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「それじゃあ、お二人の旅は今日が初日なのですね。観光旅行ではないのですか?」
「ああ、ちょっと……探しものをね」
テーブルの向こう側からミサキが尋ねてきたので、クリンは曖昧に返しながら目の前の白身魚をナイフで切っていく。その横でセナは黙々とステーキ肉に食らいついていた。
船の到着までは半日以上かかるため、食堂で朝食をとることになり、せっかくなので少女たちも同席することになった。
セナとマリアはまだ互いの距離を掴みかねているのか、──と言ってもセナはただ単に食事に集中したいだけなのだろうが──、会話はクリンとミサキのラリーが続いている状況だ。
早朝の便だというのに食堂には多くの乗船客が集まっている。
「探しものですか。お役に立てるかわかりませんが、お聞きしても?」
「ありがとう。……けど、僕たちもうまく説明できないんだ」
「そうなんですね」
ミサキはそれ以上食い下がることなく、サラダのミニトマトをぱくりと口に含んだ。はぐらかされたと思っただろうか。
「僕も、二人の話を聞いても?」
「ええ。私たちも観光ではありません。わけあって世界各地を旅しているんです」
「そうなんだ。じゃあ先輩冒険者だね」
「ふふ」
笑うたび、彼女の長いまつ毛が揺れる。こんなに綺麗に笑う子は村の中には居なかった。クリンはなぜか落ち着かない気持ちになって、それを気取られないように言葉を続けた。
「二人は、見たところ姉妹じゃないみたいだけど」
「ええ、違います。ですが出会ってからはいつも一緒にいました。なのでマリアが旅を始める時に、ぜひにと同行者に立候補したんです」
「へえ。ということは、旅の主役はマリアさんなんだね」
「マリアでいいわ、こっちも呼び捨てにするから」
ここで、初めてマリアから声が上がった。クリンはそれに同意しながら、目の前に座る小さな少女をじっと見つめた。
赤髪のポニーテールに、幼さの残るあどけない顔立ちと、十四という年齢のわりにはずいぶんと背が低く華奢な体つき。けれどその黒い瞳には、強い意思を宿しているように見えた。
セナと同じく、乗船チケットは半額料金。成人は国によって違えど、十八や二十が相場である。つまり、まだまだ独り立ちするには早い年頃だ。そんな彼女が大人も伴わずに旅をするなんて、それなりの理由があるのではないだろうか。
「物騒な世の中だから、くれぐれも気をつけて」
「慣れてるから平気よ。それを言うならそっちこそ。どこへ行くのか知らないけど、あの小さな島とは違って世界は危険な場所がいっぱいなのよ。うっかり死なないようにね」
「マリア、失礼だわ」
「ははは、気をつけるよ。ありがとう」
ミサキが慌てて窘めたが、これくらいの憎まれ口ならセナより可愛い。笑って受け流し今後の行き先を尋ねようとした、その時だった。
──グラッと、船体が大きく揺れたのだ。
「!!」
震動とともにテーブルの食器が床に散らばり、狭い食堂に悲鳴が響き渡る。あまりの揺れの大きさに、椅子から転げ落ちないようにもちこたえるのがやっとだった。
「なんだ!?」
「どうしたんだ!?」
船体はなおも小刻みに揺れている。
動揺が広がる中、入り口に近い者が外へと飛び出すと、後に続いていく者、とりあえず中に残る者と、ふたつに分かれた。
クリンとセナは顔を見合わせる。どうする、外を確認しに行くか、ここに残るか。
状況も掴めない混乱のさなか、真っ先に動いたのはマリアだった。
床に倒れた年老いた女性をゆっくり抱き起こし、椅子へと戻した時、老女の足から血が出ているのを確認した。周辺には割れた食器が散乱しており、その破片が倒れた拍子に刺さってしまったようだ。
「今、治療しますね」
マリアはそう言うなり床に膝をつき、老女の傷口に手を添えた。刹那、その手から柔らかな光が溢れ出す。
とたんに見守っていた者たちからどよめきの声が上がった。
「治癒術だ」
「あの子、聖女様だったのか!」
神々しくも柔らかく温かみのある白い光。光の中心部分は見えないが、光を一身に受け止めている老女の顔は驚きよりもまるで女神様を見つめるような、畏敬の念が込められていた。
やがて光が消えると、そこにあったはずの傷口は綺麗に消え去っていた。
「おおおおお!」
食堂内が、拍手喝采で包まれる。不安な様子だった乗客たちの表情に、わずかな希望が現れたようだ。
「他に痛いところは?」
「ええ、もうけっこうです。ありがとうございました」
マリアはミサキの手を借りて立ち上がると、一度周囲をぐるっと見渡してから声をあげた。
「わたくしはプレミネンス教会より聖地巡礼の職務についております、マリア・クラークスです。みなさん、どうか冷静な行動をお願いします。お怪我をされた方は人種・性別・貴賎問わず治療いたしますので安心してください。ですが、ここは床に物が散乱されており大変危険です。すみやかに場所の移動を提案します」
聖女の言葉に異論を唱えるものはいなかった。
いまだ船は揺れ動いていたが、船員も乗客も、その目には多少の落ち着きが戻っていたようだった。
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