第十話 いざない

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 クリンは何も言わなかった。  ただいくつか野菜を選んで、畑の話をしたり、天気の話をしたり、里の生活の話をしたりしながら、散歩にたっぷり時間をかけた。  その間も、クリンはずっとミサキの手を繋いで離さなかった。  歩を進めれば、見えてくる里の生活。  若い男性は狩りに行き、女性は洗濯物を川で洗ったり、生活用品を作ったり。子どもたちは親の手伝いをしつつ、遊びつつ、元気に駆け回っている。お年寄りはそんな子どもたちを見守りながら、穏やかに笑っていた。  やがて里の人間がクリンに気がついて呼び止めると、子どもたちがワッと群がってきた。里の人たちもわらわらと集まってくる。  また身構えたミサキにしっかり手を繋いだまま「大丈夫」と声をかけて、クリンはしきりに話しかけてくる子どもたちの相手を始めた。  子どもが木の棒を差し出してきたので、クリンは持っていた野菜をミサキに預けて、それを受け取る。そして乾いた地面に線を引いた。  リストラル語を用いて、ランダムでどんどん文字を書いていく。子どもたちがそれをキラキラした目で見つめていた。  クイズ形式で、「これは?」「正解」と子どもと話しているのを見て、ミサキはクリンが文字を教えているのだとわかった。  やがて一人の少女が、ミサキにも木の棒を差し出してきた。教えて、と言っているようだった。  受け取りたくない、と思った。関わるのは怖い。きっと断ってしまったらこの子は悲しむだろう。  でも、あなたたちだってマリアに酷いことしたじゃない。  そんなふうにせめぎあっているミサキの横で、クリンはゆるゆると首を振った。 「彼女は遊べないよ。まだ君たちが怖いんだ」  そんなふうに里の人たちに言うものだから、ミサキは驚いた。  里の人たちはハッとした後で悲しそうな顔になって、でも理解してくれたのかミサキから一歩離れた。  ごめんなさい、と、輪にいた一人の女性が言った。木の棒を差し出してきた女の子も、叱られたように意気消沈して下がっていく。  クリンはただ静かに微笑んで、子どもたちに木の棒を返した。そして人の輪からミサキを連れ出すと、野菜片手にテントに戻り始めた。 「なぜあんなことを?」 「本当のことを言っただけだよ。こう言っておけば、相手も必要以上にミサキに関わってこないから安心だろ」 「てっきりクリンさんは許せとでも言うのかと」 「まさか。僕だって暴力を受けたことは許すつもりなんてないよ」  ではなぜあんなに親しげに?  そんな疑問を視線から感じ取ったのだろう、クリンは言葉を続けた。 「ただ、相手が笑顔で来るなら、僕はそれに返してあげようとは思ってる。厚意を受け取ることと許すことは、同じところに置く必要ないかなって思うんだ。でもそれは僕の考えであって、ミサキはムリして合わせてやる必要はないと思うよ」 「では、なぜ私を外へ?」 「言ったろ、マリアのために野菜を収穫したいって」 「……」 「はは、疑ってる。別にたいそうな理由なんてないよ。ミサキと外を歩きたかったんだ。ずっと息をつく暇がなかっただろ? こうしてのんびり歩いて、ちょっと心を休ませたいなと思ってたんだ。付き合ってくれてありがとう」 「……」  嘘だと、すぐにわかった。    クリンは自分を外に連れ出して、ここがもう安全であるということを教えたかったのだ。  そして里の者にも釘を刺すことができた。まだ、お前たちのしたことを忘れていないぞと。決してなかったことにはしないのだと。  さらにその言葉を受けて里の者たちがどれほど反省しているのか、ミサキにも伝えることができた。  いわば彼は、互いの代弁者になってくれたのだ。 「クリンさんって、頭がいいんですね」 「え、なにが?」 「いいえ。頼りになるなと思いまして。あなたはすごい人です」 「よくわかんないけど、ありがとう?」 「……ふふ」  数日ぶりに、笑顔が出た。  笑ってから、そういえばずっと笑っていなかったなとミサキは気がついた。  ふと力が抜けたような感覚がおりてきて、それと同時にお腹がぐぅと鳴った。 「食べる?」  お腹が鳴って恥かしそうにするミサキの眼前に、クリンはずいっとオレンジの野菜を差し出す。  それはまん丸としていて、みずみずしそうで、太陽の光が当たってキラキラしていた。  これは、ゲミア民族が育てた野菜。マリアを傷つけた人たちが育てた食べもの。  でも…… 「はむ」  クリンの手から、そのまま野菜にかじりつく。  驚いた表情のクリンを見て、少しのイタズラが成功したことに喜びつつ、ミサキはそれを咀嚼(そしゃく)する。  トマトのように優しい歯応え。口の中いっぱいに広がるイチゴのような甘酸っぱさ。噛めば噛むほど、爽やかな甘みが残る。 「……おいしい」  喉を通って、お腹を満たしていく甘い甘い宝石。気がつけば、目に涙が滲んでいた。 「ありがとうございます、クリンさん」 「う、うん」  大人びた佇まいはどこへやら、しどろもどろになってしまったクリンの手から、もう一口、それをもらった。  彼が年相応の表情もすることに小さな満足感を得る。  我ながら意地が悪いなと思いながら、「自分で食べれば」と言ってこないのをいいことに、ミサキはなるべく時間をかけて、ゆっくりゆっくりそれを味わうのだった。
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