第八話 ゲミア民族の里へ

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 森の中に消えて行った弟が、なかなか戻ってこない。  クリンが一抹の不安を覚えたその時、 「セナ!」  マリアの声に振り向けば、崖から跳んでいった方とは逆の、先ほど自分たちを担いできた方角から戻ってきた弟を確認する。  さすがのセナも、あの低い川岸からこの崖までは跳べないと判断し、遠回りしてきたのだろう。  息を切らせたセナの両肩には、ぐったりとしている男の子と女の子の姿があった。五〜六歳くらいだろうか。まだまだ幼いその子たちは、怪我をしているのか意識がない。  男の子のほうは頭から血を流し、女の子は左足が真っ赤に染まっていた。布一枚をざっくり切ったような洋服を見るかぎり、あまり裕福な家庭の子たちではなさそうだ。入山する前に泊まった村の子だろうか。 「急いで治癒術を」 「わかってるわ」  セナの言葉よりも早く、マリアはもう動いていた。  治癒術の柔らかな光を見やりながら、クリンがセナに尋ねる。 「何があったんだ?」 「洞窟があった。中が崩れていて、こいつらが岩の下敷きになってた。中にもう一人、いる」 「えっ?」  早口に説明し、またセナが助走をとろうとする。その前を、クリンは立ちはだかった。 「もうダメだ! 雨がひどくなってる。川があふれたら、お前まで巻き込まれるぞ」 「放っておけって言うのか!?」 「そうは……言ってないけど」 「早くしないと間に合わなくなる!」 「いい加減にしろよ! いつもいつも無茶ばっかりして、どれだけ心配してると思ってるんだ!」 「じゃあクリンが代わりに行ってくれるのか!?」 「……っ!」  返す言葉もなくて、クリンは息を飲む。  だが失言だと気づいたのだろう、セナまでもが傷ついた顔を浮かべていた。  だが言い争っている猶予はない。セナは気まずそうに歯をくいしばると、大きく助走を始め、崖を跳んで行った。  クリンはもう、止めることができなかった。 「クリンさん……」 「ごめん、大丈夫」  そっと背中に手を添えてくれたミサキに、無理してでも笑ってみせる。これ以上、情けないのはごめんだ。  クリンは気を取り直して、子どもたちの様子を伺った。 「マリア、怪我はどうだ?」 「怪我はたいしたことないみたい、もうすぐ終わるわ」 「そうか、ありがとう。でも、何日食べてないんだろうな」  脈を測ってみる。通常のそれよりも、ずっとゆっくりだ。子どもたちは見るからに衰弱していて、一刻を争う状態だった。 「温かいスープでも飲ませてあげたいけど、この雨じゃ……」 「私、携帯用のスープがあります。マリア、治療が終わったら火を出して」 「わかった」  マリアは治療の目処がたったところで、手のひらに火を灯した。小鍋に非常用の即席スープを入れ、その火で温める。  聖女の力をこんなふうに使うのはいささか不謹慎な気もするが、そうは言っていられない。  温まったスープをフーフーしながら、子どもたちの口に流し込んでいく。こく、と喉が動いたのを見て、ホッと安堵の息が漏れた。 「それにしても、この子たち、こんな山奥にどうやって入ってきたんだろう」 「逆かもしれませんよ。入ってきたのではなく最初から居たのだとしたら」 「……それって、つまり!」  ──ゲミア民族の子!  その答えに辿り着いた時、ヒュンッと風が動いた。 「わっ」 「きゃっ」  クリンとミサキの間を、一本の矢がかすめる。それは地面に突き刺さり、羽根の部分が揺れていた。 「弓矢!?」  跳んできた方を見れば、背の高い痩せ型の男たちが三人、四人……。みな、すさまじい表情でこちらを睨んでいる。 「里の子、襲ったのか」 「里の子、宝。返せ」 「処刑、処刑」  唸り声の中に聞こえてきた単語に、クリンは誤解されていると気付き、両手を上げた。 「まってください! 僕らはこの子たちを助けただけです!」  慣れないリストラル語で賢明に訴えたが、言葉の壁か、それとも別の要因か、彼らの耳にはまったく届かなかったらしい。  一人がヒュンッと跳躍し、視界から消えたと思ったらミサキの背後に回った。抵抗する隙も与えず、男はミサキの首に腕をまわすと片手に持ったナイフを頬に当てた。 「動くな」 「ミサキ!」  男が命令するよりも先に、マリアが炎の玉を生み出す。しかし、クリンがそれを止めた。 「ダメだ、マリア! ミサキに当たってしまう!」 「……っ」  くっ、と悔しそうに炎を消し去った時、風は動いた。 「マリア、危ない!」  別方向から跳んできた矢は、まっすぐにマリアを狙っている。  クリンは体当たりをして彼女を守った。瞬間、右肩に焼けるような痛みを覚える。 「うあっ」 「クリン!!」 「クリンさん!」  感じたことのない激しい痛みに、心臓がどくどくと早鐘を打つ。痛い、熱い、痛い。  しかし痛みに目を閉ざすも束の間、傷口に優しい光が添えられて痛みが引いていくのがわかった。マリアの治癒術だ。  ホッとしてマリアを見る。が、次の瞬間クリンの目に映ったのは、彼女の背後に忍び寄る一人の影。 「マリア!」  呼びかけは遅く、男の拳がマリアをなぎ払った。マリアの体は軽く横に吹っ飛び、十メートルほど転がったところで動かなくなった。 「マリア! マリア!」 「いや──っ!」  ミサキの悲鳴が響き渡る。  と同時に、崖下のほうから耳をつんざくような騒音が鼓膜を突き破った。川の水が吹き出すかのごとく勢いを増し、一気に下流へと流れていく。  その光景が目に入り、クリンの心臓は凍りついた。 「セナ……」  上流から溢れ出る濁流は、セナが消えた方角まで飲み込んでいく。 「セナ! セナ、セナ!」  男たちが何か叫んでいるのが聞こえたが、振り切って、崖の端まで走る。  見えない。弟の姿はどこにも見えない。 「セナ! セナ────!」  呼び声は濁流にかき消されていく。  次の瞬間には背中に衝撃を感じ、激しい痛みに襲われた。矢だ。そう気づいた時には地面にひれ伏していた。 「クリンさん、クリンさん!」  倒れ込んだ体に力は入らず、ミサキの泣き叫ぶ声を聞きながら、ただ痛みに顔を歪める。遠ざかっていく意識の中、茶色く濁った川だけが瞼に残った。
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