第十話 いざない

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 互いに長い沈黙を守っていた。  セナは相手の出方を掴みあぐねていたし、司教は何やら思慮にふけっている。  その重たい沈黙を破ったのは、セナでも司教でもなかった。 「う……」  熱で苦しいのか体が痛むのか、マリアが顔を歪め小さくうめいた。  司教はそれを一瞥し、「ふんふん」と名案が浮かんだかのように頷く。 「やはり、これに役立ってもらいましょう」  言うが早いか、司教は手をかざすと、そこに光を生み出した。  みるみるうちに光が氷の刃へと変化する。それは一本の大きな氷柱(つらら)となって、司教の手に預けられた。 「青き騎士殿。いまから尋ねるいくつかの質問に五秒以内にお答えください。さもなければマリア・クラークスは死にます。嘘だとわかっても同様です」 「は!?」 「あなたの父のお名前は?」 「……っ」 「五、四」  司教はカウントダウンを刻みながら、マリアの顔の上で氷柱を振り上げた。  くっ、と吐き捨てて、セナは早口に答える。 「知らない。生まれてすぐに今の親に引き取られた」 「良い子です。では次に」 「待てよ! そいつはお前らと同じ教会の聖女だろ!? 仲間だろ? なんでそんなことができる!」 「すべては世界を救うという大義のため。彼女も理解してくれるでしょう」 「なんだよ大義って! こんなののいったいどこが」 「質問を続けます。あなたがマリアの騎士になったのはなぜですか? 五、」 「……っ。なりゆきだよ! 偶然知り合ってたまたま行く先が同じ方角だったから、一緒になっただけだ」 「答えになっておりませんね」 「頼まれたんだよ! 騎士がいないと入れないって言われたから、今回かぎりって約束で」 「なるほど」  ぽたり、と。氷柱から滴が落ちて、それはマリアの頬に着地した。  ぴくりと動いたマリアに、起きるな、今は起きないでくれと、セナは祈る。  いや、本来ならば目を覚ましてくれたほうがこの状況を打開しやすくなるというのはわかっていた。だが、自分の身を預かる教会の人間にこんな仕打ちをされたと知ったら、彼女は今まで以上に苦しむだろう。 「では、次の巡礼でも騎士に?」 「ならない」 「なぜです?」 「目的が違うからだ。そいつの行く道に俺自身の用事がないなら、ついていくことはできない」 「あなたの用事とは?」 「……」  司教はまたカウントを始めた。  いったいこの拷問はいつまで続くのかと、冷たい汗が流れ出る。 「自分の体質の、原因と解決方法を探ってる」 「……詳しく聞かせてもらいましょうか」  興味深そうに目を細める司教に、セナはけっきょくすべてを話すことになってしまった。  自身の不思議な体のこと、凶暴化のこと、病気の線が薄かったため遺伝的な要因にシフトチェンジして、実の両親を探していること。  彼女の命を前に、すべての情報を洗いざらい明け渡した。 「なるほど、なるほど。よくわかりました。素直に教えていただけて本当に助かりました」  ……よく言う。と、毒づく気力もなく、長かった質問攻めが終わって気が緩んだ、その瞬間。  司教はマリアの左の鎖骨に氷の刃を突き立てた。 「ぁあ……っ!」 「──! やめろ!」 「近づいたら殺します」 「っ」  今まさに助けようと動いたところに制止の声を落とされて、なすすべもなくセナは硬直する。  激痛に悶えるマリアの声がテントに響き渡る。  全部話したのに、なぜ。   「青き騎士殿。コレの命を助けてほしくば、聖女の騎士におなりなさい」 「!?」 「仕える聖女は誰でもかまいません。騎士となり、すべての巡礼を終わらせると約束するのです」  司教は氷柱を引き抜いた。先端からマリアの血が滴り、と同時にマリアの唇から悲鳴があがる。 「あぁあ──っ、痛、痛い……っ」 「次は心臓を刺します」 「わかった、約束する! なればいいんだろ、騎士に。やってやるよ、ちくしょう!」  傷口から大量の血が溢れ出る。  司教はセナの返事を聞いて満足そうに微笑むと、氷の刃を蒸発させた。 「交渉成立、ですね」  そしてマリアの傷口へ手をかざし、まばゆい光を放った。全身が真っ白な光に包まれて、真新しい傷口はみるみるうちに塞がっていく。  セナは苦虫を噛み潰したような表情でそれを見守っていた。 「では、マリア・クラークスに伝言を。プレミネンス教会への帰還命令は取り下げます。そのまま巡礼を再開しなさい、と」 「わかった」 「そうそう。お約束いただけたご褒美をひとつ、さしあげましょう。巡礼の合間に、あなたは実父の情報を手に入れることができますよ、きっとね」 「……」  実父は、教会に関係のある者なのだろうか。  ぼんやりとそんな疑問が浮かんだが、質問する気にはなれなかった。 「最後にひとつだけ質問を。青き騎士殿、あなたのフルネームをお伺いしても?」 「……。セナ・ランジェストン」  父さん、母さん、ごめん。  養父母までもが人質となったことを理解して、心の中で謝った今この瞬間、敗北を知る。 「良い名です。では、セナ・ランジェストン殿。ご両親が悲しむことのないよう、粛々(しゅくしゅく)と巡礼にお励みなさい」  満足感たっぷりの笑顔で、司教は手から光をこぼした。それは司教の全身を包み込むと、やがて空間に歪みを生み出し、姿を消していく。  後に残ったのは、セナとマリアの二人きり。   「う……」 「!」  しんと静まりかえったテントに、マリアの声がひとつ落とされた。  セナが慌てて駆けつけ顔を覗き込むと、マリアはふっと目を覚ましたのだった。その顔色は、ここ数日のものよりも血色がよくなっているように見える。 「大丈夫か?」 「あれ? あたし……」  マリアの視線はまずセナを捉えて、それからテントの天井を捉えて、周囲を確認する。  そして、むくりと体を起こした。 「!」 「なんか、すごく痛い夢を見てた気がするんだけど」  こき、こき、と肩を鳴らしているマリアの横で、セナはただただ言葉を失う。 「げ、なにこれ血だらけ。気持ち悪〜い」  自身の服が血で濡れていることに気づいてギョッとする彼女の、一切の痛みを感じさせないような仕草と話し方。  まさか、と思って、セナはマリアの顔──右目に貼られたガーゼに触れた。 「え、なに。なにすんのよ」  不安げなマリアを無視し、ぺりぺりとそれを剥がせば、そこにあったはずの痣はすっかり消え失せて、痕跡も残ってはいなかった。 「お前……息は? 肋骨は?」 「え? え?」 「痛くないのか?」 「別に、なんともないけど」 「……うそだろ」 「何が?」 「あいつ、全部治していったのか」  はぁー、と、深い息がこぼれた。  怪我が治ったことは素直に喜ぶべきなのだろうが、まるで早く巡礼を再開させろと急かされているようで、小さな恐怖が残る。  当然、状況がわかっていないマリアは「あいつって誰?」なんてきょとんとしてるが。  その無垢な眼差しを直視することができず、セナは額に手を当ててうつむき、視線を避けた。  こうして会話をしている今もなお、心臓の手前で針を突き立てられているような不安感を感じずにはいられなかった。
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