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「いた! 見つけた!」
乗船時間も近づいてきたため、案内に従って乗船客の列に並ぼうとしたところで、遠くから女の子の声がした。
──ヤバい、早々に家出がバレてしまったか。
そう身構えながら声のしたほうを見れば、勢いよく走ってくるのは見知らぬ少女。どこかで見たような気がするのだが、どうやら村からの追手ではなさそうだ。
少女は赤毛のポニーテールを揺らしながら、こちらへ向かってくるなりセナの胸ぐらをつかみあげた。
「あんたでしょ、あたしたちのチケットを盗んだのは! 返しなさいよ!」
「はあ!?」
身に覚えのない言葉に、セナは苛立ち、クリンは困惑する。
「なんのことだよ。離せよ」
「すっとぼけんじゃないわよ、泥棒! さっき、私にぶつかってきたじゃない!」
「知らねえよ!」
少女は自身より二十センチほど大きいセナを睨みあげている。ずいぶんと小柄で痩身だが、自分たちと同年代のようにも見える。二人の問答を狼狽しながらも観察していたクリンは、とあることに気がついた。
「そういえば、君、さっきチケット売場でセナとぶつかりそうになった子じゃない?」
「しらじらしい! わざとぶつかってきたんでしょ」
見覚えがあると感じたのは、ついさきほどチケット売場でぶつかりそうになった少女だったからだ。
「いや、よけたし。ぶつかってねえだろ」
「その隙をついて、あたしのチケットを盗んだってことね!?」
「できるかそんなこと!」
「あ、あの。とりあえず二人とも落ち着こうよ」
乗船客の列、そのど真ん中で大騒ぎをしていたものだから、当然周囲からは白い目で見られている。これ以上騒ぎが大きくなって乗船拒否なんてことになったら、たまったもんじゃない。
クリンがなんとかその場をおさめようとするが、あらぬ疑いをかけられて黙っていられるほどこの弟は大人ではない。
「そんなに言うなら、証拠を見せてみろよ。俺がお前のチケットを盗んだっていう、確かな証拠があんのかよ」
「そんなの……っ」
「あるわけないよな。もしかして、お前こそ新手の詐欺なんじゃねえのか。大勢の前で難癖つけて、タダでチケット横取りするつもりなんだろ」
「はぁっ!? そんなことするわけないでしょ!」
「そっくりそのまま返してやるよ。で? いつまで掴んでんだよ。いい加減離せよ!」
ずっと胸ぐらを掴まれていたその腕を掴み返し、セナが乱暴に払いのける。少女はよろめきながらも、なんとか体勢を建て直したようだ。
しかし立場が形勢逆転したところで冷静になってきたのか、少女はうつむき、悔しさとやるせなさでキュッと下唇をかんだ。
「……急がなきゃいけないのに」
うつむいた彼女の瞼が揺れる。
クリンはギクッとして、今にも泣き出しそうな彼女をなんとか宥めようとした。疑いが晴れたとしても、困っている人をこのまま放っておくことはできない。
「え、えっと。とりあえず、なくしたのはこれから出発する便の乗船チケットでいいのかな?」
クリンの問いに、こくん、と少女は力なく頷く。
「乗船案内所には相談してみた?」
「……もう言った。でもダメだった。もう一度お買い直しくださいって」
「買えばいいじゃねえかよ」
「ダメなの。買えない」
「お小遣いが足りないんですか〜?」
「やめろよ、セナ」
せっかく冷静に話し合えそうなのに、いまだに怒りが収まらないのかセナが横から茶々を入れてくる。
困ったな……と、ため息をついたところで、船が汽笛を鳴らした。出発時刻目前である。
少女は船を見上げた。名残惜しそうにその船を見つめたあと、その目に決心を宿してクリンたちに向き直った。
「あなたたちまで乗り遅れたら大変だね。迷惑かけてごめんなさい」
船に乗るのは諦めたのだろうか。ぺこりと頭を下げて背を向けた少女を、クリンは思わず呼び止める。
「あのさ。まだお金にも余裕あるから、よかったら……」
「はあ!?」
よかったら、一枚買うよ。その言葉を防いだのは弟のセナだった。
「おま、まんまと詐欺に引っかかってんじゃねーよ! お人好しにもほどがあるわ!」
「詐欺なんかじゃないと思う。本当に困ってるみたいだし……」
「それが詐欺の手口なんだっての!」
「決めた。この子を信じるよ」
弟の制止を無視し、クリンは財布を取り出す。もしかしたら弟の言うように、こういった詐欺があるのかもしれない。だが警戒しすぎるあまり困っている人を見放すような、そんな冷たい人間でいたくはない。
こうなっては止めても無駄であることを、長年の付き合いである弟はわかっている。「あーあ」と空をあおいではいるが、それでももう止めるつもりはなさそうだ。
しかし一番戸惑っているのは少女である。まさかスリを疑った相手から救いの手を差しのべられるとは思っていなかったのだろう、なかなか受け取るそぶりが見られない。
後づけに過ぎないが、やはりこの様子を見る限り少女のこれは詐欺ではないように思える。
そんな彼女にクリンは「早く買っておいで」と、二枚の紙幣を差し出す。しばらく目の前の紙幣とクリンに視線を行き来させたあと、少女はおずおずと手を伸ばし、しかし何かに気づいたようにハッと口を開いた。
「足りない……。あ、あの、必要なのは二人分なの」
「おまっ、調子に乗るなよ」
さすがのセナも我慢の限界がきた。このまま警備隊の詰所へ連行してやろうかと、ぐいっと肩を掴んだところで、
「マリア!」
と、どこからか透き通るような女性の声が飛んできた。
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