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「とても良い気持ちです。人に耳掃除してもらうなんて何年ぶりかしら。結婚してからは、家族にするばっかりで」
「昔はお母様が?」
「そうです、母にやってもらっていました。ちょうどこんなふうに、エプロンをかけた膝の上で。一人暮らしをしてからも、実家に帰るたびに頼みました。でも実は母は老眼が早くて、その頃には細かいものを見るのがつらかったって、後になって知ったんですけど」
「そうだったんですか」
「老眼という言葉は知っていても、実際にどんな感じかなんて、自分がなってみないと分からないものですよね……」
こづゑが独り言のように、後悔の滲む言葉をこぼす。
店主は彼女に声をかけて反対向きにさせ、右耳を温かいガーゼで包んだ。
「お母様は言わなかったんですね、よく見えないことを」
「ええ……新聞を止めたり、趣味の刺繍をしなくなったり、後で考えれば気づくきっかけはいろいろあったんですけど」
「優しいお母様なんですね」
きっと彼女の母親も、家を出てまで耳掃除をしてほしがる娘を突き放したくはなかったのだろう。成人しても、出産しても、親にとって子どもは子どもなのだ。
店主はふと、膝の一点が温かく濡れたのを感じた。
「すみません……」
「どうぞお構いなく。大丈夫ですよ。家で待っておられるのはそのお母様ですか?」
「そうです……」
小さな涙声が震えていた。
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