第十一話 不穏な足音

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「ミサキ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」 「え、ええ。大丈夫です。ただ、ここに来て、……その言葉か、と」 「え?」 「いえ」  ミサキはクリンに力なく微笑んだ。そのまま視線を彷徨(さまよ)わせ、不意にたどりついた先はセナの顔。 「生物……兵器」 「……」  考え込むような表情でそう呟いたミサキに一同は目を見張り、その場の空気は凍りつく。 「ど、どうしちゃったのよ、ミサキ」 「……」  唇に人差し指を添えて深く思案するミサキの前に、セナは一歩、詰め寄る。 「俺が、生物兵器だって言いたいのか?」 「……」 「おい」  またいつものように、からかっているだけなのかもしれない。だが今回ばかりは悪趣味だ。けっして乱暴にはならない程度の非難のつもりで、セナはミサキの肩を軽く押してみた。  するとミサキは息を吸い込み、その手を勢いよく払いのけるのだった。 「いや……っ!」 「ちょ、ミサキ!」 「ダメ、止めなきゃ……止めなくては!」 「様子が変だ」  クリンはマリアとセナを下がらせ、呼吸を乱し始めたミサキに向き合った。  彼女の顔は真っ白で、目の焦点が合っていないように思えた。  ひゅっ、ひゅっと音を立てながら、息を吐けないのか苦しそうにもがいている。過呼吸かもしれない。クリンはそう判断し、ハンカチを取り出してミサキの口元を軽く覆った。 「ゆっくり、吐こう。大丈夫」 「ダメ……! わたくし……わたくしが……」 「ミサキ、大丈夫だから」 「わたくしが殺さなくては! 計画を止めなければいけないんです!」 「!?」  その言葉を吐き捨てた後、ミサキはさらに呼吸を乱していった。 「ミサキ! 吸うんじゃなくて、吐くんだ。大丈夫、ゆっくり吐いて。……そう、上手」  ミサキの言葉が気がかりではあったが、クリンは彼女を落ち着かせることに集中させた。  周囲がちらちらと心配そうに視線を投げてくる。セナとマリアはその視線からミサキを隠すようにまわりを囲った。    やがて、ミサキはふっと糸が切れたように意識を失うのだった。  ミサキはすぐにラタンの診療施設に運ばれた。  やはり彼女は過呼吸で、気を失ったのも解離性健忘による軽いショック症状であろうということだった。  清潔感のある白に囲まれた病室で、眠り続けているミサキをマリアに任せ、クリンとセナは病院の中庭を歩いていた。 「びっくりしたな、ミサキのこと」 「うん」  茶化せる雰囲気ではないので、二人とも口数は少ない。  小さな中庭では車椅子に乗った二十代くらいの女性と、恋人だろうか、それを押す男性が仲睦まじい様子で散歩をしていた。邪魔にならないよう、クリンとセナは近くにあった白いベンチに腰掛け、空気に徹する。  セナはクリンの薬箱を開け、クリンの腕の包帯を外した。  自身が噛んだ傷跡は、まだたったの一週間やそこらとあって痛々しそうに残っている。 「セナ、ミサキの言ったこと、あんまり気にするなよ」 「大丈夫」 「……本当か?」  念押しで聞いてくる兄にうんざりな視線で返し、セナは力なく笑った。  傷口にいつものように消毒液を塗り、ガーゼで覆う。毎日繰り返しているせいか、だいぶ手慣れてきたようだ。 「今さらどんな事実が出てきたって、もうこれ以上驚くようなことなんてねえよ」 「……コリンナさんの、話か」 「生物兵器だってさ。なんか、かっこよくね?」 「バカ。本気で笑えないからな」 「もしそうだったとしても、利用なんかされてやらねーよ。クリンだって止めてくれるんだろ?」 「当たり前だ」 「んじゃ、なんにも心配いらないじゃん」 「……おまえ、強いな」  クリンの褒め言葉に、「誰かさんのおかげなんですけどねー」とは死んでも言えないセナ。  ちょっと照れ臭くなって、包帯をぐるぐる勢いよく巻いていく。やはり、この作業だけは慣れない。 「それよりミサキの言葉のほうが気になるな。記憶喪失関連だろ、あれ」 「……そうだね、僕もそう思う」  クリンはあの時のミサキの様子を思い返した。 『ここにきて、その言葉かと』 『ダメよ、止めなきゃ』 『わたくしが殺して計画を止めなければ』 「……『殺して止める』って、おだやかじゃないよね」 「だな。やっぱ生物兵器のことかな」 「でも、一応旅の先々で新聞は読むけど、そんなの開発してる国なんて聞いたことないぞ」 「だよなぁ。秘密裏に……ってことだとしても、そんな情報を知っているミサキって何者なんだって話だよな」 「あの子、……『わたくし』って言ってたんだよな」  以前浮かんだことのある予想は、もしかしたら大本命なのかもしれない。クリンはそう思った。    ふとした時にでる上品な仕草や、立ち振る舞い。教養の深さ。やはり彼女はそれなりの身分の生まれなのではないだろうか。  その考えにほぼ確信を抱いた時、ふと胸に重たい塊が生まれたのを自覚した。以前予想した時にも違和感を感じたが、今ならその感情を理解できるかもしれない。    彼女の記憶が戻った時、自分は……自分たちは、彼女のそばにいることを許されるのだろうか。 「できた」 「……やり直し」 「えー」  相も変わらずセナは包帯を巻くのだけは上達しないようだ。ゆるゆるにぶらさがった包帯を見て、クリンは深いため息をつくのだった。
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