第三話 兄だから

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 さすがに息が切れてきた。疲労感を感じながらも、セナはまだ屋根の上を逃げ回っていた。終着地点もなく(おとり)を続けるのは、こんなにも疲れるものだったのか。    逃げるだけではキリがないので、何度かこちらから攻撃をしかけてみた。だが、緑の皮膚には薄い粘膜が張られており、ぬるりと拳をすべらせてしまう。さらにその下には固い皮膚。  加えて、相手の攻撃をかわさなければ一瞬で食われてしまうため、無茶はできない。今のところ打つ手なしだ。 「……さあて、どうするかな」  こんな危機的状況下でも、湧き上がるのは高揚感。だが、セナはそれを胸の中に封じ込めた。  いけないいけない、「ちからを振るうなら、生み生かすため」だ。戦いを楽しむためにここにいるわけではないのだから。 「そうは言っても、だな」  村はずれまで来ると建物も少なくなって、屋根づたいで移動することもできなくなってしまった。その先は平野である。したがって建物を盾にして攻撃から身を守ることも、もうできない。   「楽しんでる余裕はなさそうだ」  相手を見上げれば、餌を前にして興奮する怪物が、余裕そうに自分を見下ろしている。正面は危険だ。  伸びてきた舌をよけ、怪物の横へ横へと移動する。回避しながらも、目や口に石を投げたり、足の爪先を狙ったりと弱点を探したが、ちっとも効いている様子はない。  そのまま怪物の横をすり抜け、背後にまわる。ここならどうだと、尻尾に狙いを定めて拳を振りかぶった時、 「!」  尻尾が突然 真上に伸びて、勢いよく地面に急降下した。叩きつけられた地面にヒビが入り、砂けむりが周囲に舞い上がる。   「あっぶねー」  幸い尻尾に叩き潰されることなく、ギリギリのところで避けることができた。  が、ホッとしたのも束の間。  気がつけば、怪物が真正面からセナを見下ろしていた。  ──まずい。  一瞬の硬直を悟られ、好機とばかりにトカゲは大口を開ける。    ──食われる!  そう思って歯を食いしばった時、聞き慣れた声が空に響いた。 「セナ──!」  怪物とセナの間に割って入るように飛び込んできたのは、片手でつかめるサイズの石だった。それからすぐに、大勢の足音が聞こえてくる。  トカゲを警戒したまま横目で確認すれば、クリンとともに、武器を構えた男たちが「うおおお」と雄叫びをあげながら突進してくるではないか。 「クリン!」 「セナ!」  怪物が気をとられている隙に、セナはピョンピョンっと怪物の視界から遠ざかり、クリンと顔を見合わせて互いの無事を確認する。なんとかしなければと思っていたが、まさか援軍が来るとは予想もしていなかった。  しかし弟が感謝の言葉を口にするよりも、兄の説教のほうが早かった。 「このバカ! 本当に無茶ばっかりするよな、お前は」 「へへ」 「笑い事じゃない!」    その間にも村の男たちが必死にトカゲを相手取ってくれている。 「クリン。あいつ、全然攻撃が効かない。なんか表面がヌメヌメしてて、手が滑るんだ。目も、爪先もダメだった」 「そうか……」  一人の男が槍を飛ばしたが、トカゲの皮膚を貫くことなく弾き飛ばされてしまった。素手ではなく武器ならばと期待してみたが、ほとんど効いていないようだ。怪物は突然周囲を囲まれ、狙いを定め切れず右往左往している。  しかし、あの舌は厄介だ。 「そうだ! 舌を切れないかな」  外側がダメでも、内部はどうだろう。  クリンは自身のリュックから小型のナイフを取り出した。セナの威力なら、これでも十分切れるかもしれない。 「やってみる」  セナはそれを受け取ると群れの中へ走っていき、助走をつけて高く舞い上がった。怪物の視線がセナを捕らえたタイミングで、勢いよくナイフを真横に引けば、ザシュ!と小気味良い音がして、舌からどす黒い血液が吹き出す。が、表面の硬さにナイフのほうが勝てず刃が折れてしまった。 「ちっ」  舌打ちとともにナイフを投げ捨て、セナが地面に着地しようとした刹那(せつな)、怪物の尻尾がセナをなぎ払った。 「セナ!」  トカゲは舌を傷つけられて怒り狂っているようだ。荒々しい動きで暴れ狂うのを、男たちがなんとか食い止めている。  鈍い音を立てて横に吹っ飛ばされてしまった弟のもとへ、クリンは絶望を感じて駆け寄る。 「セナ、セナ!」 「大丈夫だ……」  しかしセナは痛みに耐えながらも、再び立ち上がることができた。頬と腕にすり傷はできていたが、大した怪我もなく意識もハッキリしているようだ。  普通、あの勢いなら死んでるんじゃ……。  ホッとしつつも弟のあまりの頑丈さに苦笑した時、クリンは忍び寄る影にハッと息を呑んだ。  見上げれば、すぐ眼前に迫りくる怪物の尻尾。身構える暇もなく振り下ろされたそれに、クリンは目を閉じる。 「この……っ」  セナがクリンの前に立ちはだった。  腕を交差して両足を踏ん張り、なんとか()き止めてくれたおかげで二人は押し潰れることなく、事なきを得る。  その弾みで地面から噴煙(ふんえん)が立ちのぼり、クリンは風圧に目を細めながらも、煙の下から怪物の姿を盗み見て何かに気がついた。   「ん?」  まだら模様のせいで見えにくいが、怪物の首元より斜めうしろの部分に、(うろこ)とは違った薄い線が見える。  あれは……。
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