第六話 かりそめの

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 いつまでも泣いているわけにはいかない。早く戻ってセナを治療しなければ。  マリアは涙を拭って立ち上がると、セナを支えながら儀式の間の扉を開けた。防火対策なのか、やたらと鉄のドアが重たい。だが、この扉だけは一人で開けたかった。  儀式の間は、試練の間とは打って変わった内装になっていた。豪華な柱とシャンデリア、壁一面のステンドグラス、大理石の床。そして部屋の中央には美しい装飾が施された泉がひとつ。  その泉の奥から、こちらを見守る一人の神父。さきほど挨拶したあの神父だ。 「試練を乗り越えた聖女よ。その聖石とともに清めの泉に体を沈め、祈りを捧げなさい」 「はい」  セナの背中の傷を気にしつつも、マリアはセナから離れ、泉へ向かった。一歩、一歩と泉に向かう。  ここ儀式の間に入れば、どの教会でも流れは同じ。だが、いつもは独りぼっちで歩いていたこの道も、うしろから誰かが見守っていてくれるというだけで、まるで柱が一本建ったかのように、心がしゃんとなる。  冷たいはずの泉はいつもより温かい気がした。最初で最後の騎士に心から感謝して、マリアは祈る。  刹那(せつな)、泉が瞬く間に輝き始め、マリアを中心にして矢のような光が放たれた。目が(くら)むほどのまばゆい光りに、部屋中が強く、白く輝く。神父が「おお」と感嘆(かんたん)の声をもらしている。強く鮮明なその光は窓をもたやすく通り抜け、おそらくここ周辺が光の渦に飲まれたであろう。 「素晴らしい……。ここまでとは……」  光は徐々に弱まっていった。しかしながら、ここ儀式の間には、いくつもの光の粒が残されてキラキラと輝きを放っていた。 「聖女の祈りは聞き届けられました。神より(たまわ)りし崇高(すうこう)なる力を持つ者よ、世界を安寧(あんねい)へと導くのです」 「御心(みこころ)のままに」  無事に儀式は終わった。神父の退場の言葉を受け、マリアはセナの手を借りて泉からあがった。  手を重ねながら儀式の間をあとにする二人の立ち振る舞いが、試練の間に入った時よりもずっと自然であったことは、誰も知らない。  二人が過ぎ去ってから、神父はドアを見つめ険しい表情を浮かべていた。 「すぐに、大司教様に謁見の許可を」 「かしこまりました」 「……あの青が、不幸の呼び水でなければよいが……」 「セナ……! おまえってやつは!」 「まあ、聞けクリン」 「うるさい、この大バカ者!」  次の間へ戻ってミサキに説教されたあとは、教会を出て門まで戻る。事態を一瞬で悟ったクリンから、セナがさらなるお叱りを受けたことまでは、誰もが予想していた通りだった。 「宿屋に戻ったらめちゃくちゃ()みる薬を塗ってやるからな。覚悟しとけよ」 「げぇ」 「どうやら終わったようね」  ただ、そこにアレイナが待ち伏せているとは、誰も想像していなかったが。 「アレイナ……」  いつものように大勢の騎士と侍女を引き連れているアレイナだったが、その表情はいつもより暗く、怒りに満ちているようだった。ドレスに隠されてはいるが、首や頬に手当てをしたあとがあるあたり、体の方も傷を負ったのかもしれない。 「マリア・クラークス。あなたの儀式に無効を申し立てるわ!」 「!?」  アレイナはセナへ視線を移すと、キッと睨んだ。 「その場しのぎとは言え、騎士の矜恃(きょうじ)も持ち合わせていないような男を(そば)()えるなんて、プレミネンス教会への冒涜(ぼうとく)よ! この儀式は成功したとは言えないわ。したがって、教会へ意見します」 「どうぞご勝手に。セナはきちんと騎士のつとめを果たしてくれたわ。神父様だって儀式を()り行ってくださった。それに意見をすると言うことは、神父様のご判断を疑うと言うこと。アレイナ、あなたの立場がいっそう苦しくならないといいけれど」 「! なんですって……」  反論がくると思っていなかったのだろう、アレイナは怒りで震えが止まらない様子だ。何か他にも言いたいことがありそうだったが、一方のマリアはこれ以上その場にとどまるつもりはない。今は一刻も早く、セナを治療したいのだ。  すれ違いざま、しかしアレイナはこれでもかと立ちはだかる。 「お待ちなさい、まだ話は終わっておりませんわ」 「騎士が亡くなられたと聞いたわ。あなたも休んだほうがいい」 「なによ! たかが一人減っただけよ。あなたと違ってまだ大勢いるんだから!」 「……その騎士を(とむら)うために、まだ出発しないでいるのでしょう?」 「おだまりなさい! あなた、生意気なのよ!」  アレイナは手をあげた。しかしそれはマリアの頬をとらえることなく、セナの手によって阻まれてしまった。 「な、なによ! 無礼者、離しなさい!」 「貴様!」  後ろの騎士がさっと剣の柄に手を伸ばした。  これ以上、騒ぎを起こしたくない。マリアはセナに目配せし、アレイナの手首を解放させた。 「相も変わらず野蛮な男ね。ふん、着飾ってそれなりに騎士にでもなったおつもり? なんでしたら騎士のならわしにそって、わたくしの騎士と決闘でもなさいます?」 「決闘?」 「ええ。主人への誇りをかけて、一対一で勝負いたしますのよ」  しかしマリアはぶんぶん首を振った。こんな傷を負っているくせに、そんなバカげた決闘なんてしている場合じゃない。全力で止めなければ、勝ち気なセナはすぐに受けてしまうだろう。と、クリンもミサキも、誰もがそう予想していたのだが。 「やんないよ、アホらしい。俺はそんな力の振るいかたはしない」  セナはまったく乗り気にはならなかった。  誰も知ることはないが、セナには師からの教えがある。人を生かし、守る以外で振るう力になんの意味があるのか。 「あら、ずいぶんと忠誠心のない。さすが、まがいモノの騎士ですこと」 「なんとでも言えば」 「ええ、言わせていただくわ。あなたたち、とってもお似合いですわよ。かりそめの聖女に、かりそめの騎士。あら、もしかして、あなたも奴隷の子なのかしら」 「……っ」 「アレイナ様!」  これまで黙って見守ってきたミサキだが、つい声を荒げる。
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