転校

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転校

 空の形って、場所によってこんなに違うんだ。  そう気づいたのは、転校してきた初日、新しくあたしの担任になった高野先生に指定された一番後ろの窓際の席に着いてからだった。  前の中学校の窓よりもガラスの面積はすごく広くなってる。でも四角く切り取られた世界は、向かいの校舎と、その向こうに見えるたくさんの高層ビルで冷たい線ばかりが並んでる。  その隙間から、ちょっとお邪魔させてもらってますよ、みたいな空はくすんだ色。見あげるあたしの気持ちを代弁してるんだと思ったら、それだけで、これからこの学校で卒業までの半年間をどうにか楽しく平和に過ごせるなんて思えなくなってしまった。  なにせ挨拶の時だって、あたしに目を向けてくれたのはほんの数人だけ。興味深そうな視線なんて細くて、引っ張ればすぐ切れてほかに向いてしまいそうなくらい。  同い年のはずの大半の顔は、机の下、たぶんスマホでも見てるんだと思うけど、俯いてたり問題集(たぶん学校のじゃなくて)広げてたり爪や髪をいじってたり。あたしの存在なんて目に入ってないみたいだった。  すごく緊張して、昨日の夜遅くまで一生懸命、自分の名前と、それに続く自己紹介を練習したのに、まったくの無駄。  誰もあたしに関心ないんだなって気づいたら真っ白になって、せいぜい言葉にできたのは、天生麦です、よろしくお願いしますだけ。  しかも自分でも信じられないくらいか細い、蚊が鳴くみたいな。きっと仲良しのあやのんやチッカが見たら、速攻で保健室に連れてったと思う。あたしのおでこの熱をはかるか、チャリで田んぼにつっこんで水飲んだかで、麦が麦じゃないってうそぶきながら。  ああ、2人とよく窓際に寄りかかっておしゃべりしてたときの、あの遠くに独立峰のなだらかな山しか見えない空。すこーんと抜けて、心の全部を映してくれるみたいに広くて大きいあの空がもう恋しくなってる。  この教室に来る前、ママと校舎に足を踏み入れた時は、前の学校とは比べものにならないくらい真っ白な壁と差し込む光とが眩しくて、都会だってあんなにどきどきしていたのに、今ではそうっと息を殺してる。  高野先生は、連絡事項を笑いも挟まずに事務的に言って、あたしの方を見もせず「仲良くすんだぞー」とまるでお菓子を子どもに投げ与えるみたいに言って教室をさっさと出て行った。  でもその瞬間から、あたしはそれまで以上に、ひりひりした空気の中のあたしに向けられるささいな感情のかけら一つ逃さないように肌の面積分、アンテナ化する。 「あの、天生さん」  億劫な足音も、かたい視線にも気付いていたから、ほんの少し息を止めて、今度こそ失敗しないようにと決めて、これも何度も鏡を相手に練習した笑顔をごく自然に浮かべようとした。  でも目の前に立った女子を見たら、なんとなく気後れして、喉の奥まで出かかった言葉がしゅわしゅわと溶けていく気がした。  午前中の朝の光に透けた髪の毛がふわふわしていて甘いのに、赤くて細いフレームのめがねが理知的な、すごくかわいい子。モデルさんみたい。すごく細いし、短いスカートから伸びた足の細さなんて、あたしの腕くらいだって思った。 「名前、あもう、さんだよね?」 「え、あ。はい」 「麦ちゃんって言うんだ? 学級委員の神宮仁奈です。仁奈って読んでね。こんな時期の転校で大変だったと思うけど、なんでも遠慮なく聞いて」  にっこりと笑ったその顔も、めがねをとればもっと芸能人みたいにかわいいに違いない。あたしみたいに日焼けした肌とは全然違って、すごくきめ細かな白い肌。しかも学級委員! 頭も良さそうでかわいくて、学級委員までやって、先生からも頼られてるなんて、都会の学校ってこんなふうになんでもできる、みたいな子が本当にいるんだ。  でもその顔がほんの少し戸惑ったような影をよぎらせた。たぶんあたしがぽかんと、返事をしないで見上げていたせいだと思う。  慌てて「ありがとう。仁奈ちゃん」ってお礼を言ったら、当然のことを言ったまでだとかすかな微笑みを浮かべてさらりと言われてしまった。  前での自己紹介は失敗したけれど、神宮さん、じゃない。仁奈ちゃんというかわいい学級委員と知り合えたことだけでも大きい気がする。いつか、仁奈、麦、の呼び捨てやあだ名で呼び合えるかもしれない。  とりあえず一歩、みたいな気がして、嬉しさに窓の向こうの空も吹き飛ぶくらい笑ってしまった。隣の男子が訝しげに伏せていた顔をあげてこっちをちらりと見るのがわかった。  これもきっかけ? 「あの、よろしく。隣だからいろいろ教えてくれない?」  神宮さんに話しかけられてあがっていたテンションでそう声をかけると、隣の男子はちょっと驚いたように目をあげて、それから戸惑ったように「あーまぁ……」と頷いた。  でも名乗ってくれるのかと思ったら、そのまま無言で手元のスマホを見て、指を動かしはじめた。  え、なに、この断ち切られ感。爽やかイケメンっぽい印象と全然違う。 「ちょ、ここは、名乗ろうよ!」  せっかくの一歩を無駄にしたくなかった、んだと思う。  気付いたら大声になっていた。  麦は無駄に声がデカいんだよ。  両耳を塞ぎながらあやのんの呆れる声が聞こえた気がしたけど、もう遅い。隣の男子は初めて鳥が飛ぶってことに気づいてびっくりしたみたいな顔であたしを見ていて、それは教室中の他のみんなの顔もだった。  空気が静止したみたいに、しん、としていて、あたしも言った口の形のまま、息さえ求めていた。といっても、本当に呼吸を止めてたら死んじゃうから、ほんの一瞬。その一瞬を突くようにして、隣の男子はぼそりと呟いた。 「……っせー声」  なんて言われたのか。  ただ挨拶しようとした相手に、うるさい? 「うるさいってなして? 隣なんだから挨拶くらいすっぺよ!」  言い放ってから、ハッとしても遅かった。  さ、い、あ、く、だ。  目を見開いていた隣の席の男子は、次の瞬間、ブフッと吹き出した。  それを合図に、波紋を描くみたいに教室中にさざなみみたいに忍び笑いが広がっていった。もちろんその中心たる水滴はあたし。それまであたしに関心なんてまったく払ってなかったはずの人たちさえ、小さく肩を揺らしてる。  頭の中から手や足の爪先の温度を感じないところさえも熱くなって、目から鼻から口から耳から一気に火を噴いた。  絶対封印、はあっけなく崩壊。  教室中の視線や笑い声があたしの体をそこに縛りつけそうになって、慌てて立ち上がった。 イスが大きな音を立てて後ろにひっくり返ったけれど、それを元に戻す余裕なんてあたしにあるもんか。  机の脇に下げたばかりのスクールバッグ、しかも前の中学校指定のださい青のをひったくるようにとって、教室の後ろから走って出た。  学級委員の神宮さんが呼ぶのが聞こえたけど、でもあたしは気づいてた。  彼女だってそのかわいい顔をあまり周りに悟られないように伏せながら、必死で笑いを堪えてたのを。
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