第六話 かりそめの

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 教会をあとにして、とりあえずカフェにでも入って作戦を練ろうと、とぼとぼ大通りに向かう。  その一行を呼び止める青年の声があった。 「おまちください、マリア様!」  振り返れば、さきほどアレイナの脇を守っていた騎士の一人だった。  同年代だろうか。オレンジ色の髪、栗色の瞳のその男性は、息を切らせてマリアのもとへ駆け寄ってきた。  マリアは小さく微笑む。 「お久しぶりですね、トーマ様」 「マリア様。その……申し訳ありませんでした」 「気にしないでください。トーマ様のせいではありません」 「いえ……」  トーマという男と向き合うマリアは、まるで別人のようだった。と言ってもこの状態の彼女を見るのは初めてではない。一緒に乗り合わせた船の上でも、ペンダントを利用して馬車や宿を手配する時でも、彼女はいつもこんなふうに背筋を伸ばして澄まし顔をしていた。いわば聖女モードなのだろう。  しかし二人の間に流れる空気がやや微妙なものであるということは、クリンたちにもすぐにわかった。互いに目を合わせようとせず、言葉を選んでいるような。気まずいような。  その空気を打ち破るように、二人の間に割って入ったのはミサキである。 「失礼ながらお聞きします。トーマ様は、待機命令を出されたのでは? 門をお守りしなくてもよろしいのでしょうか?」  早く戻れ、とでも言うように、ミサキは手のひらで教会の方角をさす。  見れば、ミサキは見たこともないほど冷ややかな目でトーマという男を見据えていた。いったいこの男は過去に何をしでかしたのだろう。 「そうですが……ミサキ殿、俺はっ」 「あなた様がアレイナ様に対して不忠義を働くのはかまいませんが、その(とが)はマリアにまで飛び火するのでは? ここで密会などされていたと知られたら、アレイナ様はさぞご気分を害されるでしょうね」 「……。面目ない」  トーマという男はまだ何か言いたげであるが、とりつく島もないミサキの態度にうつむき、硬く拳を握った。まるで浮気の言い訳をしたいのに許されない男と、そんな恋人をとっくに見限った女。はたから見ればそんな雰囲気だ。 「ですがマリア様、ひとつだけ」  トーマはそれでも言いたいことがあるのか、マリアに向かって声を落とした。   「ここの教会は、アレイナ様のご実家から多大な援助を受けております。そのため、アレイナ様より先にマリア様を御通しするなと言われているのです」 「……なるほど」  と、マリアは苦笑する。名を名乗った時のあの門番の様子を思い出すと、合点がいく。 「では騎士の話はとって付けた言いがかりのようなものなのですね。貴重なお話をしてくださってありがとうございました」 「いえ……。申し訳ありません。本当なら俺が……」  ギリ、と歯を食いしばって、トーマはここでも悔しそうな顔をする。この男は、わけあってアレイナの騎士をしているが、マリア側の人間なのだろうか。クリンはそう予想しながらも、ひとつ、どうしても確かめたいことがあった。 「トーマさんとおっしゃいましたか。ひとつ、確認したいのですが」  クリンが声をかけると、トーマはマリアへ向けたものとは打って変わって、訝しげな視線を向けてきた。初対面である自分がマリアたちとどういう関係か計りかねているのかもしれない。 「君は?」 「クリン・ランジェストンと申します。マリアの友人です。あの、アレイナさんがマリアに対した嫌がらせって本当にそれだけですか? ここ最近で、何か大きなことをしませんでしたか」 「……」  こちらが投げた質問に、マリアはきょとんとし、トーマは顔を真っ青にさせた。  その顔を見ただけで予想が的中だったと確信する。その瞬間、この男にも失望を覚えた。マリアたちとどんな関係かは知らないが、この男とはこれ以上会話をする必要はなさそうだ。 「お答えいただかなくてけっこうです。マリア、もう行こう」 「えっ? ど、どういうこと?」 「いいから」  呆気に取られるマリアの手をとって、クリンは歩き出す。皆、戸惑いながらもあとを追い始めたが、トーマはそこに残されたまま俯いていた。  『まさか、わたくしより早く到着できるなんて。さすが、ゴキブリのようなしぶとさですこと』  アレイナのその一言が、どうも引っかかっていた。  クリンは大通りを歩きながら、ムカムカと腹の底から怒りが湧き上がってくるのを抑えきれずにいた。腹が立つという言葉だけでは片付けられないほど、いや全身の血が沸騰するほどの怒りだ。  ずっと、なぜ馬車が賊に襲われたのだろうと疑問に思っていた。マリアは「聖女を乗せた馬車だから奴隷売りに狙われた」と言っていたが、豪華な馬車に乗るのはなにも聖女だけじゃない。賊は、あの馬車に聖女が乗っていたことを初めから知っていたのだ。  聖女が、ではない。正確に言うなら、「マリアが」だ。  それを裏付けるように、早く到着したことに驚いた様子のアレイナ。ゴキブリのようにしぶとい、と、無事だったことに失望したような口ぶり。あの賊は、アレイナが仕向けたのだ。 「ふざけんな……! 遊びじゃ済まないぞ」 「ちょ、ちょっと! クリン、痛いってば!」 「あっ」  マリアの声にようやく我に返り、クリンは足を止める。いまだに掴んでいたらしいマリアの華奢な腕を見て、慌てて手を離した。 「ごめん」 「急にどうしたの?」 「いや……」  心配そうに覗き込んでくるマリアに、この事実を言っていいのだろうか。それとも、とっくにマリアは気づいているのではないだろうか。だが、確認したせいで藪蛇(やぶへび)になるのは避けたい。 「クリンさん。今後のこともお話したいですし、そこのお店にでも入りませんか? 美味しそうですよ」  大通り沿いのケーキ屋を指差して、ミサキは言った。  彼女の声は普段どおり穏やかなものであったが、その目を見れば彼女も全てわかっていると言いたげな表情をしていることに気づく。 「ああ、そうだね。ごめん、入ろうか」  なぜ、この子たちがあんな嫌がらせをされなければならないのだろう。  行き場のない怒りをなんとか腹の中に押し込んで、クリンはマリアたちに笑いかけた。
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