第八話 ゲミア民族の里へ

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 そんなことを考えていると、足音が近づいてきた。寝間着(ねまき)姿の聖女サマが手をこすりながら、こちらを見上げているようだ。 「なにやってんのー?」  と小声で訴えてきたが、めんどくさいので放置を決め込む。するとマリアは樹に手をかけて、「うんしょ」と登り始めたではないか。 「はぁっ? お前、登れんのかよ」 「うわっ」 「登れねえのかよ……」  すぐに地面に逆戻りしたマリアに、げんなりと肩を落とす。考え事もできやしない。  セナはぴょんと飛び降りると、マリアを抱えてまた樹の枝に飛び乗った。先ほどよりも太い枝を選んだので、空がやや高くなってしまったが。 「わぁ。きれーい。こういうとき便利だね、あんたの体質」 「感謝しろよ、まずは」 「あーい。あーりがとー」 「……」  はぁーあ、と盛大にため息をついてやったが、マリアはまったく気にもとめず、近づいた星に目を輝かせている。けっきょく二人並んで腰掛けて、星空観賞会だ。  マリアの赤い髪はいつものポニーテールではなく、おろしたままの状態で、夜のゆるやかな風になびいている。  セナは、実はこの髪型が苦手である。いつぞやの教会で儀式の衣装を見た時も思ったが、なんだか別人のようでやりにくいのだ。  そんなことをボーッと考えていると、視線を感じたのかマリアと目が合ったので、セナはゆるりと星に視線を戻した。  視界一面に広がる星の海は、神秘的で心を震わせるものがあるが、反面、少し怖くもある。まるで闇の中に飲み込まれてしまいそうなほど、じわりと胸に生まれるのは孤独感。  クリンが言った『ずっとセナはひとりぼっちだった』という言葉が脳裏をかすめ、目を閉じる。    軽くショックだった。  その言葉に傷ついたのではない、それが図星だったことに気づいたから、ショックだったのだ。  自分は養子だ。ランジェストン家は温かい家庭だったし、とことん自分の存在を甘やかしてくれていたとは思う。だが、一度でも引け目を感じたことがなかったと言えば嘘になる。  クリンは父と母の血を色濃く受け継いで、長子として立派に医師の道を歩もうとしている。  それに比べて自分はどうだ。血のつながりもなければ、たいした才もなく、クリンが一人占めするはずだった両親の愛を横から搾取するだけ。  おまけにこんなに変な爆弾を抱えている異常人間だ。いくら馬鹿でおろかな自分でも、ランジェストン家の異物であると、きちんとわきまえているつもりだ。     だが、彼らはそんなふうに思わなくていいんだよと言わんばかりの深い愛情で、ずっと自分を守ってくれている。  それが嬉しくて、安心できて、ひどく恐ろしかった。  この気味の悪い異常体質のせいで彼らに苦しんでほしくなかったから、苦しかった。何も言えなかった。おそらくそれがクリンの言葉で言う『ひとりぼっち』だったのだろう。  水くさい、もっと家族に打ち明けてほしいのにとクリンは思っただろうが、それはクリンが嫡子だから言えるのだ。  自分が吐き出す言葉を、慈悲深いランジェストン家が見捨てるわけがない。それをわかっているのに、これ以上その愛情につけ込むようなことは言えなかった。  ……まあ、言えるわけがないからと、大事な言葉を全部クリンに言わせようとしている自分もたいがい甘え腐っているとは思うのだが。  いっそ、離れてしまえば丸く収まるのだろうか。     「へっくしゅ」 「……」  せっかくゴチャゴチャした頭の中がまとまりかけてたのに、それを阻むくしゃみの音。  隣から聞こえたそれを睨めば、マリアはまだ星を眺めながら、無意識に両腕をさすっている。夜の散歩をする予定だった自分とは違い、彼女はたまたまフラッと外に出てきただけなのだろう、上着を忘れたようだ。 「…………着れば」  心の底から不本意ではあったが、風邪でも引かれて「あんたが気が利かないから」とでも言われたら、ますます面倒臭い。  上着を脱いで頭にかぶせてやれば、「わーい、ありがと」と返ってくる無邪気な声。腹立つ。 「ねえ、セナ」 「……なに」 「怒らないで聞いてくれる?」 「そんなん内容によるだろ」 「それもそうか。あたしね。ゲミア民族なんか見つからなければいいのにって思っちゃってるんだ」 「……はぁ?」  ここまで来て何を、と思ったが、つい数分前に自分もそう思ったではないかと冷静になる。 「だって、そこで家族が見つかったらセナはそこに残っちゃうかもしれないんでしょ? あんたたちと別れるとなると、やっぱ寂しいよ」 「……」  なんでお前が言うかな、と口に出しそうになって、ハッと鼻で笑ってごまかした。八つ当たりもあったと思う。 「嘘つけ。寂しいとか言って、本当は俺を教会に連れて行きたいだけだろ」 「……」  しまった、と思った。  さっと目を伏せてしまったマリアの表情は、あきらかに傷ついているようだった。  また泣かれてしまうのではと身構えたが、マリアはそれ以上の会話をあきらめたのか、「おりる」と言って立ち上がった。が、雨上がりの枝を足場にしていたため靴が滑って、大きくバランスを崩してしまった。 「っ!」 「あぶね……!」  とっさに支えて事なきを得たが、両腕の中におさまったマリアの表情が泣きそうに見えて、自己嫌悪が襲う。 「あんた、ほんといじわる」 「わかった、悪かった。でもすぐ泣くのやめろよ、すげえ責められてるみたいじゃん」 「泣いてないもん」 「あっそー」  そういえば掴んだままだった、と。マリアの腰と背中からパッと手を離す。  しかし落ちそうになってとっさに掴んできたのであろう、彼女はセナの脇腹近くの服を握ったまま、離そうとはしなかった。 「……ねえセナ」 「なに」 「もしも家族が見つかっても、一緒に四人で旅を続けようよ」 「……は?」  目と目が合えば、彼女の瞳に宿る、決意を知る。 「セナ。あたしの、本当の騎士になって」 「……」  そこまで寒さを感じない気温の中で、マリアの手は震えているようだった。  予想だにしていなかった訴えに、セナは返事に迷うよりも先に、ただ驚いて声を失う。  頭上を照らす満天の星空。きらりと流れ星が落ちていったのに、交差させたままの二人の瞳には映らなかった。
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