第三話 兄だから

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「クリンお兄ちゃん、おんぶしてくれてありがとう!」 「ああ。マルクも怪我、お大事にな」 「うんっ。セナお兄ちゃん! みんなを助けてくれてありがとう!」 「……」  直球のそれに受け身を取れず、セナは返事ができなかったようだ。 「クリンお兄ちゃんが村の人たちに戦おうって言ってくれたでしょ。セナお兄ちゃんも、怪物から村を守ってくれたでしょ。僕、すごいなって思ったんだ。あのね、僕ね。クリンお兄ちゃんとセナお兄ちゃんみたいな、強くてかっこいい男になる!」 「……そうか」  セナはしゃがんで目線を合わせると、胸を張る少年の頭をガシガシと掴んで撫でてやった。 「じゃあ、母ちゃんをしっかり守れ。約束だぞ」 「うん!」  笑顔で約束を交わして、セナは立ち上がる。そのまま背を向けて歩き出したので、クリンも慌てて後を追った。  後ろの二人に会釈(えしゃく)をすれば、マルクは両手をちぎれんばかりに振り、ジーナは深々と頭を下げていた。    日が沈み、二人は街道から少し離れた林の下に腰をおろした。生まれて初めての野宿である。  ランタンの明かりが夜の闇をゆらゆらと揺らしている。遠くのほうからフクロウの鳴き声が聞こえてきた。  あれから二人は言葉もなく歩き続けた。何を言ったところで、なんの慰めにもならないことはわかっている。この兄にできることと言ったら、今までどおり、そばにいることだけだった。  セナは、村を守ったことを後悔しているかもしれない。村人たちを恨んでいるかもしれない。  なぜなら人並み外れた強靭(きょうじん)な力に、一番恐怖を感じているのは他の誰でもない、セナ自身であるからだ。  望んだわけでもなく、理由(わけ)もわからずその力に翻弄(ほんろう)されて、時にコントロールのできない感覚に恐怖を感じることもあっただろう。  それでも彼は多くの命を守った。船の上でも、今回も。見過ごすことだってできたはずなのに彼がその力を奮えたのは、決してその力を過信しているからでも、人より多くの勇気を持っているからでもない。ましてや何かしらの使命感にかられたわけでもない。  弟は元来、優しい性格なのだ。困っている人を放っておけない世話焼きで、人と接するのが好きな性分なのだ。だからその力を隠すことも忘れて、思わず人を助けてしまった。  そしてそれは少なからずこの異質な力を受け入れるわずかな希望になるはずだった。奇妙な力ではあるが、使いようによっては人々のためになるかもしれない。もしかしたら、このままの自分でも肯定されるのではないかと。  それなのに、その希望はあっさりと打ち消されてしまった。無言の否定という冷えた形で。  セナの悲しみとやるせなさは、計り知れない。 「クリン」 「ん?」  静寂を破ったのはセナだった。 「次の町についたらさ」 「うん」 「クリンは家に帰れよ」 「……」  いつか言われるかもしれないと予想してはいたが、実際に言われてみるとそれは重たく、胸の奥をひやりと凍らせる。 「なんで?」 「なんでも」 「答えになってないよ。理由に納得できたら帰るから。ちゃんと話せよ」  感情的にならないように言葉は選んだが、少しの失望感のせいで、責めるような口調になってしまった。ここまで一緒に来ておいて今さら、という気持ちよりも、肝心な時に頼ってくれない水くささに悔しさが募る。  弟を置いて帰るつもりなどさらさらないが、それでもせっかく口を開いてくれた弟の言葉を、ひとつも取りこぼすことなく聞いてやりたいと思う。  しばらく待つと、セナは言葉を選びながら話し始めた。 「俺……普通と違うじゃん。だからいっつもクリンに迷惑がかかる。この間も王都で乱闘騒ぎ起こしたし。馬車に乗せてもらえなかったり、変な目で見られたりする。きっとこれからだって、こういうことはあると思う」 「それは、セナのせいなの?」 「俺のせいだろ」 「……。まあ、王都の件は否定しないけど」  膝を抱えてうつむくセナの顔が、ランタンにぼんやりと照らされている。不安。その二文字が、今の彼を支配しているように見えた。 「本当だったら、はじめからクリンは旅になんて出なくてよかったんだ。俺が一人で出るべきだった」 「旅に出ようって発案したのは僕自身だよ。今さらセナのせいになんかしない」 「でもクリンには関係ないことなのに、こんな目に遭うなんておかしいだろ」 「……なんでそんな寂しいこと言うかな」  関係ない、だなんて、水くさいを通り越して冷たい言葉だ。こちらがどれだけ弟を心配しているのか、どれだけ救いを差しのべたいと思っているのか、何一つ伝わっていないのだろうか。  関係ない。そうだ、まるで関係のない人間をおまえだって助けたじゃないか。あれだけ危険な目に遭ってまで。 「セナは、あの怪物を倒したことを後悔してるのか?」 「……」 「あのまま放っておいて、二人で逃げればよかったのかな」 「そうは……思えない」 「そうだね、僕もそう思うよ」  ぬるい風が二人の間を通り抜ける。クリンはリュックからオイルを取り出して、ランタンの注ぎ口へ注いだ。眠っている間に火が消えてしまったら大変だ。 「セナ、同じなんだよ。僕も、セナをひとりぼっちで旅立たせればよかったなんて思えない。もし一緒にいることで僕が困難な目に遭ったとしても、それはその道を選んだ僕の責任だ。セナを責めたり……あの村の人たちを恨んだりなんかしないよ」  兄だから、そばで支えたいと思ったのだ。自分の選択に後悔なんかしない。だからおまえも後悔するな、おまえのしたことは正しかったのだと、どうか伝わってほしい。 「それとも、セナは僕が邪魔なのか? いなくなったほうがラク?」  黙ったまま、セナは首を横に振る。 「じゃあ、この話はこれで終わりだ。ランタンの火が消えないように、交代で寝よう。変なこと言った罰として、セナが先に見張り番な」  強引に話を終わらせて、横になってみる。セナもそれ以上食い下がるつもりはなさそうだ。 「そうだ、セナ。今日のことは、忘れることはできないかもしれないけど、(とら)われすぎるなよ。セナはその強さで村ひとつ守ったんだ。誇れよ」 「……」 「僕は誇るよ。強くてかっこいい弟がいるんだって。まあちょっと手はかかるけど、自慢の弟だ」  セナからの返事はない。  けれど、夜に沈んだ空気は心なしか暖かく感じられた。  闇の中。すでに深い眠りの中にいる兄を、セナはじっと見つめていた。  努力家で、勉強熱心で、責任感の強い兄だった。旅に出ようと決心したのも、何かを考え、決めるのも、すべてこの兄だった。どれだけ支えられ、どれだけ守られてきたのだろう。  だからこそ怖かった。兄の視線が今までと変わってしまうことが。兄が自ら離れていってしまうことが。恐ろしいから突き放そうと思ったのに。  ここでも兄は欲しい言葉をくれた。弟が孤独にならないための、優しい言葉を。 「本当に、強いのは……」  そう呟いたあとは、静寂が夜の闇を支配した。  
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