……成分の研究をしたいと思ったこともあったけど、やめたわ。同じ親として敬意を払いたかったの」  ルッカは死者への祈りを捧げたあと、その薬草に触れた。 「あなたが採取しなさい。きちんと感謝して」 「……」  釘を刺されてしまったせいでいつものように無遠慮に引き抜くことは躊躇われ、セナも形式的に祈りを捧げる。  それからはルッカと二人、黙々と薬草を摘んだ。二人を包む潮風は優しかった。
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