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先に動いたのは、弟のセナだった。
謎の生命体めがけて一目散に駆けていき、マリアの隣へと肩を並べる。武器も持たずに飛び入りしてきた少年の姿に、マリアは当然ギョッとした。
「逃げてって言ったじゃない」
「どこに? こいつを倒さなきゃ、どのみち船ごと食われちまうんだろ」
「あんたこいつと戦えるの?」
「さあ。村では喧嘩に負けたことはなかったけどな」
「はぁっ? これはそんな可愛いもんじゃないわよっ!」
言うなり、マリアは敵めがけて短刀を投げつける。投擲された短刀は真っ直ぐに怪物の顔面に狙いを定めたが、触手によって弾かれてしまった。巨大な塊にしては、意外と動きが早いようだ。
だが弾かれることは予想済みだと言わんばかりに、マリアはその隙をついて左手から炎の玉を生み出し、塊に向かって投球した。
炎は今度こそ相手の顔面に命中したようで、それは苦しむように左右に蠢いている。そのせいで船はコントロールを失い、ぐらぐらと揺れ動く。
その拍子に、負傷者を介抱していたミサキはバランスを崩してしまった。体が左右に振られ、そのまま床へ倒れそうになったところで。
「クリンさん……」
「セーフ」
それを支えたのは、クリンだった。ミサキの両肩からゆっくり手を離し、倒れている負傷者へ向き直る。
「僕も手伝うよ」
「いけません。あなたたちは安全なところまで避難してください」
「女の子に任せたまま逃げろって? それはカッコ悪いな」
「でも」
「ここは海の上だよ。この船以外に安全な場所なんかないんだから、船を守らなきゃ」
「……」
「それに、僕たちだって少しくらいは役に立てるかもしれないよ」
戸惑うミサキをよそに、背負っていたリュックをおろして中から薬箱を取り出す。なんの変哲もない茶色の木箱には、ぎっしりと薬や治療道具が敷き詰められている。
「父が医者なんだ。母は薬師。僕は父のあとを継ぐために幼い頃から勉強しているんだ。簡単な応急処置くらいなら、父の手伝いで何度もやったよ」
そう説明をしながらも、クリンは負傷者の傷を止血し手際良く手当てをしていく。わずかな間、観察するようなミサキの視線を感じていたが、気にせずに治療を続けているうちに彼女の視線は他の負傷者へと移っていった。どうやら納得してくれたようだ。
役立たずと思われなくてホッとしながらも、実際のクリンの心臓はバクバクと張り裂けそうだった。死ぬかもしれない。そんな恐怖に立たされた経験は今までに一度もない。
けれども、大事な弟や知り合いの女の子を残して逃げるなんて、できるわけがない。
「セナさんは大丈夫でしょうか」
手当てを続けながらも、ミサキは戦闘に加わっていった弟を案じてくれているようだ。
巨大なタコもどきはマリアの攻撃に怒り狂い、その触手を上下に振り回している。戦闘に加わった者は皆、それを避けるので精一杯だった。
もちろん弟にとってもこのような緊急事態は初めてだ。おまけに武器もなく、無謀としか言えない彼の参戦に、正直に言えばヒヤヒヤしている。
だが……。
「たぶん、心配いらないよ」
「リヴァーレ族と対峙したことが?」
「いや、それは初めてだけど」
「……」
じゃあどうして? と、疑問を含んだ視線が投げかけられる。だが返答に迷って、クリンは小さく笑った。
ダンッと鋭い触手が甲板の床を叩く。
その攻撃を上手にかわし、セナはピョンと後ろに飛び退いた。そこに次の触手が真上から襲いかかってきたが、今度は横へ横へと退避する。
「サルね、あれは」
触手が追い、セナがよけていく。
その攻防を間近で見守りながら、マリアはセナのあまりの身軽さに、あきれたように笑った。どうやらこちらが心配していたほど、役立たずではなさそうだ。
だが、逃げているばかりでは埒が明かない。
次々に襲いかかる触手をかわしながら、セナはやがて着地点を怪物の頭上へと定めた。ヌルヌルと滑りやすそうな踏み心地だったが、器用に着地して様子を見る。
そこへ触手が振ってきた。タイミングを見計らい、セナは横へと大きくジャンプする。触手はそのままの勢いで自身の頭上を叩きつけ、頭を歪ませたのだった。
自滅を誘う作戦は功をなし、タコもどきの物体は痛みに耐えているのか、その動きを大きく鈍らせている。
セナは追い討ちをかけるべく、ふっと浅く息を吐いて高く高く地面を蹴りあげた。
そのあまりの跳躍力に、周囲の者はみな息を呑んだ。三メートル、いや、五メートルは跳んだだろうか。
セナは両腕を振り上げ、落下の勢いにまかせてタコの頭上に拳打を与える。
怪物は今度こそ悲鳴をあげた。
「おお……」
周囲でどよめきがわき起こる。タコもどきはどうやらしびれて動きを止めているようだ。
やったか。いや、まだだ。
その証拠に触手は再び大きく動き始めた。どうやら逆鱗に触れたらしい。動きはさらに加速し、何本もの触手がセナに狙いを定める。
セナはまたぴょんぴょんと器用にかわしながら、マリアの横へ並んだ。
「あいつ、皮膚が厚くて頑丈だぞ。どうすればいい!?」
「え?」
「俺は考えるのはニガテなんだよ! なんかイイ案ないのか!?」
「ニガテって……」
自らの脳筋宣言に一瞬あきれそうになったが、そんなことは言ってられない。マリアは気を取り直して叫んだ。
「リヴァーレ族は体の中に赤い石が入ってるの! それを取り出せば活動停止するわ」
「活動停止って?」
「死ぬってことよ」
マリアは答えながら、触手に短刀を投げつける。懐から一本、二本と立て続けに取り出しては、石のありかを探っていく。
「全然見つかんねーじゃん」
「うるさい!」
触手の反撃をかわしながら、二人は肩を並べる。
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