第九話 チカラのカタチ

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 包帯の下から顔を出したその傷は深部まで達していて、噛まれた形そのままにして肉を()いでいた。  その傷を見て、セナは顔を強張らせる。  あの時の記憶は曖昧だったが、暴走したことだけはおぼろげながら理解していた。  その表情から、クリンにも弟がどれだけ後悔をしているのか伝わってきた。  だが、なかったことにはしない。入山する前の喧嘩でも話したように、この件について、もう弟をひとりぼっちで後悔の闇に置き去りにしたくはなかった。 「おかしくなっていた時の記憶は?」 「……ない。けど、……快楽だけは覚えてる」 「楽しかった、と」 「うん」 「止められなかった?」 「……うん」  セナは、苦しそうにクリンの腕を見つめていた。  目をそらすこともできたのに、セナは自分自身にそれを許さなかったようだ。 「僕は、痛かったよ。そして怖かった」 「ごめん……」 「うん。セナの力にはいつも助けられているけど、目的のない暴力は許容できない。二度としないように、我慢して、ちゃんと自分を制御するんだ」 「……うん」 「これはマリアには治してもらわない。責任もって、セナが手当てしてくれ」 「……」  こく、と、力なく頷いて、セナはクリンから包帯とガーゼを受け取る。  薬箱を置いてきてしまったので、不衛生ではあるが血に染まったガーゼをそのまま使い、包帯を巻き直していく。 「へたくそだな、相変わらず」 「……」  こちらの毒舌に応戦できないほど、だいぶ追い詰めてしまったらしい。  だが、これは必要な痛みだ。 「こんな痛みなんて、お前が受けた心の痛みに比べたらちっとも大したことないんだよ。ずっと、お前は一人でこの痛みに耐えていたんだ。……苦しかったな」 「……」 「それなのに、僕は突き放すようなこと言ってしまったんだよな。血縁と一緒に……なんて、ひどいことを言った。ごめん」  セナはきゅっと下唇を噛んで、ふるふると首を振った。 「セナ。もし次に暴走しそうになったら、この傷を思い出せよ」 「……うん」 「けど、またこんなことがあったって止めてやるさ。僕はお兄ちゃんだからな、見捨てたりしないよ。お前はずっとランジェストン家の次男だ。里の子どもを守って、マリアの命を救ってくれた。命の尊さを知るランジェストン家の人間だよ」 「…………」 「いつかお前がもう大丈夫だって言えるようになるまで、僕がずっと一緒にいて面倒みてやるからな。もう、なんにも心配すんな」  包帯はぐちゃぐちゃで、ゆるゆるだった。  この傷がなくなるまでに、果たして上達できるだろうか?  ちょっとこの不器用さは絶望的かもしれないな、と笑みをこぼした時、手の甲にぽたりと滴が垂れた。  セナが泣いていた。  それは声もなく、静かに。  見られたくないように目一杯うつむきながらも、包帯がいつまで経っても巻き終わらないので顔を背けることもできず、堪えようとして堪えようとして、それでもせき止められないといった様子だ。  ポロポロとこぼれる涙と、か細げな啜り泣き。  いつ以来だろう、弟の涙を見るのは。  少なくとも初めて凶暴的な一面を見せた時にはもう、セナは泣かなくなっていた気がする。  もしかしたら、誰にも見られないよう一人で泣いていたのかもしれないけれど。  そんなことを考えながら、クリンはその涙をそのまま放置した。  拭って止めてしまうようなことはしたくなかった。    抱えた想いはたくさんあるのだろうが、セナは胸のうちを吐露(とろ)することはなかった。  だが整理のできない感情は言葉になんかしなくてもいいのだと思う。  その涙で少しでも軽くなってくれれば、それだけでよかった。  弟は独りじゃない。独りにはさせない。  川から里へ戻って次に向かったのは、セナが助けられなかったと言っていた少年の墓。  墓と言っても土の上に木簡(もっかん)を建てただけの簡素なものだったが、里の者らが丁寧に埋葬していたのを、クリンは知っている。  この里での(とむら)い方を知らないので、兄弟は故郷のならわしにそって、墓に向かって冥福を祈った。  あの洞窟は、彼らの秘密基地だったようで、毎日のようにあそこで遊んでいたらしい。  セナが救出した数日前にも親の目を盗んで三人で遊びに来ていたが、洞窟の中が落盤し、下敷きになったことで身動きが取れなくなってしまった。  帰ってこない子どもたちを心配して、里の大人たちも必死で捜索していたところへ、クリンたちが入山してきたというわけだ。  里の者はクリンたちに子どもを誘拐されたと思い込み、処刑しようとした。そこで、マリアの不思議な術を見た。  その術に興味を抱いたため、いったん里へ連行しようということになったらしい。  里の者から聞いたその情報を、クリンはセナにも一通り説明した。  この子の母親は、子どもを亡くしたことを嘆いて(とこ)に伏せってしまったらしい。  だが、あの洞窟に置き去りのままだったら、川に流されて遺体も戻らなかった。結果的に帰らぬ命となってしまったけれど、セナのしたことは決して無駄ではなかったと、里の者も感謝してくれたようだ。 「改めて、セナには礼を言いたいって言ってたよ。それから誤解して攻撃してきたことも、謝罪したいって」 「ふぅん」  セナは墓を見つめたまま、どうでもいいような返事をした。  謝辞(しゃじ)などいくらもらっても、助けてやれなかったという無念は消えない。そんなことを言いたげに。  クリンは次に、とあるテントの前にセナを連れてきた。  住民用のしっかりした作りのテントだ。  声をかけて中に入れば、そこに居たのは洞窟でセナが助けた少年たちだった。  彼らは並んで寝具に横たわっていたが、マリアが崖で治したため怪我もなく、衰弱した体も快復してきたようだ。 「はは。ピンピンしてそうだな」  少年たちの姿を見て、セナは心底嬉しそうだった。  子どもたちはセナに「ありがとう」と笑った。  まだ全快してないので、それは力のない笑顔だったが、セナの心を救うには、じゅうぶん力強い言葉だった。 「おう」と短めに返したセナは、少しだけ心が軽くなったような表情で笑っていた。
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