第十五話 しばしの別れ

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 展望台は低い山の中腹にあり、木の手すりで囲まれただけの質素な場所だった。が、マリアはこれ以上ないほどの感動を覚えていた。  空一面の星々もさることながら、より美しいのは目の前に広がる大きな湖である。湖面に映された月と星は水面に反射してきらきらと光を揺らし、視界一面が無数の星々で輝いていた。 「すっごーい……」 「いいだろ。クリンも村のやつらも知らねえ特等席だ」 「そうなの?」 「この手すり、作ったの俺だもん」 「へぇー、すごーい」 「崇めたてまつれ。感謝しろ」 「……今、せっかくお礼を言おうと思ったのに」  ガクッとうなだれながらも、マリアはやはりここの景色が気に入ったのか、空を見上げながら素直に「ありがと」と返すのだった。 「セナの村って、ここからだとどっちの方角?」 「あっち」 「へぇー。帰りたいと思わないの?」 「まだなんにもわかってないのに帰れないだろ、カッコ悪い」 「そういうもんかぁ」  と返事を返しながら、マリアはたしかに自分も巡礼の途中で帰還命令を出されたのは嫌だったなと思い直した。 「故郷かぁ。想像もつかないな」  村の方角を見つめながら呟いた少女を、セナは横から盗み見る。  プレミネンス教会を故郷と呼ばないということは、無意識下であそこが自分の居場所ではないということを、彼女は悟っているようだ。奴隷の子と蔑まれ、長きに渡って尊厳を傷つけられてきたのだから、それもそのはずだ。  天涯孤独である少女は、自身の未来をどのように思い描いているのだろう。 「セナは全部が終わったら、クリンとここに帰ってくるの?」 「まあ、そうだろうな」 「ふーん」  おそらく、彼女にしてみたら何気ない質問だったろう。  だが、なんだろう。ひどく寂しさを匂わせるこの空気は。 「しかたねえな、帰るところがないなら我がフェリオス村に住まわせてやろう」 「あんたの村じゃないでしょーが」 「教会くらい建ててやるよ。そこでミサキと二人で暮らせばいいじゃん」 「……は」 「クリンは父親の診療所を継ぐからそこにいるだろうし。俺はまあ、そこにとどまり続けるかはわかんないけど。村は若手が増えるのは大歓迎だ。子どもも多いし、楽しいぜー」 「……ふーん」  マリアは湖面に浮かぶ月を眺めた。 「そっか。……そういうのも、なんかいいね。ありがとう、セナ」  その次には満面の笑顔。突然向けられた不意打ちの笑顔に、セナは思わず固まってしまった。 「でも、巡礼が終わったら教会に戻らなきゃいけないんだよなぁ」  まるで「やだなぁ」と続きそうなマリアの様子に、セナは平静をよそおう。 「聖女って巡礼から戻ったら、そのあと何するんだ?」 「うーん。実は知らないの。教会内でも極秘事項なんだって。私も巡礼を終えた人と会ってお話をしたことはないのよね。特別待遇が受けられるって噂だけど」 「ふーん」  ずいぶんとぼんやりとした話だ。まあ、そもそもプレミネンス教会所属というだけでもずいぶんな少数派である、そこから無事に巡礼を終わらせられる者など、本当に一握りなのだろう。 「あたしもがんばらなきゃ。せっかくセナが騎士になってくれたんだもん。もっと強くならなきゃね」 「……」  セナは眉をひそめた。  騎士になった以上、ここは「がんばれ」と彼女に言ってやるべきだ。それはわかっているのに、言いたくないと思ってしまう自分がいる。  目を閉じれば浮かんでくるのは、出会ってからたった数ヶ月だというのに、マリアが見せたさまざまな表情。  笑った顔、怒った顔、困った顔、すねた顔。でもその中でも、泣いている顔だけは本当に苦手だった。心臓が握りつぶされるような感覚に襲われた。  別にこれ以上がんばらなくていいのに。痛い思いなんかしなくていい。ずっと笑っていればいい。  そうだ、こいつはアホみたいに笑っているのがお似合いなのだ。自分はその笑顔が一番……。  ……。  ………………。  ────ん? 「んんっ?」 「え、なに、どしたの?」 「……あー、くっそ!」 「うわっ」  手すりにおでこをガンッとぶつけて、セナはそのまま顔を伏せた。 「ど、どしたの?」 「認めたくねぇ」 「???」    不覚にも自覚をしてしまった初めてのそれに、なすすべもなく戸惑う。  嘘だと思いたい。気の迷いとしか思えない。そうだ、そんなはずがないよな。うんうん、とセナは一人で自問自答する。  行き場のない感情がビュンビュン行き交って、脈拍数が変なことになり始めている。しだいに顔が紅潮していくのがわかった。   「どしたのよセナ?」 「なんでもないです」 「ふ。なんで敬語?」 「……」  前言撤回。やはりこの笑顔、心臓に悪い。  マリアの両頬をみにょーんとつまんでみれば、思いの外よく伸びる。 「あにふんにょよ」 「は、なんて言ってんのかわかんねーし」  笑い声を吐き出して誤魔化せば、不規則だった心臓もいくぶんかはマシになる。  解放された両頬をさすっているマリアはすっかり機嫌を損ねてしまい、むぅと唇を突き出していた。  笑顔でいて欲しいのに、笑顔を直視できなくて怒らせてしまう。そんな意味不明な気持ちなど、きっと隣の少女には理解できないだろう。  ああ、なんと厄介な感情を生み出してしまったのか。敗北にも似たその感情を持て余して天を睨んだその時、 「「あ」」  つぶやいたのは二人同時である。なぜならキラキラと輝く夜空にひとつ、弧を描くように流れ星が落ちたから。 「見た? 今の! あたし初めて見た。すごい、何か良いことあるかなぁ」  予期しないところで再び直球の笑顔をぶつけられて、流れ星なんかよりも数倍眩しいそれを直視できずセナは困り果てる。 「……あんなんいつでも見れるじゃん」 「だって今までゆっくり星を眺める時間なんてなかったし」 「ああ、良い子は寝てる時間だもんなぁ」 「またバカにして!」  ちっとも痛くないパンチを腕に食らう。またしても、せっかく見れた笑顔を封じ込めてしまった。それなのにもう一度その笑顔を見れないだろうかと何度も横顔を盗み見る、非常に気持ちの悪い自分がいる。  今日は本当に、らしくない。らしくないけど、この笑顔は悪くない。認めよう。 「こんな流れ星、またいつだって見れるだろ、巡礼が終わったらさ」 「……ま、そうよね」    不機嫌さをそのままに、マリアはまた星空を見上げる。さきほどまで無邪気だったその横顔には、聖女としての風格が戻ってきたように見える。  彼女はこれから先、もっと強くなるのだろう。これ以上頑張らなくていいのに、バカみたいに笑っていればいいのに。今でもそう思う。  そうだ。だからこそ、自分はこの笑顔を守るためにもっと強くなればいい、それだけだ。  敗北を知った今日この日、セナは決意した。
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