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「そのことについて、ランジェストン博士の見解は?」
「成長期による一過性のものかもしれないから、経過観察しようって」
「……」
博士らしくない、と、コリンナは思った。博士は何か知っていて、子どもたちに隠しているのではないだろうか。
ふとクリンと目が合うと、彼もこくんと頷き返した。
なるほど。子どもははぐらかされていることに気がついて、自分たちで原因究明の旅に出た、と。
どうやら医学界で名を馳せた賢人でも、子育ては半人前らしい。まだ子どもと思って油断していたのだろうが、子どもは知らぬ間に大人になる。まさか我が子がここまで行動を起こすとは夢にも思わなかったのだろう。
さて、どうするか。
ランジェストン博士が何を隠しているのか気になるところだが。
「探究心に逆らえないのが、人間の性よね」
コリンナはそう呟くと、机の引き出しから注射器を取り出した。
「血液を採取しても?」
「……」
セナはごくりと唾を飲んだ後、不安げな表情を浮かべながら頷いた。
ラタン共和国に入って二日目は、コリンナの診察で終わってしまった。
血液検査の結果には時間を要するため、ゲミア民族の里を訪れてから、再度ここに戻ってきて聞く必要がある。
そのことを告げると、コリンナの研究仲間に民俗学に精通している者がいるとのことで、里の場所を調べてもらえることになった。なんともありがたい話である。
三日目。ラタン最終日である。コリンナが同僚に里の場所を調べてもらっている間、暇を持て余したクリンたちは街中を探索することにした。
「見て見て、マリア。あのイヤリング、マリアにぴったりじゃない?」
「ええ……あたしはいいって。遊びで旅行してるわけじゃないんだし」
「そんなこと言わないの。せっかくなんだから楽しみましょ」
ずっと休みなく巡礼を続けていたのだろう、マリアはこの休暇中、どこか落ち着かない様子だった。そんなマリアに楽しんでもらうべくミサキがこれでもかと盛り上げようとするので、クリンもセナもそれに付き合うことにした。
四人で小さな商店街を眺めたり、ミサキとマリアのウインドウショッピングに付き合ったり、クリンが本屋からなかなか動かなかったり、セナが露店で買い食いしたり。
「セナ、食いすぎじゃないか」
「育ち盛りだもん」
「って、ちょっと待て。お前……背伸びた?」
「おう。もうすぐクリンに追いつくぜ〜」
「僕の数少ない兄としてのアイデンティティーが……。それ没収!」
食べる寸前のところで肉の串焼きを取り上げて、クリンは「逆にマリアが大きくならないとな」とマリアの口元へ運んでやる。マリアは戸惑いながらも食欲をそそる匂いに勝てず、ぱくりとそれを頬張るのだった。
そんなふうに時間を過ごしていくうちに、マリアの表情も普通の女の子のように柔らかい笑みに変わっていった。
やがて雨が降り始め、通行人がまばらになっていく。
どこかカフェかレストランにでも入って休憩しようか、と相談していた時だった。楽しい時間に水を差す人間が現れた。
「ここにおいででしたか。マリア・クラークス」
道端で背後から話しかけてきたのは、清潔感のある白いマントを羽織った女。五十代だろうか、言葉は丁寧なのにどこか威圧的な雰囲気を醸し出し、得体のしれない笑みを浮かべていた。
マリアは彼女を見るなり顔を青ざめ、深々と頭を下げた。
「大司教様……!」
「お久しぶりですね。五つ目の巡礼を無事に終えたと聞きました。ご苦労様です」
「もったいないお言葉でございます」
二人のやりとりから、彼女が教会の人間であるとわかった。
しかし完全に傍観者を決め込んでいたクリンとセナだが、まさか話の矛先がこちらに向くとは思いもよらなかった。
「そちらが巡礼の地でマリア・クラークスとともに儀式を終えた騎士殿でしたか」
「は?」
「セナ! 挨拶しなさい!」
「……どーも」
セナは相変わらずだ。
しかし司教と呼ばれた彼女は気にするそぶりもなく、セナをまじまじと観察していた。
