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甲板には波の音が響き、潮の香りが風に乗って飛んでくる。
「本当にごめんなさい!」
女性が深々と頭を下げたので、隣の少女もばつが悪そうにそれにならった。まあまあ、と宥めるクリンとは対照的に、セナはツンとした態度を崩さない。
船は無事に出港した。少女はクリンのお金を受け取ることなく、紛失したと思っていたチケットで無事に乗船することができたのだった。
ことの顛末は、なんてことはない、少女のチケットは同伴者のこの女性が預かっていただけという、なんとも拍子抜けな話だったのだ。
二人は宿に宿泊していた。同伴者である女性よりも先に目が覚めた少女は、早朝の散歩に出ていた。セナとぶつかりそうになったのはそのタイミングだ。
宿に戻って、起きていた同伴の女性が身支度をしている間に、少女は宿代を支払うため一階へおりる。その時に、チケットがないことに気がついた。
少女はわけを話す時間も惜しかったことから「探し物をしてくる」とだけ言って、先に宿を出た。心あたりを探してもチケットは見つからず、乗船案内所へ助けを求めに行っても相手にしてもらえない。
ふと、ぶつかった拍子に盗まれたのではないかと思い至った。それならばスリは船に乗るはずだと船着場へ向かったところで、セナに掴みかかったのである。
この時チケットは同伴者の女性が持っていたのだが、もちろん少女はそれを知るわけもなく、女性もまさか少女がチケットを紛失して焦っているとは思わない。
出港の時間になっても少女が宿に戻る様子がないので、同伴者の女性は港へ向かうことにした。そこで目にしたのが、少年二人と揉めている少女の姿だった。
簡単に誤解を解き合い、出港時間ギリギリのところだったため慌てて船に乗り、今に至るというわけである。
「私が出港時間を再確認するためにチケットを取り出したせいで、こんなことになってしまいました。本当に、なんてお詫びをしたらいいのか……」
女性は心底申し訳なさそうに、何度も頭を下げている。そのたびに、背中までおろした長いストレートの金髪が揺れ、キラキラと太陽の光を反射させていた。
伏せたまつ毛は長く、その下には大きなロシアンブルーの瞳。息を呑むほど美しいその女性は、小柄な少女よりもやや年上に見える。
クリンがうっかり見とれている横で、セナはケッと毒づいた。
「それにしたって、ぶつかったわけでもない相手にスリを疑うか? 落としてネコババされたって考えるほうが一般的だろ」
「それは……だって! ……。なんでもないわ、ごめんなさい」
何か言いたいようではあったが、けっきょく反論を諦めて少女はうなだれてしまう。
「なんだよ、チビッ子。言いたいことあるなら言ってみろよ。俺は誰かさんと違って、きちんと人の話は聞きますよ?」
「セナ、もういいだろ。この子も慌ててたんだからしかたないよ。無事に船に乗れたんだから、もうやめよう」
「出たよ、クリンの優等生」
「セナ? これ以上はかっこ悪いぞ。やめようって言ってるんだ」
「……」
さすが、兄である。
口調は穏やかだが、兄を怒らせると後々面倒臭いことになるのを弟は知っている。チッと舌打ちしながらも、それ以上、少女たちを責めることはしなかった。
「弟が感じ悪くてごめんね。僕はクリン・ランジェストン、十六歳です。こっちはひとつ年下のセナ」
「いえ。私はミサキと言います、ミサキ・ホワイシア、十七です」
「……マリアよ、十四歳」
互いに紹介を終えたところで、潮を含む風が四人の間を通り抜けていった。船は王都へむけて順調に進んでいる。
クリンは甲板の手すりから、遠くになってしまった生まれ故郷を見つめた。初っ端からドタバタしてしまったが、無事にここまで来れた。
いや、安心してはいられない。旅はまだ始まったばかりなのだから気を引きしめていかねば。
同じように小島を眺める弟のセナを横から盗み見る。弟が今何を考えているのか、その表情からは読めない。初めての旅に不安があるだろうか。いや……もしかしたらこの弟ならばわくわくする気持ちのほうが強いかもしれない。
それでも、旅に出ると決意した時の気持ちはそんな浮き足立つようなものではなかった。
この旅は弟のための旅だ。どれほど長い旅になるのか、どんな結末が待ち構えているのかはわからない。だがいつかあの島に帰る時、その時もまた二人一緒であるといい。クリンはそう願った。
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