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「店主さん、こんばんは」 「こんばんは、まみあな耳かき堂へようこそ」  仕立ての良いスーツを来た男性は、よく磨かれた革靴を脱いで畳に上がった。店主が何も言わずとも台帳に「東」と走り書き、四畳半の奥にある衝立(ついたて)の向こうに進むと、棚に荷物を置いて着替え始める。  彼がここに来るのは三度目だ。前回は確か夏前だったと記憶を辿ると、店主の耳鼻に蛙の合唱と生ぬるい雨のにおいが蘇った。 「店主さん、あぁ、今日もステキなもふもふ……」  作務衣(さむえ)姿になった東は入り口向きに横たわって店主の膝に頭を乗せると、ふさふさの尻尾を胸の前に抱いた。彼の目には、店主は熊か狼か、太い尻尾のある大きなぬいぐるみのように見えているらしい。  店主は湯につけたガーゼで彼の外耳を温め、薄荷油を染み込ませた綿棒で耳のひだを拭いた。東はいつものサービスを享受しながら、尻尾を撫でたり顔をうずめたりしている。主目的(メイン)の耳掃除より、とにかく尻尾に触っていられれば満足なのだろう。 「店主さん、今日もステキな肉球……」  うっとりした薄目で斜めに見上げられ、店主は微笑んだ。彼の目にはどんな手が耳かきを持っているように見えているのだろうか。
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