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「そういえば、巡礼はあと何箇所残っているの?」
世界各地に散らばる教会を巡る、聖地巡礼。聖女はそこで力を蓄えるための儀式を執り行う。巡礼に使われる教会の数は、全部で七箇所だ。
「私たちはあと四つ、といったところですね」
「もう三箇所もまわったんだ」
「ええ。ただ、教会を訪れたところで簡単に儀式をおこなってくれるわけではないので、まだまだ先は長そうです」
「そうなんだ」
そこらへんの事情は、一般市民には語られていない。てっきりパパッと行ってサクッと終わらせられるようなものだと思っていたが、そんな旨い話ではないらしい。
「互いにいい旅になるといいね」
「そうですね……」
小さく頷いたミサキの表情は、明るいとは言えなかった。重大な任務を背負っているのだから、当然といえば当然だ。どうか無事に旅を終えてほしいものだと、クリンは思った。
「おおお、すっげー」
王都は、小国と言えどやはり都会だった。レンガで整備された大通りには、馬車や通行人がせわしなく行き交っている。並んだ出店からは威勢の良い掛け声が聞こえ、食欲を誘う匂いが辺りに漂う。
セナは興奮した様子で、キョロキョロと周りを見渡している。
「セナ、浮かれてるとまた誰かにぶつかるハメになるぞ」
「浮かれてねえよ。そもそもぶつかってないし」
弟をたしなめながらも、まるでお祭りのような賑やかな雰囲気に、クリンも気分が浮き足立つのを感じていた。
が、ここへは観光をしに来たわけではない。
「さて。まずは図書館と本屋を探そう」
それから大きな診療所も行ってみたい。
そう心の中で独白しながら、クリンはマリアとミサキに別れを告げるべく振り返った。名残惜しいが、一緒にいる約束はここ、王都までなのだ。
「見つけた! アレイナ!」
だが別れの言葉を交わすよりも先に、マリアはまったく違う方角へ一目散に駆けていってしまった。ミサキもすぐに後を追っていき、呆気にとられる兄弟を置き去りにして、とある建物へ入って行く。
「行ってみよう」
このまま別れてしまうのは忍びないので、クリンはあとを追うことにした。
そこはお洒落な洋装のカフェだった。ガラスでできたショーウインドウには宝石のようなケーキが並び、アンティーク調の内装は上品な雰囲気を漂わせている。客層はどちらかといえば上流階級寄りかもしれない、ドレスを着飾った女性たちが優雅にお茶を飲んでいる。
入ってしまったあとで、自分たちがかなり場違いであることを自覚し、そのまま奥へ行くのは躊躇われててクリンは入り口で足を止めた。
「アレイナ。お願い、返してちょうだい」
マリアが居たのは、やや奥の席。そこには他の客と同じように、ゆったりとティータイムを楽しむ一人の女性の姿があった。
同世代だろうか、水色の髪を綺麗に巻いたその女性は身分が高いのか上質なドレスを着用しており、うしろには侍女風の女性や、軽装ではあるが騎士の格好をしている男性が立ったまま控えていた。
アレイナと呼ばれたその女性はティーカップから口を離すと、マリアを見上げて優雅に笑った。
「思ったより早かったのね」
シャラ、と軽い音を立てて、その手にぶらさげたのは、トップにダイヤモンドが施されたペンダント。シャンデリアの光に反射して、それは揺れるたびにキラキラと輝きを放っている。
「!」
マリアがとっさに手を伸ばした。しかしアレイナがパッと手離してしまったので、それは食べかけのケーキの上へ落下してしまった。
「あーあ。ごめんなさい、手がすべっちゃって」
クスクスと、悪質な笑い声が落とされる中、マリアは迷うことなくペンダントに手をのばした。ペンダントにはべっとりと白い生クリームが付着してしまっている。マリアの指がペンダントに触れた、その瞬間を狙ってアレイナはティーポットを掴んで傾ける。
「熱っ……」
熱い紅茶が手の甲にかかってビクリと震えたが、それでもマリアは手を引いたりせずペンダントをギュッと握って熱湯から守った。
「ふん。プレミネンスの恥さらしが。いい加減に立場をわきまえたらどう」
女性はそう吐き捨てると、つまらなそうに立ち上がり侍女と騎士を引き連れて入り口へ向かってきた。
マリアとミサキは何も言わなかった。入り口で見守っていたクリンとセナも、何も言わなかった。ただひとつ理解ができたのは、マリアのペンダントは彼女に盗まれたのだということだけ。
彼女とマリアの関係は知らない。初対面のクリンたちが立ち入っていい問題ではないのかもしれない。けれど。
「きゃっ」
仕返しくらいは、してやらなければ。
その女性が隣を横切る瞬間を狙って、セナはすかさず足を伸ばしてひっかけてやった。突然の障害物になすすべもなく、ビターンと派手な音を立て女性は勢いよく床に倒れ込んでしまった。
突然の出来事に店内の客はおろかミサキやマリアたちも呆気に取られていたが、一番おったまげたのは兄のクリンである。弟の突拍子もない行動は今に始まったことではない、始まったことではないが、だからと言っていつでも許容できるかと言ったらそうではない。
「貴様!」
すかさずお付きの騎士が臨戦態勢に入ったので、クリンは「やばい」と呟き、セナの腕を引いて店を飛び出す。ここはマリアたちと無関係のふりをしたほうがいいだろう。
「待て!」
と背後から聞こえたのは一回きりで、さすがに雇い主を置き去りにするわけにはいかないのだろう、それ以上の追手はないようだ。
けっきょく別れの挨拶ができなかったのは残念だったが、最後にいい思い出ができたので、よしとしよう。もしも叶うなら、いつかまた彼女たちに会いたいものだ。
大通りを走り抜けながら、クリンはそう願うのだった。
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