第九話 チカラのカタチ

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 セナは川の勢いに乗って一目散にマリアのもとへと泳いでいった。  背後から彼女を片手で抱え込むと、もう片方の手で力強く縄を掴んだ。  水面から顔を出したマリアはぐったりとしていて、意識がないように見える。 「引き揚げろ!」  川の中から聞こえる声に、ロープをこれでもかと引っ張る。  そこへ白い手が伸びてきた。 「ミサキ!」 「私も手伝います!」  だが、二人の力などたかが知れている。  手応えはまったく得られず、おまけに矢を射られた箇所が今にも切れてしまいそうだ。  容赦ない雨が手を濡らしていき、滑らせる。 「くそ、逆だった。僕が川に飛び込めばよかった」  縄を引っ張る力はおそらくセナのほうが上だろう。  だが、たらればを言っても事態は解決しないのだ。  自分の持てる力で戦うしかない。  クリンは大きく息を吸い込むと、今までで一番大きな声を出して叫んだ。 「ゲミアの民よ、聞け! 交換条件だ! 川の水をせき止める方法はある、まだ間に合う! 教えてやるからあの子たちを助けろ!」  長老の目がこちらを見ている。  クリンは一切の(ひる)みを見せずに睨み返した。 「血を流さなくても解決する方法はあるんだ! あの子たちを助けてくれるなら里を救う方法を教える! 約束する!」  長老の杖が動いた。  瞬時に男たちがこちら目がけて駆けてくる。  交渉決裂かと歯を食いしばった時、男たちは一斉にロープを掴み、かけ声を上げた。 「……!」 「クリンさん!」 「ああ」  ミサキと二人で頷き合う。  言葉が通じたこと。そしてロープを引き揚げるその力強さに、思わず涙が出そうになる。  男たちとかけ声を合わせ、持てる力を振り絞ってロープを引っ張った。  川の流れを切るように、セナたちが川岸へと引き揚げられる。  セナは岸に上がるとマリアを抱えたまま安全な場所まで移動した。その足取りはひどく重いようだ。 「セナ、マリア!」  足を滑らせるように土手をおり、クリンとミサキはそこへ駆けつける。  ゲホゲホと咳き込むのはセナだけで、マリアはぐったりしたまま動かない。  すぐにロープを切って仰向けに寝かせ、気道を確保し、胸元を注視する。 「息がない……」  ざわっと全身の毛が逆立つ。  クリンはすぐさま胸の真ん中に両手を置いて、強く押し始めた。  一、二、三……と、心肺蘇生法を試みる。 「ミサキ、ハンカチ!」 「は、はい」  セナの声かけに、ミサキが慌ててハンカチを取り出す。セナはそれでマリアの口を覆った。 「十一、十二、十三……」    ジャリ、と。  そこに邪魔者たちが現れて四人を取り囲んだ。  ゲミアの長老たちである。 「約束。教えろ」 「人命救助が先だろう!」 「ダメだ」 「……っ」  まるで壊れた物でも見るかのように、長老は興味なさそうにマリアを一瞥(いちべつ)した。  杖で砂利(じゃり)を叩く。それを合図に、男たちがクリンの腕を捕らえた。 「クリン!」  すぐさまセナが応戦態勢に入るが、クリンが止めた。 「セナ、やめろ! 今は争ってる場合じゃないだろ、一刻を争うんだよ!」 「!」 「止めるな、続けろ! お前はランジェストン家の次男だろ、目の前の命を助けるんだよ!」 「……っ。わかった」  男たちに無理やり連行されていく兄の代わりに、セナは覚悟を決めてマリアの胸元に手を当てた。  兄と同じ角度、兄と同じリズムで胸を打っていく。 「セナさん、できるんですか?」 「親に、うんざりするほど叩き込まれたよ……っ」 「そういえば、セナさんも医者の息子なんでしたね」  意外そうな顔で言いやがって。  無意識に放たれたミサキの言葉に脳内で反発しながらも、そんなことは言ってられないので、人命救助に集中する。 『そう、それくらいの速さで。その浅さじゃ効果がない、もっと深く。心臓マッサージを三十回、人工呼吸を二回、これを絶え間なく続けるんだ』  はいはい、もう飽きた、と聞き流していた父の声が頭の中でリフレインする。  もっとちゃんと聞いておけばよかった。もっといろいろ教えてもらえばよかったと、セナは自身の不勉強さを恨んだ。  あの時だって……自身がちゃんと応急処置を知っていれば、リストラル語をもっと話せていたら、里の子どもを死なせずに済んだかもしれないのに。救命処置もしてやれなかった。  後悔しても、あの命は戻らない。  でも今、目の前にある命だけでも助けたい、今度こそ守りたい。  ハンカチ越しに二度、息をゆっくり吹き込んでいく。  胸部が膨れたのをしっかり確認し、また心臓マッサージに戻る。  一、二、三……  三十回同じリズムで心臓を刺激して、再び息を吹き込む。  マリアは動かない。 「くそっ……」  大粒の雨に混じって、汗が頬を通過する。    必死にマリアの胸に手を押し当てながら、脳裏に失った幼い子どもの顔がちらついて、セナは嫌な予感を覚えた。  それに飲み込まれてしまいそうで、振り払うように、何度も、何度も蘇生法を繰り返した。 「ゲホッ……ゲホッ」 「マリア!」 「顔を横向きにしろ!」 「はい!」  やがてマリアが大量に水を吐き出した。  吐き出したものを指でかき出して、呼吸を確かめる。 「う……」 「息が……!」  戻った!  折れた肋骨が痛むのか、マリアは顔を歪めて呻いている。  苦しそうではあるが、それでも腹部が膨らみ、また(しぼ)んでいくのが確認できて、セナはマッサージの手を止めた。 「マリア! よかった。本当に……」  マリアの体にしがみついてポロポロ泣きじゃくるミサキを眺めながら、セナはその場にへたりと座りこんだ。  意識こそないが、マリアの胸はしっかりと動いている。  ……生きている。 「あー……」  腕がしびれ、指先が震えているのがわかって、安堵と情けなさでいっぱいになってしまった。  呼吸も忘れるほどの緊迫した状況にずいぶんと腹に力が入っていたようで、いまさら緩んだ腹筋がズキズキと痛みを教えた。  空を仰げば、まだまだ止みそうもない、強い雨。 「よかった」  と、セナはその雨を甘んじて受け止める。  この雨なら涙はごまかせそうだ。
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