警部チャーリー・アダムの鬱積

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目の前に突然現れた若い女中はここの家事を任されたため今日うちに来たのだという。 「それで、誰に頼まれたのだ」 私服に着替えリビングのソファに腰かけると彼女は女中らしく傍らに立ったまま胸の前で指を折り重ねる。 「奥様からです。身重なため家事の手伝いを旦那様から許して貰ったのだと」 ああ、確かに。彼女がいなくなる日の朝、自分は妻にそう言ったのを思い出す。 口髭を撫でながら彼女の顔も見ずに聞いた。 「...部屋の鍵は、それも妻から?」 ヴァレンシアはそうだと頷く。 「それはいつの話だ」 「だいたい9時頃かと。鐘の音がありましたので」 時計塔の鐘は一時間毎に鳴るが音色には4種類があり時間が分かるようになっている。 この都のシンボルでもあり、国民の生活にはなくてもならないものにもなっていた。 「それは確かか?」 「はい」 だとすると、妻はこの女中の元から家に帰ってすぐにさらわれたことになる。 自分がアルフォードの家を出て、出勤したのが8時。書類の処理に入ったのが鐘の音を聞いてすぐのことだった。そして部下の言葉を聞いたのはそれから半時立つか... 「ならば妻の後をつけているような怪しい人物は見なかっただろうか」 「いえ...」 「そうか…」 落胆し、漏れる息にヴァレンシアは紅茶を煎れてきてくれた。 それに礼を言い、口に含む。 角砂糖3つ。 ソーサーに載せられたそれを一つ入れる。 「奥様が心配ですか?」 「当たり前だ。彼女のいない人生など鳴かないカナリヤをただ飼い慣らす様なものだ。」 「カナリヤは美しゅうございます」 「では火のつかない葉巻を吸い続けているような」 「葉巻は匂いがきつく、体に毒です」 「...味の無いパイにゴムで出来たクッキーでアフタヌーンティーを楽しめというようなものだ」 言っていて自分でもよく分からなくなったがヴァレンシアは口許を押さえクスクスと笑っている。 どうせ自分には詩人のような才はない。 墓穴に生きたまま入れられ抜かるんで出られない上に土を被せられるものだとでも答えれば良かったか。 紅茶に砂糖をもう一つ加えティースプーンでかき混ぜる。 「旦那様は面白うございますね」 妻以外にそんな好意的な事を言われたことはなかったから思わず咳き込んだ。 なんとも不思議な娘だ。 編み込んだ髪の色は違えど眼鏡の奥に見える瞳はどこか妻を思い出させる。 「どうかなさいましたか?」 我に返ると首を振った。 妻恋しさに初めてあった女中を彼女と重ねてしまうなど、あってはならないことだ。 「なんでもない。すまないが一人にしてくれ」 「分かりました。ではまた明日」 そう言い踵を返して、ヴァレンシアはふと立ち止まった。 「...そういえばお手紙が入っていました」 「手紙?」 手渡された紙は封筒も宛名も無かった。 「扉に挟まっておりましたので。 明日の朝床屋を頼んでおきますね、バイキングのようで私は好きですが」 「いや、いいよ。自分で出来る」 紙を広げながら答えるとヴァレンシアはお辞儀をし、帰っていった。 紅茶を飲み干し、残った角砂糖をガリガリと噛みながら書かれた文字を辿る。 『君はもう僕の正体に気付いたようだ。 だがそれを公表しようなどと馬鹿な考えは慎んだ方がいい。君の大事な人の人生はこの手に握られていると言ってもけして過言ではない。勿論、君の人生もだ。 分かるだろう、この国の将来、子供達の未来を考えるならば僕のやってることは間違ってはいないと。 だからこそ君も今の道を歩んだはずだ。 君が何者であるかは僕が一番よく知っている。 君は手を引き、家族との幸せな人生を歩むか。それとも二人一緒に破滅に向かうかは君次第だ。』 これを意味するのはなんなのか チャーリー・アダムは制服の胸ポケットから一枚の封筒を取り出すとそれに重ねた。 ぴったりと重なる折り目に同じ筆跡。 ルツはアルフォードに脅迫されていた。 そういうことになる。 紅茶の入っていないカップを口に添え、残りがないことにふと気がついた。 角砂糖の数は3つ。 それは自分の飲み方を知っている人物だからこそ置けた数なのではと。
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