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整理屋笑多
女性は恐る恐るその番号に電話をかける。
電話に出たのは若い男だ。
「お世話になります。整理屋笑多の松浦です」
電話をかけた二日後。その男は扉を勝手に開けて勝手に名乗り、ずかずかと部屋に入り込む。
「えーっと、依頼者の宮崎春音様ですかね?」
「……は、い」
松浦はぼりぼりと頭を掻きむしりながら、持ってきた大きな鞄の中を漁る。その図々しさに春音はぽかんと口を開けたまま固まってしまう。
「ではまず、整理を始める前にこちらの書面を読んで頂いてこちらにサインと印鑑をお願いします。あ、印鑑がなければ拇印でも大丈夫です。朱肉いります?」
「……印鑑も朱肉もあるので大丈夫です」
松浦のやかましい喋り方に春音はイラッとしつつ、本当に大丈夫かという不安が頭をよぎる。
「……ここに書いてあることは全て守って頂けるんですよね?」
「もちろんです。そのための契約書ですからね。ここで見たもの、聞いたもの、僕が感じたこと、全てのことは口外致しませんので大丈夫です」
春音は松浦と書面を交互に見ながら、自分の選択は合っているのか、間違ってはいないだろうか、と自問自答を繰り返す。
「あ、そーだそーだ。名刺あげます、どうぞ」
なぜこのタイミングで名刺を渡してくるのか。やっぱり春音はやめた方がいいのでは、と悩みつつ松浦から名刺を受け取る。
「社長さん……だったんですね」
受け取った名刺には有限会社整理屋笑多代表取締役松浦と書かれている。
「そうなんですよ。社長に見えないってよく言われるんです。まぁ、社員は僕だけなので社長兼社員兼事務兼雑用みたいな感じです」
松浦の飄々とした態度に春音は戸惑いを隠せない。こんな人に姉の遺品整理を任せていいのか、こんな人に……。
「僕が一番大事にしてるのは秘密にすることなんですよ。著名な方の遺品整理をすることが多々あります。僕はこんな感じですが、秘密は守りますし遺品整理もちゃんとするのでご安心ください」
自覚があるなら直せ。春音は心の中で毒を吐きつつ、松浦に任せることに決めた。
書面にサインをして印鑑を押して松浦に渡し、姉の仕事部屋に案内する。
「仕事部屋だけは私だけでは片付けられなかったんです」
春音はどうぞ、と松浦を仕事部屋に通すと目の前に広がる散乱とした光景にため息をつく。一方の松浦はこれは楽しそうですね、となぜか意気揚々と整理を始める。
「紙が溢れてますね。机とペンは使い込まれてる。パソコンは安物なんですね、あまり高スペックは必要じゃなかったのでしょう。どの本棚もとても背が高くて、そしてぎっしりと本が詰まってる」
松浦はぺらぺらと喋りながらも、体は仕事をしている。
「故人は宮崎さんのお姉さんでしたよね?」
「はい」
「お姉さんは小説家ですね。ペンネームは……益塚短夜。最近話題の小説家でしたね」
松浦が整理している紙にはどれも文字が敷き詰められている。人名や世界観、人物関係図や物語の構成。
整理屋という仕事を長くしている松浦は故人の事を聞かずとも見ればわかる、という役に立つのかわからない特技を持ち合わせている。
「姉の作品を読んだことはありますか?」
「はい。実はこう見えて小説は結構読むんです。色んな人の作品を読みますよ。益塚先生の作品は全て読んでます」
松浦はテキパキと紙の山を二つに分ける。
「では、一人の母親十人の子供はご存知ですよね?」
「もちろん。益塚先生の作品で一番有名な作品ですからね」
「あの作品についてどう思われますか?」
「どうとは、どういう事ですか?」
松浦は手を止めてちらりと春音を見ると、糸が切れたあやつり人形のような動きでソファーにどさりと座り込んだ。
春音は座り込んだまま脱力した声で話を続ける。
「私はあの作品がとても嫌いなんです」
「どこが嫌いなんですか?」
「姉はとても優しい人でした」
松浦は紙を分け終わると次に本棚の本を二つに分け始める。
「いつでも妹の私の意見を優先してくれました。自分が幸せになるより、私や両親が幸せになってくれてる方が私は幸せなのって……そんなことを言うとてもできた姉でした」
松浦は軽く相槌を打つが、それ以上のことは何もしない。
故人のことを話している時に話を止めることは絶対にしない。話を聞くことも自分の仕事と考えている。
「そんな姉が小説家になった時はとてもびっくりしました。でも、それ以上に嬉しかったのを覚えています。姉の幸せそうな顔を見れて、やっとこの人は自分の人生を生き始めたんだって、これからは自分を一番に優先して生きるんだって、嬉しくてほっとしました」
