第一話 出会いは潮風とともに

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「意外だったな」 「何が?」 「マリアだよ。まさか聖女様だったなんて」  一部始終を見守っていたクリンは、隣のセナにぽつりと呟いた。故郷フェリオス村に聖女はいない。弟はまったく興味をしめさなかったが、クリンはまるで有名人に会えた時のように興奮を隠せなかった。  さきほどの治癒術のように不思議な術をあやつることができる女性、聖女。それは生まれ持った先天的な才能であり、望めば身に付くものではなく、発現時期も様々だ。  あるいは炎を操り、あるいは瞬間的にその身を移動させたりと、力の種類は様々である。  しかし彼女たちはその力を決して悪用したりせず、各地に存在する教会に属し、聖女として修行を積む。そしてその地を守り続けていくのだ。  その中でも、マリアが所属するプレミネンス教会は世界中の教会を束ねる総本山で、力の強い聖女のみが身を置くことを許されている。  しかし一般的な聖女とは違い特別な任務を義務づけられ、彼女らは聖地巡礼の旅に出なければならない。各地の教会を訪れ儀式を行い、やがて身につけた強大な術を用いて世界を平和に導くと言われているのだ。  もちろん一般的な聖女と言えどじゅうぶん崇められる存在なのだが、その中でもプレミネンス教会所属と言えば、ことさらに稀有(けう)で、尊いものなのだ。 「村の学校でも教わっただろ。三十年前に世界じゅうを襲った疫病を、プレミネンス教会の聖女様が巡礼ののちに終息させたって。そのとき世界中に光の雨を降らしたらしいぞ」 「へー」 「すごいなぁ。マリアもその巡礼中ってことだろ。あ、なれなれしく呼び捨てにしちゃダメなのかな」 「くっだらね。本人がいいって言ってんだから、いいんだよ」  クリンの力説を一刀両断し、セナはまったく遠慮することなく、マリアとミサキのもとへ向かった。  ミサキとともに乗客の避難を手伝っていたマリアは兄弟に気づくなり、一瞬だけ気まずそうな顔をした。が、すぐに使命を思い出したかのようにその表情をキュッと引き締めた。 「あなたたちも、早く他の部屋にうつったほうがいい」 「そっちはどうするんだ?」 「あたしは、揺れの原因を調べに行く。手伝えることがあるかもしれないし」 「じゃあ俺らも行く」  セナの言葉に、マリアとミサキは「えっ」と声をあげる。まさか同行を申し出るとは思っていなかったようだ。  クリンもセナの言葉に同意した。それは決して好奇心などではなく、自分たちにも手伝えることがあるかもしれないと思ったからだ。 「そうだね。じゃあ、まずは甲板に行ってみよう。それよりもマリア、さっき膝をついた時に怪我をしたんじゃないか?」  見れば、マリアの膝には血がにじんでいた。どうやら負傷者の治療中に食器の破片で怪我をしてしまったらしい。 「これ、よかったら使ってよ」    と、クリンが荷物から取り出したのは、清潔そうなガーゼと傷薬である小さな小瓶。  それを受け取るのも忘れ、マリアはクリンとセナを呆然と見つめた。まるで珍しいものでも見るような目つきで。 「おい、変な顔してる暇あったら早く手当てしろよ」  いっこうに受け取る様子のないことにしびれを切らし、セナはクリンの手からパッと傷薬を奪いとると、それをマリアの眼前へつきつけた。 「……わかってるわよ」  マリアは口をとがらせ、しぶしぶガーゼと傷薬を受け取る。簡単に手当てを済ませながら、今までとなんら変わらない兄弟の態度にホッと顔をほころばせたのを、前を歩き始めた兄弟たちは知らない。  揺れの正体は、甲板に出るなりすぐに理解することができた。船の先端に、先ほどまではなかった異質で巨大な塊が存在していたからだ。  海から上がってきたのか大量の水が滴っていたその物体は、まるでタコのような形状をしている。しかしタコと違うのは、数本ある触手の先端に口がついていることだ。  ウネウネとなまめかしい動きをするその触手の先端に、もがき苦しむ船員の姿を発見する。すでにパンパンに膨れ上がっている触手もあり、おそらく何人か飲み込まれたのだろう。人間に危害を加える存在であることは明白である。  それを取り囲むようにして、船員や傭兵のような者たちが武器を構えている。   「リヴァーレ族!」  マリアは吐き捨てるなり、懐から短刀を取り出した。  一方でクリンは、その奇妙な物体を初めて目の当たりにして、ぞくっと体をこわばらせた。 「リヴァーレ族……あれが」  今、世界中を恐怖に陥れている未知の存在。新聞や噂話で見聞きしたことは何度もあるが、実際にこの目で確認したのは初めてだった。 「ミサキは怪我人の避難を! あんたたちは、さっさと逃げて!」  そう言うなり、マリアは異質な物体めがけて、そしてミサキは倒れている者に向かって駆け出していく。二人の動きを見るなり、こういった騒動が初めてではなさそうだ。  だが平和な村で育った兄弟にとっては、これが初めての危機である。いまだドクドクと波打つ胸を、クリンは服の上から掴んだ。  ──怖い。  そう感じるのは、情けないことだろうか。
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