第七話 叡智の国

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 司教から受けた氷の傷は、軽い打撲で済んだ。宿でひととおり怪我の具合を診たあと、一息ついたところでマリアが頭を下げた。 「みんな、ごめんなさい。あたしが巻き込んじゃったせいで」 「マリアのせいじゃないよ。いくらなんでも、あれは強引すぎる」 「で? どうするんだ?」  フォローするクリンに続いて、セナはベッドの上で胡座(あぐら)をかいたまま三人を見回す。皆が答えに迷ってうつむいてしまった。 「そもそも、プレミネンス教会ってどこにあるんだ?」 「学校で習ったじゃないか」 「しらねー」  弟の不勉強さにがっくり肩を落とした兄に代わって、ミサキが説明をしてくれる。 「ここより北東にあるミアジストラ大陸の南西部ですよ」 「ふーん?」  セナが地図を広げたので、ミサキは隣に腰掛けて指をさしていく。 cc9ae11a-0c75-4a37-82d4-2af8fc2a9a6d 「本来ならば、私たちはここグランムーア大陸からすぐ東、シグルス大陸へ渡るつもりでした。北シグルスで六つ目の巡礼を済ませたあと、今度はミアジストラ大陸へ渡り東部で最後の巡礼を終わらせます。それからプレミネンス教会へ戻るつもりだったんです」 「だけど、すぐに帰還しろって言われたってことは」 「はい。シグルス大陸へは行かず、まっすぐミアジストラ大陸へ戻らなければなりません」 「ふーん。じゃあ帰りがけにパパッと巡礼を終わらせるってことは、できないってことか」 「そうですね」  そこで、一同はマリアを見た。巡礼の役目を負っているのは彼女だ。彼女の意見が知りたかった。 「あたしは……巡礼を終わらせたい。任務途中で戻るなんて……なんのためにここまで頑張ってきたのかわからないじゃない」 「帰還後、また巡礼に戻れる可能性は?」  クリンの質問に、ミサキは首を傾げた。 「わかりませんね。そもそも、呼ばれた理由も明白でないので……」 「それもそうか」  うーん、と、全員がそれぞれに悩む。  ミサキは遠慮がちにセナを見た。 「あの。セナさんは、どうなさいますか?」 「俺?」 「はい。ゲミア民族の里へ行く猶予は得られたわけですが、その後です。本来ならば、ここへ戻ってきて検査の結果を受ける予定でしたよね」 「あー」  おそらく何も考えてないのだろう、不祥の弟がパッと助け舟を求めてきたので、クリンは軽くため息をつき首を振った。 「もし、万が一に、ゲミア民族の里でなんの情報も得られなくて、検査結果にも手がかりが得られなかったら、僕たちの次の目的地がなくなってしまうんだ。その場合は、マリアと一緒に教会に戻ることはできるよ」 「では……」 「でも、もしゲミア民族がセナの故郷なんだとしたら、そこからどう生きるかはセナが決めることだと思う。そこで暮らしていくという選択肢もあるわけだし。だけどゲミア民族がハズレで、検査結果で病気や異常が見つかった場合は、ここラタンにとどまった方がいいと思うんだ」 「つまり、その二つの情報が得られるまでは、マリアに同行はできない、と」 「うん、ごめん」  予想していた答えだったのだろう、ミサキもマリアも気にしないとばかりに、ふるふると首を振ってくれた。 「じゃあ、考えても仕方ないことだし。今はゲミア民族の里に行くことだけを考えましょう」  そう言って話を締めたのは、マリアだった。  コリンナからゲミア民族の里の場所を教えてもらったのは、その日の夜のことだった。リストラル地方中央部の山奥に隠れ里があるらしく、馬車での走行は不可能とのこと。また、そこは許可なく立ち入ることができないため、コリンナの同僚は里に立ち入れるようにと、手紙を一筆したためてくれた。この手紙を見せたところでゲミア民族が首を縦に振ってくれるかは五分五分だということだったが、それでも希望が見えたことでクリンは感謝した。   「あのさ」 「んー?」  もう夜も深まってきた頃、クリンがその手紙をリュックの中に入れ、荷物の整理をしていると、セナが部屋に入ってきた。 「ちょっと……いい?」 「なんだよ。あ、リストラル語辞典いる?」 「いらんわ」 「なんだよ、今後もずっと使うかもしれないだろ」 「……そのことなんだけど」 「うん」  セナの表情が暗いというより少し不機嫌に見えたので、クリンは「座れば?」とベッドに促した。  それに応じて腰掛けたセナに、コーヒーを入れてやる。その間もセナは黙ったままだった。 「はい」 「ありがと」 「で。話って?」  ベッドに並んで腰かけ、互いにコーヒーをすする。 「あのさ。ゲミア民族に、もしも俺の親がいるってわかったら……」 「ん?」  なかなかその続きを言わないので、首を傾げて催促する。 「俺は、そこにいなきゃだめなの?」 「……」  その質問は、正直予想通りだった。それに彼が不機嫌になってしまった理由も、ちゃんとわかっている。 「ダメじゃないよ。それはセナが決めることだ」 「こういう時ばっかり俺に決めさせるの、ずるくね? 旅に出ようって言ったのクリンじゃねーか」 「そうだね。今まで全部、僕が決めてきた。でも、こればっかりはセナが決めなきゃダメだと思うよ」 「じゃあクリンの意見は? どうでもいいと思ってんのかよ」 「そんなわけないだろ。でも……ゲミア民族がゴールなら、その時点でこの旅は終わりだ。セナが本当の家族といたいなら、そうすればいいと思ってる」  言ってもらいたい言葉ではなかったのだろう、セナはさらに気を悪くしたようだ。 「……一緒に帰ってこなくていいってか」 「そうは言ってない。どっちを選ぶにしても、自分で考えろって言ってる」 「あっそ」  セナは一気にコーヒーを飲み干すと、乱暴にマグカップを突き返して立ち上がった。 「寝る」 「……おやすみ」  不機嫌いっぱいの顔で、セナは扉を乱暴に閉めて出ていった。  クリンは手の中におさまる二つのマグカップに視線を落とした。片方にはたっぷり残ったコーヒーと、片方は空っぽのカップ。 「だって僕が『一緒に帰ろう』って言ったら……絶対そうするじゃないか……」  ぽつりと、静かな部屋に言葉が漏れる。  言えるわけがない。セナと肉親を引き離すような言葉なんて。
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