本棚の本たちは案外ホコリを被っていて、松浦は咳き込みながらも相槌を打つ。
「そんな優しい姉の書いた本を読んだ時は絶句しました」
そうだろうな、松浦は心の中でそうつぶやく。
春音が何度も優しい姉と言っているのに、松浦は違和感を感じていた。松浦は益塚短夜の作品に優しさなんて感じたことがない。
「あんなに優しい姉が……なんで、どうして、あんな作品ばかりを書いていたのでしょうか」
益塚短夜は有名作家だ。小説をあまり読まない人でも名前を聞いたことがある人は多いはず。
益塚の作品には必ず過激な思想を持つ人がいて、その登場人物の発言はたびたび話題になっていた。もちろん、いい意味ではなく悪い意味での話題だ。
そして、終わり方は必ず後味が悪い。そんな作品ばかりを書いていた作者が優しい人とは松浦には思えない。
「特に一人の母親十人の子供は何度も読むのをやめてしまいました。何度も読むのをやめようと思いました。それでも、姉の作品だからと最後まで読んだら……あんな終わり方ってありますか?」
「確かに。それは僕も同意見です」
一人の母親十人の子供は益塚の作品で一番有名だろう。
一人の母親が十人の子供を産んだが、その子供たちが次々と死んでしまい、最後には母親一人だけが残されるというお話だ。
「……母親の、十人も子供を産んだ母親が子供は贅沢品だなんて考えるのでしょうか? その一言で物語が終わるって……なぜ姉はそんな物語を書いたのでしょうか……何度考えても分かりません」
他の人の考えなんてわかるはずがない。松浦は心の中でそう思ったが、口に出すことは絶対にしない。
「いつか姉にこの疑問を聞きたいと思っていたのですが……もうこの疑問が解決することはなくなってしまいましたね」
「そんなことはないかもしれませんよ」
松浦はこれを見てくださいと春音を呼ぶ。
春音は不思議に思いつつも目の前の紙の山を見つめる。
「この紙は全部捨ててください」
「捨てちゃっていいんですか?」
「……どういうことですか?」
よっこいしょっ、松浦はそう言って重そうな腰を持ち上げる。体を伸ばしたり動かしたりしてから、話を始める。
「紙類は全部分けてみました。右側は読めない字で書かれていたり、なんについて書かれているかわからなかったり、とにかく本人以外には理解できないと判断したものです。それで、左側は理解できると判断したものです。見てみてください」
春音は不服そうな顔で一番上の紙をめくった。
その紙には母親の感情は? と大きく書かれていてその下にはたくさんの言葉が並べられている。
「これは……」
「一人の母親十人の子供の設定のメモ書きだと思われます。その紙以外にもたくさんの事が書き残されています」
他の作品のメモもたくさんありますよ、と松浦は春音にぼんぼんとメモを渡す。
「そんなに一気に渡されても見れませんよ」
「あらっ、そうでしたね。失礼しました」
春音はメモを見つつふふっと笑う。
「あ、この作品は姉がすごく悩んで書いてたんです。このシーンとか」
春音は黙ってメモを読んでいたが、次第に色んなことを話し始めた。この部屋で益塚と二人で暮らし始めた時、締切に間に合いそうになくて諦めた益塚に誘われて潰れるまでお酒を飲んだ日、春音が彼氏を部屋に連れてきた時の益塚の反応、春音は全ての出来事を昨日起こったことのような口調で話す。
「宮崎さんにとってお姉さんはどんな人でしたか?」
「……そうですね」
春音は長い間考えるように黙っていたが、ゆっくりとした口調で話し始める。
「私にとっては唯一の姉でした。どんな作品を書いていても、どんな考えを持っていても、世間がどんなに批判しようと、姉は姉です。私の唯一の、最高の姉に変わりはありません」
松浦はそれを聞けて安心しましたと言うと、春音に頼み事をして家を出た。
それから一週間後、松浦は再び春音の部屋に訪れた。
「どーですか? 整理は終わりましたか?」
「はい。終わりました」
「家具類はどうしますか?」
「家具は全て持っていってください。置いてあっても使わないので」
松浦がした頼み事は遺品を取っておく物とそれ以外に分けるというもの。
「ではまずは家具類を外に出しましょう」
「ま、しょう……?」
「はい。僕一人では無理なので宮崎さんも手伝ってください」
春音は当たり前でしょ? と言わんばかりの松浦の勢いに押されて手伝っているが、頭には何度もおかしくないか? という疑問が浮かび上がる。
「あの……」
「なんでしょう?」
机を運び終わって部屋に戻る最中、春音は松浦に恐る恐る質問する。
「松浦さんはなぜお一人でこの仕事をされているのですか?」
