第七話 叡智の国

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 クリンたち四人は翌日の朝、コリンナの研究室を訪れることになった。  昨夜、話の流れでコリンナが遺伝子治療の研究をしていると知り、クリンは旅のいきさつを包み隠さず話した。  コリンナは難しい話を聞いたあと、実際にその能力を見てみたいと、セナに頼んだ。  食事を切り上げ、人気のない場所を選び、その跳躍力や破壊力を披露すると、半信半疑だったコリンナの顔はみるみるうちに研究者のそれになっていった。  そして、改めて研究室に来るようにと招待を受けたのである。  その研究室は、大きな建物の中の一室にあった。  てっきりたくさんの人が待ち構えているのかと思ったら、その部屋はコリンナ専用の研究室らしく彼女しかいなかった。  正直、クリンはホッとした。大事な弟がたくさんの人たちに観察されるのは、気分が良くない。  しかしコリンナはセナのことを研究対象としてではなく、あくまで患者として接しようとしてくれたみたいだ。  部屋は壁一面本棚や薬棚に埋まっており、中央の机にも、置ききれないほどの書類が山積みされている。仮眠用なのか、部屋の隅には質素な簡易ベッドが置かれており、ミサキとマリアはそこに腰掛けて見守ることに。  コリンナはどこかから折り畳み式の椅子を持ってきて、自分の椅子の前に置いてセナを座らせたあと、向き合うようにして自分も座った。クリンは間近で診察を見せてもらうため、一歩離れたところに立っている。 「まずは視診ね。脱いで」 「え、全部?」 「全部と言いたいけど、後ろの女の子たちが気の毒ね。上半身だけで許してやるわよ」 「俺だって気の毒なんですけど」  ぶつぶつ文句を言いながら、セナは言われた通りに服を脱ぐ。  まずは視診をと、コリンナは前を観察し、今度は背中を見る。 「この火傷はいつの?」 「六日前」 「六日前……? 治療を施したのはクリン?」 「はい」 「ふむ。処置に問題はないようね。自然治癒力の高さも桁外れというわけか」  ぶつぶつ言いながら、コリンナは触診に入った。  手首で脈を測ったあとは、首や肩、肩甲骨など上から順に触っていく。 「なんかモルモットにされた気分」 「こんな美人に触ってもらえるんだから、ありがたいと思いなさい」 「ババアじゃん……あイテッ!」 「あら、痛覚は人並みのようね」  よせばいいのに、コリンナのことババアなんて呼ぶものだからセナはスネを蹴られて悶えている。  コリンナは触診に時間をかけた。腕を曲げたり伸ばしたりさせては筋肉の動きを観察したり、手を握ったり開いたり、ところどころにどれくらいの痛覚や温冷覚があるのかを調べたり。  その後は打診、聴診と、時間をたっぷりかけて調べきった。 「見たところ、どこにも異常はないようね。筋肉の発達もごく一般的なものよ。どうしてあんな力が出るのかしら、不思議だわ」 「そうですか」 「打診だけだからなんとも言えないけど、内臓もとくに問題はなさそうよ」 「やっぱり……。父と同じ診断です」 「なに落胆してんのよ。他のアプローチから探ってみましょ」  あからさまにガッカリしたクリンに、コリンナは強気に笑ってみせた。 「そう言えば、凶暴性が強くなるって言ってたわね。脳かしら……。そこらへん、もっと詳細を説明できる?」 「あ、はい……」 「クリンじゃなくて、セナの口から説明して」 「え、めんど……」 「自分のことでしょうが」 「だから痛いって!」 「ふうん、反射神経は一般よりやや優れているのね」    コリンナにとっては、そんな些細なやりとりですら、診察対象になるようだ。   「その凶暴性が発覚したのは、いつなのかしら」 「四年前くらい?」 「ふむ、十一才。きっかけは?」 「……。別に、くだらねえこと」 「くだらないこと? それって?」  言いにくそうにするセナだが、コリンナは逃そうとはしてくれない。セナは観念するしかなかった。 「ただの喧嘩だよ。同級生が、俺のこと孤児だの捨て子だのってからかってきたんだ。でもいつものことだし、はいはいって聞き流してたけど……俺の反応がつまんないからって、今度はクリンのことガリ勉だの猫被りだのバカにするし、両親のことも捨て子を拾ってきた変人だ、とかバカにしやがって。イラついて……初めて人を殴った」 「ふーん。ちょうど思春期に入る頃ね。成長期にホルモンバランスが乱れることでイライラすることは男女問わずあるし、そういった(いさか)いは若い頃ならよくありそうだけど」 「……。違う、全然そういうんじゃない」 「どういうこと?」 「なんか……説明しにくいけど。殴ってすっきりするようなもんじゃなかった。そいつの血を見て、嬉しくて……気持ち良くなって、もっと見たいって思った。最初の殴った理由なんかとっくに忘れて」 「……」  そこで、ことの深刻さをいち早く察したのか、コリンナは表情を真面目なものへと変えた。後ろで聞いていたマリアとミサキも心配そうに顔を見合わせている。 「それはコントロールが可能なくらいの意識下で?」 「いや……途中で意識がなくなってた」  今でもあの時の快楽は鮮明に思い出される。殴って、壊して、めちゃめちゃにしてやりたいという気持ちに抗えず、本能の求めるままに暴れ狂った。それでも、「気持ち良かった」という感覚と「何をしていたのか」という記憶はきちんと残っているのだ。 「気がついたら自分の手が血(まみ)れで……相手の意識がなくなってて……止めに入ってくれたクリンは泣いてて。でも、それでも……もっと、もっとって……」 「そう」 「それから衝動的に、何度かそういうことが起こりそうになったけど……いつもクリンが止めてくれた」  部屋の空気がどんどん重たくなっていく中、コリンナだけが淡々と問診を続けている。 「発動条件は腹が立つことってところかしら?」 「いや、違う。腹が立つことはいっぱいあったけど、別になんともなかった。戦ってる時にそうなることが多いけど……」 「戦ってるとき?」 「うん。リヴァーレ族と戦ってる時も、死ぬかもしれないってのにドキドキして、楽しくて仕方なかった」 「リヴァーレ族と……」  リヴァーレ族と渡り合ったと聞いて、コリンナもさすがに驚きを隠せないようだ。 「その時はコントロールできたの?」 「うん。知り合いが、『力を振るうなら、生み生かし、守るために使え』って教えてくれたから。今はよっぽどのことがない限り、無意識に暴れることはない」 「なるほど。……素直なのか、それとも何かの暗示が働いているのか……」  ぶつぶつと呟くコリンナの声は、セナの耳には届かなかったのか、セナは怪訝そうだ。 「じゃあ、闘争本能さえ刺激しなければ凶暴化は起こらないのかしら」 「……」 「セナ?」  言いにくそうにするセナに、クリンが催促の意味で声をかける。 「違う。普段、何気ない時にもウズウズする時がある。寝る直前とか、メシ食ってる時とか、なんか急に来る。ただ、我慢できる程度の小さい波だから抑えてるだけ」 「……。抑えにくくなるのが、戦っている時なのね」 「うん」  コリンナはますます深刻そうに、その言葉を受け止めていた。  発動条件が読めないということは、今のところ対策のしようがないということだ。十五歳の少年がそんな奇妙な感覚に日夜(さいな)まれているというのは、精神的に相当な負担があるのではないだろうか。  名医であるランジェストン博士は、いったい今まで何をやっていたのか。
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