第十三話 巨人との戦い

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 マリアが繭を解く。ミサキが先陣を切って兵士の輪を歩き始めたので、クリンもそれに続いた。  皇女相手に下手なことができないのか、兵士たちはただ立ち往生しているだけ。しかし当たり前だが、誰もクリンに手を貸そうとする者はいなかった。  化け物ども、と吐き捨てられた言葉が脳裏をよぎる。科学技術で発展した都市デギローア。非科学を許さない思想の前には、十五やそこらの少年少女の命ですら、些末(さまつ)なことなのだろうか。  ここは先進国なのに、その本質はまったくもってゲミア民族のそれとなんら変わりなくて、クリンの口からは嘲笑がもれた。    歩を進めるたび、ポタポタと血の道が出来上がる。まずい。このままでは失血死してしまう。 「くそ……、ラタンさえ近ければ」  クリンのその言葉にマリアはハッとする。移動の術を覚えたばかりだ、行けるかもしれない。  だが、まだ一度しか試していないその術は、そのたった一度ですら目と鼻の先という近距離でしか成功していない。あんな遠くまでたどりつく確率はどれくらいのものだろう。  しかも四人いっぺんに運ぶなんてできるだろうか。数回に分けて一人一人を運ぶのはリスクが高すぎる。もし失敗して飛んだ先が全員バラバラだったら? セナは……。  ああ、ちゃんと練習しておけばよかった!  マリアが後悔に苛まれて唇を噛んだ時、目の前を立ち塞がる人物に全員の足が止まった。 「!」    フードを深くかぶっているが、四人にはすぐにわかった。  それは剣を構えたジャックだった。  だいぶ遠巻きになったとは言え、自分たちはまだ警備兵の視界の範囲内。前門の虎、後門の狼とはこのことである。 「ようやく正体を表したな、ミランシャ皇女。これで心置きなくあんたを始末できる」 「待ってくれ! 今はそんなこと言ってる場合じゃない」 「黙れ。この女だけは逃がすわけにはいかない」  剣の切っ先はまっすぐにミサキへ向かっていた。ミサキはその剣先を見つめ、ただただ唇を噛み締めている。  真実を告げることは躊躇われたが、もう迷っている時間はない。 「彼女は記憶がないんだ! まだあなたの言う皇女かどうかなんて、わかりません!」 「……っ、なんだと!?」  クリンはその剣先の前に一歩踏み出した。 「彼女は五年前に記憶を失くしています。それからプレミネンス教会に保護されて、聖女に付き添うため巡礼に出たんだ。僕たちはシグルスにも帝国にも興味なんかありません」 「嘘をつけ!」 「そう思うなら斬ればいい。真実はここで葬られるだけだ」 「……」 「あなたは斬れるんですか!? 潔白かどうかもわからない相手を。自身の名前すらわからず日々孤独と恐怖に耐える健気な女の子を。あなたの騎士道が許すなら、このまま斬って捨てればいい!」 「くっ……」  ジャックが一歩、後ずさった。  やはり、彼は情に厚いらしい。クリンは卑怯を承知の上で良心に訴える作戦に出たのだ。 「どいてください。弟の命がかかっているんです。彼は聖女の騎士です。聖女への信仰心に嘘がないのなら、どうか慈悲を」  クリンはまた一歩、距離を詰める。  しばらくの睨み合いのあと、ジャックはちらりとセナを盗み見た。そして剣をおろすと鞘へと収め、ぽつりと呟いた。 「俺も行く、その条件を飲むのなら見逃してやる」 「……」 「迷うな。銃創の手当てには経験がある、治療を手伝おう」 「!」 「私はかまいません。セナさんを助けてください」  息を飲むクリンの横で、ミサキが決定打を下した。  一行は先ほど案内されたところとは別の場所に案内された。  だがそこも臨時の寝ぐらなのだろう、コンクリートで作られた質素な建物は、やはり人気もなく閑散とした場所に建てられていて、中も埃だらけだった。  案内された一室で、事務所のような無機質な床にセナを寝かせる。さすがに重かった。だけど、協力を申し出てくれたジャックの手は最後まで借りなかった。 「クリンさん、汗を」 「ありがと、大丈夫」    汗を乱暴に拭って、セナの洋服を切っていく。左肩の銃創の他に、腹部に痣を見つけた。背中に衝撃を受けたのか、広範囲に渡って内出血をしていて真っ黒な痣ができあがっている。