第十五話 しばしの別れ

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「おまえは‘待て’ができねえなぁ」  まるでダメ犬をなだめるようなその言葉を、この短時間で何度同じ人から聞いただろう。  吹っ飛ばされてぶつかった樹に体を預けたまま、そのあまりの衝撃に体がしびれて、セナは呼吸もできずに顔をしかめていた。  痛みに耐えて、なんとか相手を睨みつける。    攻撃してきた張本人であるギンは、まるでドアでも押したかのような気軽さで自身を吹っ飛ばしてくれた。    ここはギンの家から数キロ離れた場所の、雑草が広がる更地。  ギンの背後には肥沃(ひよく)な大地が広がり、セナの背後にある林には背の高い木々が生い茂っていた。  家で話を終わらせたあとはここへ移動して、手始めに組手をしようということになったのだが、始めてから小一時間。  セナはたった一度ですらギンに拳を入れることができなかった。  さらに悔しいことに、攻撃の先手はすべてセナからで、ギンはただの一度も自分から攻撃をしかけることはなかった。  仕掛けた攻撃はすべて受け流されて、まったく読めないところからの反撃になすすべもなく地面に沈められる。延々とその繰り返しを強いられていた。  まさかギンがここまで武道に心得があるとは予想もしていなくて、セナは驚きつつも自身の弱さを痛感し、悔しさでいっぱいになる。 「……くっそ」  樹からのそりと起き上がり、セナは拳を握った。 「お、まだやる? 根性あるよなー、おまえ」  ムカつく。    そう吐き捨てて、じりじりと距離をつめる。  さて今度はどこから攻撃してやろうかと、相手の隙をひたすら探る。  ギンは上着のポケットに手をつっこんで、片足に体重を乗せてヤル気なさげに突っ立っているだけ。  どう見ても戦うつもりなどなさそうに見える。  が、そんなポーズをとっているのにも関わらず先ほどからギンには一分(いちぶ)の隙もなく、その隙をつくるため横から上から後ろからなんとか注意をそらそうと工夫をこらしているのだが、彼はすべてお見通しとばかりにスルーして、たった一度の反撃でセナを吹っ飛ばしてしまうのだ。 「……」  ふと、何度も浴びせられたギンの言葉を思い出した。 『‘待て’ができねえなぁ』  ……。待て、か。  そこでセナは、あえて自分からの攻撃をやめてみることにした。  思えばギンのほうから攻撃を仕掛けてきたことはない。彼の(しょ)太刀(だち)が一体どれほどのものなのか、試しに受けてみようと思ったのだ。  セナはじっと観察を続けた。ギンの腕、肩、足。それから目。彼が何を考え、どこを見るのか。  そのまましばらくの間続いた膠着(こうちゃく)状態の末。  ギンは、何が嬉しいのかにやりと笑った。 「一時間か。思ったより時間がかかったかな」  まるでその言葉に相槌でも打つかのように、二人の横を強い風が通り過ぎる。  それが合図だった。  ギンがパッと風上のほうに視線を動かしたので、セナはつい気を取られてしまった。  だがそれがフェイクだと気づいた時には、ギンは音もなく別方向へ飛び跳ねており、ポケットから出した手で何かを投げつけてきた。  小石だ。 「!」  やや反応が遅れはしたが、セナは投げつけられたそれをなんとかかわし、真横へ逃げる。  しかしこちらのタイミングを見計ったかのように、自身の間合いにはすでにギンが待ち構えていた。  目の前から繰り出された攻撃はあまりに素早くて見えはしなかったが、風の動きで顎を狙われたのだけはわかって、瞬時に()け反る。  その視界に、ギンが「お」と笑ったのが見えた。  が、次の瞬間にはもう、腹に強い衝撃を食らって、風圧とともに吹っ飛ばされた体はまたしても一本の樹に打ち付けられるのだった。 「くは……っ」  背中を強打され、息がとまる。  だがそこへ無慈悲にも追撃が来て、呼吸を禁じると言わんばかりに喉仏を押さえつけられてしまい、セナは苦痛に顔を歪めた。  うっすら細目で見れば、片手で首を押さえつけてくるギンの姿が映る。 「よえーなぁ。全然話にならねえわ」 「……っ」 「てめえ一人も守れないくせに何がみんなを守るだよ。甘ったれんなクソガキ」 「っ!」  ギリッと奥歯を噛んで、ギンの腕を両手でつかんだ。  悔しいことにびくともしないし、息ができなくて頭がガンガンしてきたしで、なかば自棄(やけ)になりながらも、セナはもがいた。 「ほらみろ、すぐ力に任せようとする。頭を使え。ジャックならもっとうまく立ち回るんじゃねえか?」 「……っ」 「は。つまんね」  ギンは吐き捨てると、まるでゴミを捨てるかのようにセナを片手で放り投げた。 「……っ、がは……」  べしゃっと叩きつけられた地面の上で、セナはようやく呼吸が許されて酸素をむさぼる。圧倒的な敗北感も手伝ってその目には涙がにじんだ。  悔しい。悔しい。悔しい。とにかく悔しい。  相手は不思議な能力もなければ、武器も持たず、ただの生身の人間だというのに。  まさかここまで一方的な結果に終わるとは思わなかった。 「ふっ……く」  セナは必死に空気を吸い込みながら、ほんのわずかにしか残っていなかった、ひとかけらの自信ですら握りつぶされてしまったことを自覚し…… 「くっ……くくくっ……」 「?」 「ふ、ふはは」  仰向けになって、笑った。 「ははは。はは、やったぁ」 「おいどーした。頭おかしくなったか」  ギンが怪訝そうに見下ろしてきた。が、セナは笑い続けた。  腹の中からわきあがる、ぞくりとした喜びを知る。だがそれはいつも感じる凶暴的なそれなどではなく、もっともっと胸を震わせるほどの歓喜だ。 「普通のおっさんにすら勝てねーじゃん、これのどこが生物兵器だ。俺はただの人間だ」 「……」 「あー。おっさんに会えてよかった」  気持ちいいほどの負けっぷりだった。完敗だ。  自分はただの人間だ。弱くてダサい、小さな世界に生きるただの子どもだ。  つまり、自分はもっともっと強くなれるということだ。 「一週間でおっさんを超えてやるからな」  空を見上げれば、青空にぽっかりと浮かぶ、三つの雲。   「そしたら次こそ、守れるじゃん……」
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