第二十六話 ランジェストン家での休息

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 ディクスは不思議な子だ。  赤い瞳にショートカットの青い髪。左腕は肩のところから喪失しており、足はやや不自由。声帯がないのか、それとも動かないのか、声は出ない。表情は乏しいが、痛覚を感じた時に顔を歪めていたことから神経回路は機能しているようだ。温冷覚もごく一般的なそれである。  マリアが遊び心で「ニコー」っと笑顔を教えれば、「ニー」とガタガタの歯を見せるようになった。学習能力もそれなりにありそうだ。マリアとミサキがさまざまな遊びを教えたが、吸収率はなかなかのものである。  そんなディクスはミサキが作った水色のワンピースをいたく気に入ったようで、そればかり着ている。    特筆すべき点は、リヴァルが作り出したリヴァーレ族だというのに破壊行動がないことだ。それも、ディクスを通してリヴァルが監視をしているのではないかと尋ねれば、ディクスは首を振った。  しかし城を訪れた当初は自分たちを攻撃してきたはずである。リヴァルの命令でマリアを襲ったこともあった。  では、いったいどこで彼女は変わってしまったのだろうか。 「今日は何をして遊んだんだ?」 「ゴムボール遊び。ディクスってば、ミサキより投げるの上手なんだよ」 「運動音痴ですみませんね」  クリンの質問にマリアが答え、ミサキがすねる。両親がニコニコと子どもたちの会話に聞き入りながら、なかなか食事が進まないセナに一口二口でも食べさせようと注意を促す。ルッカの強制労働とハロルドの医学療法のおかげか、セナは少しずつではあるが、回復の兆しを見せていた。  ここしばらくのランジェストン家は平和なものだった。全員が食卓を囲う光景にも、もう慣れたものである。  しかしディクスは睡眠も食事も摂らないので、食事の際はひとりソファに座って、丸めた新聞紙を上に投げてはキャッチするという遊びを繰り返している。   「そういえば、ディクスのことで気になることがあるんだけど」  と切り出したのはマリアだ。話を聞けば、どうやらディクスはしきりにマリアへ治癒術をかけるというのだ。 「治癒術? マリア、どこか怪我でもしたのか?」 「ううん、なんにも。だから不思議なのよ」 「うーん。治癒術をかけるのが好きなのか……?」  首をひねってディクスを見やる。自分のことを話しているのにも関わらず、ディクスは素知らぬ顔で新聞紙と遊んでいた。 「……逆に、かけてあげたら?」  セナ同様、ディクスにも治癒術は効かない。だからこれはただの思いつきだったが、マリアはクリンの言葉に素直にうなずくと、早々に食事を終えてディクスのもとへ向かった。  そこで、驚くべき事態が起こった。  マリアがディクスに治癒術を施したとたん、ディクスの体全体が真っ白に発光し、部屋中を白く染め上げた。思わず閉じた瞼の上からも、その強烈な光が伝わってくるほどだ。  やがて光が消失して目を開ければ、クリンとミサキはあまりのことに立ち上がり、両親も言葉を失って凝視していた。  ディクスに、なかったはずの左腕が存在しているのだ。   「……マリア。何やった?」 「えええっ? あたしは何もやってないよぅ。ただの治癒術だもん」  治癒術をかけた本人にもこの状況が飲み込めていないようで、両手をぶんぶん振って慌てている。 「どこか痛いところはないかい?」  父がディクスの真新しい左手を取って、まじまじと眺める。日焼けをしていないせいか、右手よりも肌の色素が薄かった。  ディクスはふるふると首を振っている。その後、父の指示に従ってグーやパーをしたり腕を上げたりと、関節や筋肉の運動に問題がないことを証明した。    マリアがディクスに治癒術をかけたのは、これが二度目だ。  一度目はリヴァルの城で、セナに突き飛ばされたディクスがリヴァルの投げた槍を受けた時だ。しかし、あの時も左肩だったはずだが、ディクスの腕はそのままだった。  ひとつだけ思い当たる節があるとすれば、マリアのラーニング能力だ。リヴァルの生命を産み出す術を、知らず知らずのうちに覚えてしまったのではないだろうか。治癒を再生とするならば、今のは生成にあたるのかもしれない。   「試しに……試しにだよ? なんか作ってみないか?」 「なんかって……」 「こら、クリン。滅多なことを言うもんじゃない。命を産み出すなんて気軽にやっていいことじゃないだろう」 「……はい、ごめんなさい」  父にたしなめられてセナの立場を思い出し、クリンは猛省した。目の前の探究心にとらわれて大切なことを忘れるところだった。 「マリアさん。あなたの力はたしかに素晴らしいものかもしれない。だが……時にそれは恐ろしい事態を引き起こしかねない。使い方と使いどころを間違えてはいけないよ」 「はい」  父の言葉に、マリアは引き締めた表情でうなずくのだった。  クリンは言葉にこそしなかったが、ある推論が浮かんだ。  リヴァルがディクスを操れなくなったのはマリアがディクスに治癒術を施したあとだった。それはすべて、マリアの力が関係しているのではないだろうか。  リヴァルはそうとうな力の持ち主だったが……マリアの力は育てようによってはさらにその上をいくのかもしれない。  二十年、いまだ誰も成功したことのないリヴァーレ族殲滅という任務の聖地巡礼。マリアならば、あるいは……。  
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