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第八話 ゲミア民族の里へ
シトシトと雨が降りしきる中、四人は馬車に揺られていた。コリンナに見送られながらラタン共和国を後にしてから、早くも一週間が経過していた。
馬車の中では誰もが無言だった。時折、クリンが気を遣っておやつを出したり、天気の話を振ったりもしたけれど、微妙な空気を拭えないまま時が過ぎてしまっている。
原因は、セナとの喧嘩だ。
弟の性格上、次の日にはすっかり機嫌もよくなっていると思っていたのだが、今回はやたらと長引いてしまっている。何度か話しかけても取りつく島もないので、クリンはお手上げ状態だ。
雨は、しだいに強くなってきていた。
馬車はいつの間にかリストラル地方に入り、景色もだいぶ寂れてしまったようだ。コリンナから受け取った地図によれば、次の村が最後の馬車移動になる。そこからは歩いて里を目指すのだ。
「慣れない登山は、しんどいだろ。二人は次の村で待っててくれないか?」
クリンの提案に、ミサキとマリアは同時に首を横に振った。
「何言ってるのよ、水くさい。あたしたちも行くわ」
「そうですよ。ここまで来たら、とことんです」
「……ありがとう」
気まずい空気の中でも、マリアとミサキがこうして微笑んでくれることがありがたくて、申し訳なかった。セナはずっと窓の外を眺めていたが。
リストラル地方中央部。山の麓にある小さな村は、畑の広がるのどかな雰囲気だった。観光にも中継地にも利用されないような山に囲まれたこの村に、乗合馬車は存在しないようだ。ここから山奥まで幾日かかるかもわからないので、御者には帰ってもらうことにした。
ここより前に立ち寄った村ですでに野宿の準備はできていたので、そのまま山に入ろうと思っていた。
が、ここで問題が生じた。
雨である。
この悪天候で慣れない登山に挑戦するのは、無謀だ。おまけにこの村には、宿もないときた。
「あんたたち、旅人かい。まだ子どもじゃないか」
このまま山に入って雨を凌ぐべきか迷っていると、村の住人だろう老婆が話しかけてきた。雨がっぱを被っていてもわかるほど柔らかくて穏やかな微笑みを向けられて、クリンはホッと胸を撫で下ろした。
ミサキとのレッスンのおかげか、不安だったリストラル語も無事に聞き取れている。
「あ、はい。ちょっと、用事がありまして」
「そうかい、そうかい。この先にはなんにもないけどねぇ」
やはりゲミア民族の里は周知されていないようで、一番近くのこの村ですら、彼らの里のことを知らないようだ。
「こんな雨じゃあ、登山は危険だよ。明日には晴れるだろうから、うちに泊まっておいき」
「え、でも」
「子どもが、遠慮なんかするんじゃないよ」
遠慮するクリンの返事を待たず、老婆はすたすたと歩き出してしまった。
たしかにこの酷い雨じゃ登山は危険だ。それに、里に着く前に済ませなければならないことがある。一行は、老婆のご厚意に甘えることになった。
セナは相変わらず目も合わせてくれない。クリンは心の中でため息が出た。
老婆の家は古い木造家屋で、歩けばミシミシと音がなる。広い家によその家庭の匂いが充満していて、なんだか落ち着かない。
「そことそこの部屋、あまっているから好きにお使い。今、風呂をわかしてやるから。ほれ、体をおふき」
来客などないのだろう、差し出されたタオルは自宅用なのかゴワゴワで、かえって吸水率が高そうでありがたい。
用意してくれた部屋に男子と女子で別れ、荷物をおろした。
びしょびしょに濡れた全身をタオルで拭いている間も、クリンとセナはずっと無言だった。隣からミサキたちの楽しそうな笑い声が聞こえてきて、いたたまれない。
「さて。女の子たちには、メシの支度でも手伝ってもらおうかね」
「はい、もちろんです」
「男の子たちは奥の部屋から全員ぶんの布団を持ってきて、敷いておくれ。ベッドはないが、クッションがたくさんあるから代用できるだろ」
「わかりました。お食事まですみません、お世話になります」
風呂を借りて温まったところで、それぞれ家の中の手伝いをすることになった。
ミサキたちの部屋にずかずか入るのは忍びないので、綺麗めのクッションと布団は入り口にそっと置かせてもらって、自分たちの部屋へ。
「枕、どっちの色使う?」
「……」
どっちでも、という返事すらもくれず、セナは黙々とクッションを並べている。
その背中に、クリンは枕をぶつけた。
「……」
それでもセナは頑なに無視をするので、もう一度枕をぶつけてみた。
やっぱり、反応はない。
「なあ、いつまでそうしてるんだ?」
「……」
「ミサキとマリアも可哀想だろ、あんなに気を遣わせて」
「……」
「このままゲミア民族の里でお別れになんてことになっても、いいのか?」
「……」
「僕はやだよ、弟と喧嘩したまま別れるのは」
セナは深い深いため息のあと、枕を投げ返してきた。
「なんで、別れる前提で話してんだよ」
「痛った。何すんだよ」
「先に投げてきたのはそっちだろ」
「僕は優しく投げたよっ」
ボフッと、今度はセナの顔面めがけてぶん投げてやった。
そのあとは無言で枕の応酬が続く。そのせいで部屋中ホコリだらけになってしまった。
「ゲホッ、ゲホッ」
咳と鼻水が出ても、それでも枕を投げ続けた。投げ返して欲しかったから、自分も投げ返した。
「セナは、勝手だ」
「どっちがだよ」
「ワガママ、横暴、短気」
「優等生気取り、ワンマン、ひとりよがり」
枕投げを繰り返しているうちに、だんだんイライラしてきた。この弟は、欲しい言葉をもらえないから拗ねているだけなのだ。
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