「ほう……。話には聞きましたが、なるほど、本当に青い髪、金の瞳。そしてその面立ち」
「なんだよ?」
その舐め回すような視線に、セナは不快感を覚える。
「これは失礼いたしました。名をお伺いしても?」
「……。セナ」
「ふむ、セナ殿。失礼ですが、ラストネームもよろしいでしょうか」
「それは名乗らないことに決めてる」
「……なるほど。ご家族想いなのですね」
司教がうんうん納得している間、クリンはそう言えば、セナは誰に対してもラストネームは名乗らなかったなと思った。
自分の不思議な力のせいで家族を危険に晒すまいという、彼なりの配慮があったのかもしれない。
「では、青き騎士と呼ばせていただきましょう。青き騎士殿、そしてマリア・クラークス。お二人に、教皇様より帰還命令がくだされました。至急、プレミネンス教会へお戻りください」
「えっ!?」
声をあげたのはマリアだ。
「お、おまちください。お言葉ですが、私はあと二つ巡礼が残っております。それらを終えてからではいけないのでしょうか?」
「マリア・クラークス。これは要請ではなく、命令なのですよ」
「……!」
マリアは返す言葉もなく、きゅっと下唇を噛んだ。
しかしセナはハンッと鼻で笑うのだった。
「俺はあんたらに命令なんかされる筋合いはない。自分が行きたいと思ったところに行く」
「……それは困りましたね。あまり手荒なことはしたくないのですが」
「!」
司教は眉ひとつ動かさなかった。だというのに、明からにこの場の空気が振動し、降っていた小雨が氷に変化した。そして一瞬空中に浮いたと思ったら、それはクリンたちのほうへ向かって全身を殴打する。
「痛っ……」
「おやめください、司教様! 従います、戻りますから!」
力ずくで引き出したマリアのイエスという返事を聞いて、司教は満足したようだ。降り注いでいた氷は雨に溶けて柔らかく落ちていった。
「ではマリア・クラークス。あなたが責任を持って彼をプレミネンス教会へ連れて参りなさい」
「……はい」
「ちょっと待ってください。あなたも聖女なんですよね? 術で人を従わせるのが教会のやりかたなんですか?」
消え入りそうな声で返事をするマリアをうしろに隠し、司教に詰め寄ったのはクリンだった。
「こちらの意見を聞きもしないで、力で人を動かそうとしないでください。人にお願いをするなら、それなりの礼儀を見せたらどうなんですか!」
「……なるほど」
司教の目がきらりと光ったので、クリンはまた身構えた。
また氷の雨が自分を痛めつけるのかもしれない。だが自分は間違ったことは言っていないはずだ。
しかしクリンの心配は杞憂に終わった。
「大変失礼いたしました、おっしゃる通りですね。では青き騎士殿、どうかプレミネンス教会へお越しください。お連れさまもぜひご一緒に」
「……」
クリンとセナは顔を見合わせる。礼儀を通してもらったからと言って「はいわかりました」とは、いかない。自分たちには目的がある。ここで断ればマリアたちに迷惑がかかるかもしれないが、それでも。
「お約束はできません。僕たちには目的があります。行かなければならない場所があるんです。そこへ行った後、どうなるかもわかりませんし」
「ふむ。ではその場所をお聞きしても?」
「言いたくありません、あなたは信用できない」
クリンが出した答えはノーだった。今度こそ痛みがやってくるのを覚悟したが、しかし司教は納得したようにウンウンと頷くだけ。
「よくわかりました。では、すぐにはお越しいただけないということを教皇にお伝えいたします。ですが、なるべく早めのお越しをお待ちしております」
「行くという約束はしてませんよ」
「……では」
釘を差したクリンの言葉を捨て置いて、女性はさっと身を翻して去っていった。
雨が本降りになってきた。しばらく無言で立ち尽くしていたが、やがて宿に戻ろうと提案したのはクリンだった。
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