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同じ頃。コンコン、と軽いノックとともにセナの部屋を訪れたのは、マリアだった。
「セナ、まだ起きてる?」
「……寝てる」
赤髪のポニーテールを揺らし、ドアからぴょこっと顔を出して部屋を覗けば、布団の膨らみからセナの声。しかし部屋の電気はついているので、本格的に寝るつもりはないようだ。
「起きてるじゃん。ちょっと話があるんだけど!」
ズカズカと入り込んで、マリアは布団を剥ぎ取る。
「寝てるっつってんだろ!」
「寝てる人間は返事なんかしませ〜ん。ね、起きなさいよ」
「なんつーワガママ女……」
もしも本当に寝ていたとしても、この女なら容赦なく叩き起こしそうだ。そう諦め、セナは気怠そうに体を起こしてベッドの上にあぐらをかいた。
マリアはベッドの足下のほうにちょこんと腰掛け、一呼吸おいて口を開いた。
「あのね。ちゃんとお礼を言ってなかったでしょ。あの時のこと」
「どの時だか知らないけど、どういたしまして。ではおやすみなさい」
「ちゃんと聞いてよ、バカ! ほら、アルバ国の王都で、カフェに入ったでしょ」
「ああ……」
思い出したのは、故郷近くの王都でのこと。
カフェに入ったマリアは、そこにいた女性──アレイナに、ペンダントを返してくれとお願いしていた。度重なるアレイナからの一方的な嫌がらせに、セナはささやかな仕返しをしたのだ。
「別にお前のためじゃないし。ていうか、あのあとお前たちは?」
大丈夫だったの?
という視線を受けて、マリアはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「私たちもダッシュで逃げた。そのあとはミサキと二人で大笑いよ。だってあの子、パンツ……ふりっふりの下着が丸見えで。くくっ」
どうやらアレイナからの報復は免れたらしい。あの時のことを思い出しているのか、マリアはまだクスクスと笑っている。
「すっごくいい気味って思っちゃった。教会にいた頃から嫌がらせばっかりしてくる子だから、大嫌いだったの。ありがとうね」
「あれも聖女なの?」
「そうだよ。プレミネンスの聖女。私と同じ頃に、同じ任を受けて旅立ったんだ。だから巡礼の教会も全部一緒なの。追いつ追われつしてるんだ」
「ライバルってやつか。どうせなら仲良しこよしで一緒に行けばいいのに。女ってのは面倒だな」
「本当にね」
まるで他人事のように、マリアは笑った。
「言いたかったことはそれだけ! ダラダラしてないで早く寝なさいよ」
「いや寝てたところを起こしたんだろお前が」
「そんじゃ、おやすみなさ〜い」
マリアはセナのツッコミを無視し、軽快な足取りで部屋を出て行った。
はぁぁ、と深いため息を吐いて、セナはベッドへ逆戻りするのだった。
翌日の馬車の停留所にて。北東ルートへ向かう乗合馬車の出発までは時間があるため、マリアとミサキの馬車を先に見送ることになった。
聖女のペンダントをかざし、それを見た馬車の管理者が慌てて良い馬車と御者を用意したのを見て、クリンはなんだか可笑しかった。
「それじゃあ、二人とも元気でね」
「うん。マリアも」
明るく手を振って、マリアが先に馬車に乗り込む。
一方のミサキは思い詰めたような表情をしたまま、なかなか馬車に乗ろうとしない。しかし別れを惜しんでいるというわけではなさそうだ。
「ミサキも、元気で。いつかまた会えるといいね」
「はい……クリンさんも。それからセナさんも、探しものに出会えますように」
「おう」
兄弟に小さく笑って、ミサキは今度こそ馬車に乗り込んだ。馬車がゆっくりと走り出す──と、思いきや。
「待って、止まってください!」
ミサキの声が響いて、まだ完全に止まり切っていないというのにドアを開け、彼女が中から飛び出してきた。
「ミサキ!?」
全員が慌てふためく中で、ミサキはクリンとセナに駆け寄って、ひとつの提案を口にした。
「お願いがあるんです。もしよかったら、このまま南東ルートをご一緒していただけませんか?」
「え?」
突然の申し出に、兄弟もマリアも呆気にとられる。
「リンドワ王国を抜けたあと、私たちもどのみちリストラル地方を通って、そのあとは東海岸から別の大陸へ渡ります。同じ東へ向かう者同士、悪い話ではないと思うんです。もちろん旅費は聖女の一行ということでかかりませんし、ご一緒するのは目的地のゲミア民族の里までということで、かまいません。私たちも、お二人がいてくださったほうが安心ですし、利害が一致しませんか?」
「……」
たしかに、それは悪い話ではない。
あの村で遭ったことを考えれば、同じ不思議な力を持つ聖女という存在が、セナの隠蓑になってくれるかもしれない、それはありがたい。
ただ、自分たちが行こうとしていた北東ルートとは違って、南東ルートは治安も悪く、発展途上の地域も多い。いくら道中の旅費がタダになるとはいえ、馬車の本数やライフライン・街道の設備を見比べても、北東ルートのほうが安全かつスムーズに進めるような気はする。
「えっと……。どうする、セナ?」
「いや、わかんない。クリンにまかせる」
「おまえなぁ」
無責任な弟の返答に、クリンは頭をガシガシ掻いた。
「ん〜〜……」
迷いに迷う。
利点は多いとは思うが、すんなりと頷いてしまうのも旅費につられたようで体裁は悪く、また、セナの体のことを考えればわざわざ遠回りをする必要性は感じられない。逆に言えば、セナのあの発作で彼女たちに怖い思いをさせてしまうのは互いにとってマイナスしかない。
せっかくの申し出ではあるが、断ったほうがいいだろう。断ったほうが……
決心してミサキに向かい合えば、両手を組んでこちらの返答を期待する彼女の澄んだ瞳が自分をとらえていて、その決心はあっさりと怯む。
「えっと……」
馬車から「それも楽しいかもね」というマリアの援護射撃と、うんうんうんと頷いて目をキラキラさせるミサキの誘い。
「……じゃあ、よろしくお願いします」
断れるわけがなかった。
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