歌子との出逢い

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歌子との出逢い

上司との話し合いは,真摯になって話を聞いてくれているように感じた。沢山頷いてくれた。 町の方針として,町民に中国語が話せるようになって欲しいので,協力して欲しいと言われた。でも,中国語を教えているのではなく,子供たちにコミュニケーションについて教えているという風に考えて欲しいとも言われた。 私のせっかくこれまで勉強してきて,日本に来たのだから,色々な経験がしたい,色んな仕事に挑戦したいという思いには,共感してくれた。「その気持ちがよくわかるし,力になりたい。他の部署にも,声をかけてみる。」と言ってくれた。 人を素直に信じ,疑う理由がなければ疑わなかったあの頃の私は,上司の言葉を信じ,わかってもらったと満足し,スッキリした。これで,問題を解決したとも思った。 ところが,時間ばかりが過ぎて,職場では,私の扱いは少しも変わらず,中国語指導以外の仕事が回ってくることもなかった。中国語指導の約束で埋まっている時間は,学校で過ごし,それ以外の時間は市役所で過ごすことになった。しかし,学校にいくと,ノーハウの全く身に付いていない中国語指導をこなすように求められる。市役所にいると,逆に,することがなくて,暇を持て余していた。どうすれば良いのか,わからなかった。 教育委員会には,私以外に外国人が二人いた。この二人は,本当の中国語教師だった。中学校と高校に通っていると話した。 私の置かれている状況について,すぐにわかってくれて,「何とかしなくちゃ!」と毎日のように私の背中を押してくれたのだが,来たばかりのよく知らない田舎の町である以上,私には,上司や上司の助手に訴えることしか思いつかない。他に何をすれば良いのか,誰に訴えれば,待遇は改善されるのか,わからなかった。立ち往生している状態だった。 そこへ,ある日,教育委員会には,新しい顔が突然現れた。 小柄の可愛らしい雰囲気のおばさんがいきなり私に中国語で話しかけてきたのである。中身は,訳の分からないものだった。 「今度,友人の自宅で,あなたのためにパーティーを開くんだけど,聞いているよね?」といきなり言われたのだ。 ところが,私は,パーティーについて何も聞いていなかったし,目の前に立っているおばさんがどうして赤の他人のはずの私のためにパーティーを開くのか,そもそもこのおばあさんがどこの誰なのか,分からない。 「パーティーのことは知らない。聞いていない。」 とだけ慎重に答えてみると,びっくりされた。 「聞いているはずだ。」とまた言われた。 「聞いていない。」ともう一度答えた。聞いていないと言っているのに,「聞いているはずだ。」と主張するなんて、厚かましい人だと思った。 その後,このおばさんの押しの強いところにどれだけ振り回されることになるのか,この頃の私には,もちろん想像が付かなかった。このおばさんとむきになって喧嘩したり,泣きついて謝ったり、誰にも話したことがない悩みを打ち明けたり,母親のように思うようになったり、傷つけられて泣かされたり,力を合わせて何かをやり遂げたりするなど,これから家族のように喜怒哀楽を共にすることになるということも,当然,少しも予想していなかった。 「聞いていない」と二回も言っているので,さすがに相手も諦めて,パーティーの開催日程を教えてくれた。 私は,おばさんに告げられた日時は予定が入っていて,空いていなかった。でも,相手のあまりのしつこさに負けて,予定をキャンセルし,空けることにした。つまり,おばさんのパーティーに参加することにした。 「行く。」と答えたら,おばさんは,ようやくテンションが下がり,満足げに頷いた。そして,すーっと帰って行った。 約束の日時になると,例のパーティーに参加するべく,教えてもらったおばさんの友人のおじいさんのお宅へと向かった。何が待っているのか,とても気になった。正直に言うと,押しが強い人も,パーティーも苦手な私は,あまり気が進まなかった。でも,約束したから行くしかないのだ。 そして,パーティーは始まった。しかし,パーティーというより,おばさんが会長を務め,自分で立ち上げた国際交流組織に協力してくれるようにお願いするための歓迎会だった。 参加してわかったことは,おばさんが国際交流組織を自分で立ち上げ,外国語好きな仲間と一緒に様々な活動を展開していること,昔からこの町で働く中国語教師の生活支援をしてきたこと,私が留学した日本の大学の卒業生であること,そして,おばさんは歌子という名前であることだった。 この中で特に,歌子が私の留学した大学出身であることに興味を持った。この方とは,何かご縁があるのかもしれないと思った。 歌子が日本語で私に言った。「あなたは,この町に初めて来られた国際交流を仕事とする者だから,とても期待している。」歌子は,中国語の日常会話が上手だが,大事なことや難しいことは,やっぱり日本語で言う。 歌子のこの言葉は,とても嬉しかった。どうやら,私が中国語教師ではないことを理解しているようだった。歌子が仕切る組織の活動内容も,ちょうど私が希望していたような中身だった。つい色々話してみたくなったが,パーティーだということもあり,二人でゆっくり話ができる雰囲気ではない。 パーティーが終わり,家へ帰ってから,歌子に連絡をし,自分の置かれている状況について話してみようと心を決めた。 すると,すぐに,返信が来た。私のこの町で国際理解や異文化交流を広めたいと言う気持ちは,自分と全く同じだという内容だった。次の日,二人で会って,話すことになった。 歌子とは,町のマクドナルドで会って,色々話した。彼女は,現在,子育てが一段落して,自分の時間を,社会に役立ちつつ、楽しんでいると自分の事情を話してくれた。国際交流組織の活動の他に外国語を学んだり,ダンスを教えたりして過ごしていると説明した。歌子にダンスを習うことになるとは,この時は,夢にも思わなかった。 その時に聞いた組織の活動内容や活動目的は,共感出来るものだったので,一緒にやりたいと言った。上司の了解を得ないと行けないので、また上司に話してみてから連絡すると言ったら,歌子は,「私たちの気持ちは合致しているから,大丈夫。」と言ってくれた。この言葉も,昨日まで四面楚歌で非常に心細い心境だった私には,仲間が出来たように感じて,とても嬉しいものだった。 マクドナルドでの面談が終わってから,また例の先日のパーティー会場を提供してくれたおじいさんのお宅へ連れて行かれた。歌子の友人のおじいさんとは,パーティーの時に対面しているはずだったが、全く記憶にはなかった。初対面のように,互いに挨拶をした。趣味について色々聞かれたが,この頃の私には,趣味と呼べるようなものは,何もなくて,答えに困った。おじいさんは,奏という名前で,音楽が好きだと話してくれた。この頃の私は,自分が,この家に毎日のように通い,このおじいさんとおばさんと一緒にお茶をしたり,音楽鑑賞をしたり,ダンスを練習したり,一緒に食事をしたりすることになるとは,想像もしなかった。 この頃,歌子と奏の関係についても,何も知らなかった。どう考えても,少し歳の離れた老夫婦にしか見えなかった。しかし,どうも,同居していないようだった。 夫婦ではなく,とても違う関係であることが,後になって,知った。
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