「僕の仕事のやり方につき合ってくれる人がいないと思ったんです。まぁ、元から探してないんです。一人でやる方が楽だと思ってるんでね」
「仕事のやり方?」
「父親がいた時から僕のやり方は煙たがられてたんです」
松浦は部屋に戻ると取っておく物以外の紙類と本をばんばんと大きな袋に入れる。
「父親が死んでからは仕事量も減ったので、社員さんたちに給料を払うのも難しくなってしまったんです。それで、同業者にお願いして社員さんたちを雇ってもらって、僕は一人細々と仕事をしています」
家具と紙類と本。
置いてあった物の種類は少ないものの、物がなくなればすっきりとした部屋になった。
「おぉ〜見間違えるぐらい部屋が綺麗になりましたね」
松浦は床も綺麗にしますね、と一生懸命に床を拭く。
「姉が生きてたら……」
「それは僕が言わないこと、思わないことをおすすめしてる言葉です」
松浦は相変わらず床を拭いているが、ぽつぽつと話し始める。
「こんな仕事をしているので意気消沈してる遺族の方と接する事が多いんです。皆さんこぞってたらればを並べてしまう。あとは、著名人のご家族に多いのはあれですね、故人ではなく自分がと思われる方がとても多い」
春音はその言葉にはっとした。
姉ではなくて、世の中に求められてる姉ではなくて、私だったら。心の奥底でそんな風に思っている自分を見透かされた。そんな気持ちになる。
「血縁者に著名人がいると誇らしいと思う反面、自分も釣り合わなければと思う人が多いんです。そんなことを思う必要は全くないのに、皆さんこぞって自分を卑下してしまう」
松浦はワックスをかけるので一日この部屋に入らないでくださいね、と言うとジャボジャボと白い液体を床にぶちまける。
「著名人かどうかなんて関係ない。今を生きてるあなたの命が何より大事で尊いものなんです。それに、死んでしまった人に心を蝕まれていては、故人もとても悲しむと僕は思いますよ」
松浦は迷うことなくすらすらと言葉を並べた。その後になってべらべらと持論を失礼しました、なんて言うものだから春音は締まらないですねと笑う。
「よっし、これで終わりですね」
ワックスをかけ終わった部屋の床はぴかぴかに輝きつつ、独特な匂いが漂う。
「じゃあこれお渡ししますね」
春音はワックスの匂いに鼻を曲げつつ、松浦が渡してきたファイルを受け取る。
「これは僕が仕事終わりに必ず渡すものです」
そのファイルは妙に重く、中の紙にはびっしりと何かが書き込んである。
「僕パソコンが苦手なので全て手書きです。綺麗になるように意識して書いてるんですけど、読めなかったらすみません」
春音はそのファイルの中を見て少し戸惑った。
ファイルの一ページ目には大きく宮崎冬音と書いてある。久々に見た姉の本名に春音はしみじみとしつつ、ページを捲る。
中には冬音としての、姉としての、そして益塚短夜としての人生が事細かに記されている。
「僕が見てほしいのはこのページです。めっちゃ頑張りましたよ」
松浦はここです、こことぺらぺらとページを捲り指さす。
そのページには見覚えのないSNSのプロフィール画面。冬夜という名前のアカウントらしい。そのアカウントは益塚短夜の投稿に悪口などを書いた人を引用して、その人に対しての不平不満をぶちまけてある。
「……これって、姉のアカウントですか?」
「そうです。探すのに苦労したんですよ〜めっちゃ大変でした。まじで大変でした」
益塚の不平不満は小学生の悪口のように同じ言葉が何度も使われている。春音は小説家のくせに語彙力が皆無ですね、と吹き出した。
ファイルの中はどのページも宮崎冬音の、益塚短夜の人間臭さが溢れ出ていた。
春音の中にあった優しい姉という印象が崩れるほど、いい事も悪い事も、宮崎冬音の人生の全てが事細かに記されている。
「僕が一週間という期間を空けるのは遺族の方に取捨選択をしてもらうためでもあるんですけど、一番はこれを書くためです。故人の情報を調べ尽くしてこのファイルを書くのは結構手間のかかる作業なので、ご理解くださいね」
松浦は帽子を取ってぺこっと軽くおじきをする。
「では、また機会がありましたらご連絡ください。ご利用ありがとうございました」
松浦はそういうと颯爽と部屋から出ていった。
部屋に一人残された春音は少しの間立ち尽くしたが、ファイルを愛おしそうに眺めてからぎゅっと握りしめる。
「整理屋がまた機会がありましたらって……もうお世話にはなりたくないですよ」
ぽつり、春音は誰にも届かない言葉を吐き出すと、笑顔で益塚の仕事部屋の扉を閉めた。
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