第十二話 南シグルス

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 ジャックは言うが早いか、床に落ちていたブリキの水筒を蹴り上げた。絶妙なコントロールで、それはまっすぐセナの持つ剣先へ向かう。  条件反射で打ち返せば、ジャックはもうセナの間合いの範囲である。  斜め下から素早い手刀で手を叩かれ、予想以上の重たい衝撃に、剣を握る手は力をなくす。その隙にジャックは剣を奪い、もう一方の手でセナの目を狙って二本の指を突きつけた。 「!」  警戒して仰け反った刹那、作戦どおりと言わんばかりにジャックはセナの足を払った。当然、セナはバランスを失う。床に崩れる直前で手をつけば、その上からジャックの剣が突き刺さった。 「うぁっ!」 「セナ!」 「近づくな! 動けば引き裂く」  串刺しにされた手の甲から、赤い血が滴って床に広がり始める。  加勢することは叶わず、クリンたちは身動きできずに顔を強張らせるだけ。あのゲミア民族とも渡り合ってきたセナが、一対一で劣勢を取られるなんて、誰が予想できただろうか。 「子どもをこれ以上痛めつけるのは不本意だ。ミランシャ皇女を置いて立ち去れば、命は見逃してやろう」 「……だから知らねえっつってんだろ、そんな女……っ」 「!」  ジャックが驚いたのは、セナが反対の手で突き刺さった剣を握り締めたからだ。  握った箇所から、じわりと血が流れ落ちていく。セナは息を止めて、その剣を上に持ち上げた。ジャックが抵抗して力を入れるが、単純な力だけならばセナに勝てる者などいない。  剣を一気に引き抜けば、そこから真っ赤な鮮血が溢れ出した。 「こいつ……っ」  ジャックがたじろいだ隙を狙って、セナは手の甲に溢れる血をジャックの目をめがけて振り払った。 「くっ」  それを避けるため、ジャックはのけぞる。セナはお返しと言わんばかりに彼の足をなぎ払った。  勢い良く転倒したジャックの上にまたがり、奪った剣を真上で止める。剣先はジャックの心臓を狙っている。  セナはどくどくと心臓が高鳴るのを感じていた。身に覚えのある大嫌いな感覚がやってきて、固く目を閉じる。 「セナ!」 「……っ」  クリンの声と同時に、ぶんぶん頭を振って、セナはその剣を部屋の隅に投げ捨てた。 「……驚いた。ただの子どもじゃないようだ」  ジャックは観念したといった表情で笑った。 「あなたの言う皇女なんて知りません。僕たちは聖地巡礼の任を負った聖女一行なんです。弟は聖女の騎士だ。これ以上やり合うというなら、あなたは聖女に(あだ)なす存在ということになりますが、よろしいですか!?」 「……それは困る。俺の妹も聖女だった。敵ではない」  えっ、とクリンが声をあげた時だった。  窓の向こうから耳をつんざくような(とどろ)きが響いた。地面が割れるような地響きに、建物全体が揺れる。 「なんだ!?」  窓にはカーテンが覆われており、ここからでは外の様子がわからない。 「まさか!」  ジャックは起き上がるとカーテンと窓を開けた。  窓から見える遠くの街並みに、もくもくと煙が立ちのぼっているのが見る。その煙の中心地から、ゆらっと動く大きな影を見つけた。 「……なんだ、あれ」  影は鈍い動きで縦に伸び、形を作る。  それは手足の長い、人のような造形をしていた。  だが、それはここからでもはっきり見えるほどの巨大さで、二階建ての建物ですら半分にも及ばないと予測できる。 「ついに……完成させてしまったのか!」  と、ジャックは吐き捨てる。  その巨大な影はおもむろに片手を上げると、重力に任せて建物を叩き潰した。人々の悲鳴がここからでも聞こえてくる。 「あれ、リヴァーレ族じゃないのか!?」 「違う。あれこそがシグルス大国が秘密裏に開発してきた、生物兵器だ」 「あんなデッカイのが!? なんで自分の国で暴れてんだよ!」 「おそらく制御不能なのだろう。くそっ、仲間に連絡しなければ」  ジャックが振り向き、ミサキを睨んだ。  ミサキは落ち着きを取り戻したとは言えその顔は青白く、うつむいたまま放心しているようだ。 「……本当に皇女ではないというのか?」 「違います」  クリンの即答に、半信半疑といった顔でジャックはミサキを凝視している。もし本当に皇女だと言うなら、おそらくここで仕留めておきたいと考えているはずだ。クリンはミサキの前に立ちふさがったまま警戒を強めた。  だが、そんな問答をしている場合ではない。セナは窓枠に手と足をかけた。 「止めるなよ、クリン」 「わかってるよ。僕たちも後から行くから。気をつけて」 「セナ、あたしも連れてって!」  間に入ってきたマリアにセナは頷き、彼女を抱えて窓を飛び降りた。ジャックがギョッとしている隙に、クリンはすぐさまミサキの手を掴んでドアに向かった。 「ミサキ。走れ!」 「! 待て!」  待てと言われて従うわけもなく、クリンはミサキを引っ張って部屋を出る。ジャックは遠くに放置された剣を拾っていたせいで、わずかに後れをとってしまったようだ。  クリンとミサキは建物を出て全速力で走った。
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