第十一話 不穏な足音

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「いくら田舎の小さな村で研究設備がここより劣っているとは言え、あのランジェストン博士が十五年間もこのことに気づかないはずはないのよ」 「……はい」 「そして博士は、生まれたばかりのセナを引き取ってきたと言ったわね。生まれた場所も本当の両親のことも教えてくれなかった、と」 「何が言いたいんですか?」  コリンナの言いたいことがわかって、クリンは胸をざわつかせた。 「……もしかして、セナの出生に父が関係しているとおっしゃりたいんですか? 父が何かの実験を行っていて、そこからセナが生まれたと」 「可能性は否定できないわ」 「あり得ません!」 「クリン」  セナに声をかけられても、そんなことを言われて落ち着けるはずがない。 「父はいつだって患者の命に対して敬意を払ってきました。そんなふうに疑われるのは不愉快です」 「ごめんなさい。私だってハロルドの人柄は知っているわ。ただ、やっぱり一度彼に話を聞くべきだと思うのよ」 「父だってわからないって言ってました。僕はその言葉を信じます」 「信じられなかったから、ここまで来たのでしょう? クリンたちは」 「……」  ぐっと下唇を噛むクリンに、コリンナは再度、言いにくそうに言葉を続けた。 「あのね。セナのこの力がもしも人為的に作られたのだとしたら、それはとても恐ろしいことなのよ」 「!」 「それが生物兵器として生産……」 「やめてください! 弟の前で話すことじゃない!」  ガタッと立ち上がって、クリンはそれ以上の会話を拒んだ。  しんと静まり返った室内に、重たい空気が流れる。  それを打ち破ったのはセナ本人だった。 「クリン。父さんの無実を証明するためにも、やっぱり話は聞くべきかもしれないな」 「セナ!」 「俺たちじゃはぐらかされて終わりだろうし、それ、おばさんに任せていいの?」 「おば……あんた、仕返しのつもり?」  コリンナはハァとため息をつき、首を縦に振った。 「そうね、私がハロルドに聞いてみるわ。あなたたち、これから行く場所が決まってるなら教えて。何かわかりしだい、手紙を書くわ。あなたたちも定期的に連絡をちょうだい」 「わかった」 「セナ。その力を悪用してはだめよ。そして人に悪用されてもだめ。力をコントロールしなさい」 「……うん」  セナがうなずく横で、いまだクリンはうつむいて納得ができないという表情だった。 「気を悪くさせたなら謝るわ、クリン。でもね、私は研究者なの。研究とは様々な仮説の構築なくして成果を得ることはできないわ。あなたも医者の卵だと言うならば、大人になりなさいね」 「……はい。感情的になってすみませんでした」  コリンナの言い分が正しいということは、クリンにもわかっていた。  ただ、今の言葉を弟には聞かせてやりたくなかったと思うのは、やはり自分が子どもなのだろうか。    研究所を出て、ぶらぶらと目的もなく歩いた。そんなクリンを、三人は少し下がったところから見守っていた。  生物兵器。  それは空想上の物語で見たことのある、現実には存在しないものだった。だからセナがそんな存在だなんて考えたこともなかった。  ただ、ちょっと特殊な体を持って生まれただけ。先天的身体異常か、まだ解明されていない難病か。そんなふうな言葉を期待していたのに。コリンナの話はあまりに馬鹿げている。  そもそも、もしそうだとしたら父が十五年間もセナを普通の子どものように育てるはずがないではないか。  この十五年、父がセナに何かをしているようには見えなかった。利用するならもうとっくにそうしているだろう。  父は命の大切さを常に教えてくれた尊敬すべき人だ。彼が自分の目標だった。そんな父を疑うなんてまったくの心外である。  何より、弟のセナをこれ以上苦しめるのは誰であろうと許さない。  人に利用されるために生まれてきただなんて、あんまりにもひどい仮説だ。生物兵器? もしそれが真実なのだとしたら、弟の命はどうなる? 利用されて終わりか? 迫害されるのならばまだ良い。最悪、世界中が処分対象として弟の前に立ちはだかるのだとしたら……。 「クリン、危ねえって!」 「!」  うしろから肩をおさえられて足を止めれば、目の前を勢いよく通り過ぎる個人馬車。  砂煙を上げて去っていくそれを見て、自分が()かれそうだったことに今さら気づいた。 「あ……ごめん」 「クリン、いったん宿に戻って冷静になれ。なんつー顔してんだ」 「……」 「頼むぞ、うちの司令塔だろーが」 「そうだよ、クリン。ちょっと落ち着こう。あたしも疲れたから休みたいし」  セナとマリアに気を遣われて、自分が相当頭に血がのぼっていると自覚し、クリンは情けなさで自己嫌悪に(おちい)る。簡単に謝って、たしかに宿で情報を整理したほうがいいかもしれないな、と考えたところで。  ミサキの顔色がひどく青いことに気がついた。
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