それが反対側の腹部にまで広がっていたのだ。 「この内出血は?」 「あの兵器に強く押しつぶされたの。体の中とか大丈夫かな……」 「吐血の原因はこれか……?」  ぞくりと背筋が震える。万が一内臓が破裂なんかしていた場合は打つ手がない。簡単な応急処置とは違って、もうそれは外科医の領域である。  クリンはハッとあることを思い出して、薬箱から白い小瓶を取り出した。 「それは?」 「飲み薬」 「飲み薬……? 効果があるんですか?」  ミサキの疑問はもっともである。  内臓が損傷していた場合は、すぐに手術をして損傷箇所を縫合する必要がある。それを飲み薬なんかで対処するなんて、気がふれたとしか思えないだろう。  だが、使う相手はこのセナである。 「前にも言ったことあると思うけど、セナはうちで栽培した薬草しか効果がないんだ。この薬は、『万が一の時に飲ませなさい』って母親が薬棚に置いておいたものなんだ。効果はわからないけど、今はセナの不思議な体質に望みをかけるしかないと思う」  母親は冗談まじりに『セナ専用の万能薬だ』なんて笑っていたが……冗談だったとしても、今はもうこれに頼るしか方法はない。あとはセナの自然治癒力しだいだ。  セナの上半身を抱え上げて、薬を飲ませる。 「っ、ごほっ……」 「セナ!」  突然咳き込んで、薬は口に含まれていた血液とともに吐き出されてしまった。 「う……。クリ……」 「!」  うっすらと目を開けて、セナが声をもらす。意識を取り戻したのならちょうどいい。 「飲めよ。残したら母さんにボッコボコにされるぞ」 「……」  ふ、と息が漏れる。笑ったのだろうか。  もう一度薬を飲ませれば口の端から少しこぼれはしたが、喉がこくりと動いて、それは体内に収まっていった。  さて、次は問題の銃創である。 「撃たれた箇所は貫通しているのか?」 「……貫通?」  ジャックの質問に、その意味がわからずクリンは聞き返す。  拳銃というものですら今日初めて目にしたのだ。そういった武器があるということは雑学として知ってはいたが、どんなふうに負傷するのか、ましてやどう治療すればいいのかなんて知るわけもない。  ジャックはセナの肩を持ち上げて、背中に目をやった。 「……厄介だな」 「どういうことですか?」 「体内に弾が残っている。左肩か……心臓に近いな。取り出したほうがいい」 「……」  ぞわりと総毛立つ。  肉をえぐる大きな銃痕に、焼けただれた皮膚。その傷口から、どれほど殺傷能力が高い武器なのかがうかがえる。  それが体内に取り込まれたままだなんて…… 「どうやって摘出するんですか」 「器具がないからな。ピンセットでやるしかない」 「……。痛い……ですよね」 「何を当たり前のことを。相当暴れるぞ、押さえたほうがいい」 「む、むりです! 僕にはできません」  ジャックが薬箱から取り出したピンセットを差し出してきたので、クリンはぶんぶん首を振って拒絶した。 「君の力じゃこの元気な弟を押さえておけないだろう。俺が押さえるから君が取り出すんだ。やり方は教える」 「むりですって!」 「鉛中毒と致命的な合併症を弟に味合わせたくなければ、やれ」 「……っ」  ぽとりと受け取った冷たいピンセット。それを持つ手がおもしろいくらいに震えていて、クリンはその手をギュッと握った。  こんな小さな器具ひとつに、弟の命がかかっている。  重たい、怖い、逃げ出したい。  ……だけど、 「やります」  目の前の命を助けたい。  どんな感情よりも、いつだって自分を支配するのはこの想いだ。  ジャックの力だけではセナを止めることができないので、マリアもミサキも一緒になってセナを押さえ込むと言ってくれた。女の子二人にこんな生々しい現場を見せるなんて酷だと思う。だが二人は一言の弱音もなく、最後まで付き合ってくれた。  がらんとした建物内に、セナの絶叫だけが響き渡る。  充満する血の匂い。肉を刺激する音。  麻酔もない、まともな医療器具もない、不潔な床の上。おまけに処置をするのはたった十六歳の子どもである。  だがこんな劣悪な環境であっても、誰ひとりとしてセナの命を諦めたりはしなかった。
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