第十一話 不穏な足音

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「今夜はなんのご本ですか?」 「ミサキ。倒れたんだから休まなきゃダメじゃないか」 「寝ましたよ、倒れている間にたっぷりと。おかげで眠れないんですよ」  宿屋の談話室でクリンが本を読んでいると、そこへいつものようにミサキがやってきてソファへ腰掛けた。クリンの向かいではなく、横並びになるように。  ラブレスで同行者になってからというもの、二人は時折タイミングが合えば、こうして宿のフリースペースで短い時間を過ごしていた。  はじめの頃は向かい合わせで座っていたのだが、他の客と相席になった時に隣同士になって以来、いつの間にかこの距離が当たり前になっていた。  と言っても特別な関係性を築いているわけでもなく、時に談笑をしたりそれぞれが本を読んだりと、気のおけない時間を楽しんでいたに過ぎない。もちろん逢瀬の約束をしているわけではないので、相手が来ない日もある。    ただ、クリンにとってこの時間は、トラブルだらけの長い旅の合間に感じることのできる、数少ない安らぎの時間だったと思う。 「さすがクリンさん、シグルスの歴史書ですね」 「まあ、一応ね」 「歴史書もいいですが、観光用のパンフレットはいかがでしょう?」  そう言ってペロンと眼前に持ちあげたのは、旅行用の薄い小冊子。 「こらこら。旅行に行くんじゃないんだぞ」 「寄り道するわけじゃないですよ? マリアにも楽しませてあげたいんですもの」 「うーん、そういうことにしておきますか。で、ご所望は?」 「これです、これ。鉄道の乗り場で、お弁当が売られているそうなんですよ。停まる駅によってお弁当の種類が違うんですって。マリアが喜びそうだなって」 「へぇ〜。それは食べてみたいな」  小さなパンフレットを二人で覗き込んでいるため、自然と距離は近くなる。  クリンはそれに気づいて、ゆるりと距離を開けた。ミサキは一度だけクリンの横顔を盗み見て、またパンフレットに視線を落とした。 「他にも、科学館なんていうものもあるみたいですよ。科学の仕組みを子どもたちにも学んでもらえるような展示が置いてあるんですって」 「そうなんだ、それはちょっと気になるな」 「ですよね、クリンさんにオススメしたかったんです。それからスポーツ観戦もできるそうですよ、セナさんが喜びそうじゃないですか?」  そう言ってズイッと頬を寄せてくるミサキの距離感に、クリンは密かに戸惑う。  きっと彼女は無意識で、もちろんその行動に変な意味などない。そうはわかっていても、クリンはこれ以上、自身の中の小さな芽を育てたくなかった。 「どうだろうな。セナなら観てるだけじゃ物足りなくて、飛び入り参加しそうだ」 「それはそれで見てみたいですけどね」 「こらこら」  ぽんぽんと軽快なリズムで会話が弾む。  が、それはミサキが口を閉ざしたことで休止符を打った。  そこで気づいたのは、今までの会話はすべて彼女から投げられたものを打ち返していただけだということ。彼女に悪いことをした。 「ミサキは? さっきからみんなの好きそうなものばかりだ」 「私ですか? そうですね……みなさんと一緒に居られたら、どこでも楽しいです」 「欲がないなぁ」 「ありますよ、欲くらい。私の欲は、みなさんとこうやって楽しく旅を続けることなんです。簡単そうに見えて実はとっても難しいことだと思いませんか?」 「……そうだね」  四人で過ごすことが当たり前になりすぎて、時折忘れそうになるけれど、いつかはこの旅にも終わりが来る。  彼女たちはすべての巡礼を終わらせたら、教会に帰らなければならないのだ。そのまま自分たちと一緒にいられる可能性はゼロに近い。  それ以前に、もしもミサキの記憶が戻ったら…… 「新しい大陸も、みんなで一緒に楽しみましょうね」 「……うん」  肩と肩がぶつかるこの至近距離で、ミサキの不安が直に伝わってくる。    ミサキの記憶が戻ったら、その時、彼女の立ち位置は今と同じところにあるのだろうか。もしもセナをおびやかす存在になってしまったのなら、自分は……。
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